第26.5話 全部やる人
第26.5話 全部やる人
真面目な人間ほど、全部やろうとする。
それは、別に悪意があるわけじゃない。
怠けているわけでもない。
責任を放り投げているわけでもない。
むしろ逆だ。
責任感がある。
自分がやらなきゃと思っている。
失敗したくない。
人に迷惑をかけたくない。
だから全部抱える。
そして、全部抱えた結果、全部止める。
高木さんも、その型にきれいに入っていた。
スタッフ研修が始まってから数日。
店の中には人が増えた。
だが、人が増えたからといって、それだけで楽になるわけじゃない。
むしろ最初は逆だ。
教えることが増える。
確認することが増える。
失敗の芽も増える。
高木さんは、それを全部拾いに行っていた。
レジのそばに立つ。
新人が操作で止まると、すぐに横に入る。
品出しが遅れると、今度は棚の方へ走る。
バックヤードで何か質問されれば、そっちへ向かう。
値札が少しずれているのが見えれば直す。
スタッフ同士の会話が止まれば声をかける。
その動きだけ見れば、働いている。
すごく働いている。
でも、店全体で見ると、一番危ない動き方だった。
全部に手を出す人間は、
全部を見ているようで、
実際には何一つ最後まで責任を持てない。
高木さんは、まさにその状態になりかけていた。
「高木さん」
声をかけても、返事が一拍遅れる。
「はい!」
顔だけこっちを向く。
手はレジの横の商品を直している。
「今、何を優先してます?」
「え?」
高木さんはその質問に止まった。
「今ですか?」
「今です」
「いや……レジも気になるし、品出しも遅れてるし、あと新人がまだ不安そうで」
「つまり、全部ですね」
「……はい」
俺は少しだけ頷いた。
「それが一番危ないです」
高木さんの表情が固くなる。
少しむっとしたのが分かった。
この数日、ずっと走っていたのだ。
働いていないわけじゃない。
むしろ働きすぎている。
それを危ないと言われれば、引っかかるのは当然だ。
「でも、やらないと回らないですよね」
「違います」
少しだけ強めに言う。
「それだと回らないです」
高木さんが黙る。
周囲ではスタッフが動いている。
段ボールを開ける音。
レジの練習音。
冷蔵ケースの扉が閉まる音。
まだ本番前の店内だが、空気は現場に近づいてきていた。
「じゃあ、どうしろっていうんですか」
高木さんの声が、少しだけ刺さる。
怒っているというより、追い詰められている声だった。
「見てください」
「見てますよ」
「見てないです」
「……」
「触ってます」
「でも、見てないです」
高木さんが完全に黙った。
そこで言葉を切らない。
今、止めるべきところだからだ。
「レジに入る」
「品出しに行く」
「質問に答える」
「値札を直す」
「全部やってますよね」
「……はい」
「それ、全部“現場の穴埋め”です」
「穴埋め……」
「オーナーがずっと穴埋めしてたら、店は回らないです」
高木さんの肩が少しだけ落ちた。
刺さっているのは分かった。
だが、ここで引くと伝わらない。
「今、止まってください」
「今それどころじゃ……」
「だから止まってください」
少しだけ声を低くする。
高木さんはそこでようやく本当に止まった。
「でも、やらないと」
「それで今、全部遅れてます」
「……」
「新人は高木さんが来るのを待つ」
「品出しも、高木さんが見るのを待つ」
「値札も、高木さんが直すのを待つ」
俺は一つずつ指で示す。
「全部、高木さん待ちです」
その言葉で、高木さんの顔が変わった。
痛いところに入った顔だった。
自分が頑張っているつもりだったものが、
実は“流れを止める原因”になっている。
それを初めて見せられた顔だ。
「回すって、全部やることじゃないです」
はっきり言う。
「……」
「やらないことを決めるのが、オーナーの仕事です」
高木さんは俯いた。
すぐに反論してこなかった。
それは、言葉が残った証拠だった。
「俺だって、最初なんでそんなに冷たいこと言うんだって思ってました」
少しだけ声を落とす。
「でも今なら分かるでしょ」
高木さんはしばらく無言だった。
数秒置いてから、やっと言う。
「……任せるの、苦手なんですよ」
その言い方には、照れも強がりもあまりなかった。
本音だった。
俺はそれに少しだけ頷く。
「みんなそうです」
「いや、でも」
「結局、自分でやった方が早いことも多くて」
「あります」
「なら、やっぱり自分で……」
「その“早い”は、その場だけです」
高木さんが顔を上げる。
「その場では早い」
「でも、ずっと自分でやることになる」
「そうなると、店が高木さん一人に寄りかかる」
「……」
「それ、店じゃないです」
高木さんは言葉を失った。
たぶん、その形を少し想像したのだろう。
自分がいないと動かない店。
自分が休めない店。
自分が全部に触れないと不安な店。
それは、長くは持たない。
「任せるって、怖いですよ」
高木さんが小さく言う。
「ミスされたら困るし」
「抜けてたら嫌だし」
「見えてないところで止まるのも怖い」
「分かります」
「でも、任せない方が危ないんですね」
「そうです」
そこでようやく、高木さんは小さく息を吐いた。
降参、というほどではない。
でも、少なくとも今までの考え方だけでは無理だとは認めた顔だった。
「……じゃあ、どう分ければいいですか」
いい質問だ。
やっとそこに来た。
「まず、レジは任せる」
「止まった時だけ見る」
「はい」
「品出しは担当を決める」
「途中で奪わない」
「はい」
「質問対応は一人に寄せる」
「全員で拾わない」
「……はい」
一つずつ言うたびに、高木さんが頷く。
その顔は、まだ不安そうだった。
でも、聞こうとしている顔だった。
その差は大きい。
「全部を自分でやるのは、責任感じゃないです」
最後に言う。
「不安です」
高木さんが少しだけ苦笑した。
「耳が痛いですね」
「痛い話しかしてないです」
「ですね」
そこで、ほんの少しだけ空気が緩んだ。
最初の面接の時よりも、
開業準備の最初の頃よりも、
今の方がずっと話が通っていた。
言葉を受け取る準備が、ようやくできてきたのだろう。
現場に追い込まれた分だけ、人は聞けるようになる。
それは残酷だが、事実でもある。
高木さんはもう一度、店内を見回した。
レジ。
棚。
スタッフ。
バックヤード。
さっきまでとは違う目だった。
“全部自分でやる場所”としてじゃない。
“どこを自分が見て、どこを人に任せるかを決める場所”として見始めている。
まだ完全じゃない。
でも、前には進んだ。
それで十分だ。
店は、オーナーの頑張りだけでは回らない。
人を置いて、
役割を分けて、
自分がどこに立つかを決めて、
初めて回り始める。
高木さんは今、その入口にやっと立ったところだった。




