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サイショードーキョ(妻妾同居) 〜妻と元カノと三人で暮らしたら、家族が増えていった話〜  作者: カトーSOS


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第26.9話 回る理由

挿絵(By みてみん)


第26.9話 回る理由


 初日の大きな山を越えた頃、店の空気はようやく少しだけ落ち着いていた。


 もちろん、店が止まったわけではない。


 コンビニは閉まらない。

 レジの明かりも落ちないし、自動ドアも客を待ったままだ。


 それでも、朝から昼にかけて店を飲み込みそうだった圧は、たしかに一段下がっていた。


 スタッフの動きにも、朝ほどの硬さはない。

 レジのやり取りも少し滑らかになっている。

 飲料棚の前に立つ人間も、

 さっきまでみたいに“どこから触ればいいのか分からない”顔はしていない。


 高木さんも、もう全部を自分で拾いに行く顔ではなかった。


 客の流れを見る。

 レジの詰まりを見る。

 スタッフの動きを見る。

 必要なところにだけ声をかける。


 朝のあの、全部を自分で何とかしようとしていた高木さんとは、もう少し違っていた。


 それは大きい。


 開店日というのは、店が完成する日じゃない。

 店の弱いところが、まとめて表に出る日だ。


 どこが弱いか。

 誰が迷うか。

 何が足りないか。

 どこで流れが止まるか。


 そういうものが一気に露わになる。


 そして、その露わになったものを一つずつ直していくことでしか、店は回り始めない。


 高木さんは、今日その最初の一歩を踏んだ。


「さっき、飲料の前列が薄くなった時」

と高木さんが言う。

「あのとき、前ならたぶん自分でケース持って走ってました」


「そうですね」


「でも今は、先にレジ見ました」

「そのあと、手の空いた子に飲料お願いした」


「はい」


「それで、ちゃんと戻った」


 高木さんは、自分で確認するみたいに頷いた。


「回るって、こういうことなんですね」


「そうです」


「なんか……もっと大きい話かと思ってました」


「派手な話ではないです」

「細かいことの積み重ねです」


 俺はそう返した。


 実際、その通りだ。


 回る店というのは、誰か一人の気合いでできるわけじゃない。


 どこに人を置くか。

 どの順番で動くか。

 何を先にやるか。

 何を今は捨てるか。


 その積み重ねでしかない。


 高木さんは少しだけ苦笑した。


「正直、最初は」

「健太さん、理屈っぽい人だなと思ってました」


「今もそうですよ」


「それはそうなんですけど」


 そこで少し笑う。


「でも、今日やっと分かりました」

「理屈って、現場を楽にするためにあるんですね」


「楽にするというより」

「死なないためですね」


「……容赦ないなあ」


「現場はもっと容赦ないです」


 高木さんは、そこでまた笑った。


 面接の時の営業用の笑顔じゃない。

 気まずさを流す苦笑いでもない。


 今日一日、現場で潰れかけて、でも立て直して、そのあとに出る笑いだった。


 それは悪くなかった。


「ありがとうございました」


 高木さんが言った。


 今度は、さっきまでよりもう少し真面目な声だった。


「今日、本当に助かりました」


「ここからです」


 俺がそう返すと、高木さんは、やっぱりそう来るかという顔で目を細めた。


「え?」


「やっとスタートです」


「……開店したのに」


「開店したからです」


 高木さんは、少しだけ考えるように店内を見回した。


 乱れた棚。

 動いているレジ。

 それぞれの持ち場に戻っていくスタッフ。


 きれいではない。

 だが、動いている。


「店は、開くだけでは足りません」


 俺はそのまま続けた。


「回るように直し続けて、ようやく店になります」


「……」


「朝、崩れた」

「昼に少し戻った」

「夕方またズレるかもしれない」

「そのたびに見る」

「直す」

「また回す」


「それの繰り返しです」


 高木さんはゆっくり頷いた。


「開店って、ゴールじゃないんですね」


「そのつもりで組んでます」


「はい」

「でも、今日はちゃんと分かります」


 そこは大きかった。


 言葉で聞くのと、

 現場で一度潰れかけてから聞くのとでは、

 意味が全然違う。


「回るって、不思議ですね」


 高木さんがぽつりと漏らす。


 その言葉には、実感があった。

 “分からない”を投げているんじゃない。

 “分かり始めた上で、まだ不思議だ”と言っている声だ。


「不思議に見えるだけです」


 俺は返す。


「え?」


「回ってるものには、必ず理由があります」


 高木さんは黙って聞く。


「人の置き方」

「物の流れ」

「動き方」

「任せ方」

「全部です」


「レジが止まらなかった理由」

「補充が最低限間に合った理由」

「スタッフが戻れた理由」

「高木さんが全部を抱え込まなかった理由」


「全部、理由があります」


 少し間を置いてから、続ける。


「逆に言えば、理由のない回り方は、どこかで壊れます」


 高木さんの表情が少し引き締まった。


 そこまで含めて、今日言っておく必要がある。


 今日うまくいった。

 だから大丈夫。


 そんなふうに終わらせると、次で死ぬ。


 たまたまじゃないと知ることと同時に、

 たまたまでは続かないと知ることも必要だ。


「じゃあ……」

と高木さんが言う。

「今日、回ったのは」

「運がよかっただけじゃないんですね」


「運もあります」


 そこは否定しない。


「ただ、それだけではないです」


「……はい」


「朝崩れたあと、優先順位を変えた」

「人の置き方を変えた」

「高木さんが“全部やる人”をやめた」


「その分、流れが戻ったんです」


 高木さんは、今度ははっきり頷いた。


 深く、ゆっくり。


「そうか……」


 その一言は、自分の中で何かを結び直す声だった。


 面接から今日までの言葉が、

 ようやく一本につながったのかもしれない。


 高木さんは少しだけ笑った。


「朝の俺に聞かせたいです」


「朝は入らないでしょうね」


「即答ですね」


「現場を一回くぐらないと、あの手の話は残りません」


「それは、まあ……そうですね」


 そこで二人とも少しだけ笑う。


 最初は、指導する側とされる側だった。

 途中では、止める側と止められる側だった。


 でも今は少し違う。


 現場を一緒に越えた人間同士の会話になっていた。


 十九時。


 俺の役目は、ここまでだった。


「私の仕事はこれで終わりです」


 そう言って、俺は高木さんの顔を見た。


 もう、最初に会ったときの顔じゃなかった。


 夢だけで店を見ていた顔でもない。

 不安で全部抱え込もうとしていた顔でもない。


 ちゃんと、オーナーの顔になっていた。


 高木さんは俺を見て、深々と頭を下げた。


「長い間、ありがとうございました」


「いやいや、こちらこそ」

「厳しいことばかり言って恐縮です」


 高木さんは顔を上げる。


「でも、必要なことばかりでした」


 その言葉に、俺は少しだけ笑った。


「頑張ってください」


「はい」


 俺と高木さんは、固く握手した。


 手の力が、最初の面接の時とは全然違った。


 あの時は、これから始まる人間の手だった。

 今は、一日現場を越えた人間の手になっていた。


 自動ドアを出る。


 振り返れば、店はまだ動いている。

 明かりも落ちない。

 人も流れている。


 もう、俺がずっと横についていなくても回る。

 完璧じゃない。

 でも、ちゃんと始まっている。


 それで十分だった。


 携帯を取り出して、画面を確認する。


 慎也からLINEが入っていた。


『会いたいんだが、いつならいい?』


 俺は少しだけ画面を見つめた。


 昼間のレジ前の光景が、頭に戻ってくる。


 慎也。

 千尋。

 そして、あの言いかけて飲み込んだ顔。


 店は回り始めた。


 だが、こっちはどう見ても、回る理屈が分からなかった。


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