第26.4話 人が足りない
第26.4話 人が足りない
人件費を抑えたい。
開業前のオーナーは、だいたい一度はそう言う。
高木さんも例外じゃなかった。
「最初は、少人数で回したいんです」
資料を見ながら、高木さんが言った。
「気持ちは分かります」
俺はそう返した。
ここで頭ごなしに否定しても意味はない。
なぜそう言いたくなるのかは、よく分かる。
開業前は金が出ていく一方だ。
保証金。
工事。
什器。
研修。
細かい備品。
まだ一円も売っていないのに、金だけは消えていく。
その中で、人件費を抑えたいと思うのは自然だ。
「やっぱり、最初は売上も読めないじゃないですか」
「そうですね」
「だったら、人は少ない方がいいかなって」
高木さんは、理屈として言っているつもりだった。
実際、理屈ではある。
ただ、その理屈は“回る店”を前提にしていない。
「少ない方がいい、じゃないです」
「少なくても回るならいい、です」
「……同じじゃないですか」
「全然違います」
高木さんが少し黙る。
納得していない顔だ。
たぶん、
“必要以上に厳しいことを言ってくる人”
くらいには思っているだろう。
それでいい。
最初はだいたいそうだ。
「じゃあ、やってみますか」
俺が言うと、高木さんが顔を上げた。
「やってみる?」
「仮にです」
「少人数で回したら、どうなるか」
高木さんは少し考えたあと、
「……それで分かるなら」
と答えた。
店内で簡単なシミュレーションをする。
まだ本番じゃない。
客もいない。
だが、それでも人が足りるかどうかはある程度見える。
役割を仮置きする。
レジ。
品出し。
質問対応。
バックヤード。
清掃。
ホットスナック対応。
やることは、一つじゃない。
コンビニは、立っていれば回る仕事ではない。
常に何かが重なっている。
「じゃあ、高木さんレジ入ってください」
「はい」
「スタッフ役、一人こっち」
「補充と質問対応、兼ねてください」
「兼ねるんですか?」
「少人数でやるならそうなります」
高木さんが少し表情を固くする。
その顔を見ても、何も言わない。
分かるのはここからだ。
シミュレーションを始める。
最初の数分は、何とかなっているように見える。
レジを打つ。
商品を取る。
声をかける。
だが、少しタスクを増やしただけで、一気に崩れた。
「すみません、これどこですか」
質問が入る。
その対応に行く。
するとレジが止まる。
「飲み物、前の棚なくなってます」
補充が必要になる。
だが人がいない。
バックヤードに入ると、今度は店内が薄くなる。
「ホットスナックお願いできますか」
そこにまた別の仕事が乗る。
高木さんはレジの前に立ったまま、
一瞬、動き方を失った。
「……え、ちょっと待って」
「待てないです」
俺は即答する。
「今のが現場です」
「いや、でも」
「いや、これ……」
高木さんは、レジから出ようとして止まり、
質問対応に行こうとして止まり、
結局どこにも行けずに固まった。
真面目な人間ほど、こうなる。
全部拾おうとする。
全部拾うから、全部落とす。
「一人足りないですね」
俺が言う。
高木さんは返事ができない。
顔だけが、明らかに焦っていた。
「今のは仮ですよね」
「仮です」
「本番もっと大変ですよね」
「はい」
そこで初めて、高木さんの顔から
“何とかなるだろう”
が消えた。
その顔を見るために、今これをやっている。
「……人、増やした方がいいですか」
ようやく出た言葉がそれだった。
「はい」
「でも人件費が……」
「人が足りなくて店が止まる方が高いです」
高木さんは黙った。
その言葉が重いのは分かっている。
だが、現場はもっと重い。
人件費は数字で見える。
店が止まる損失は、最初は見えにくい。
だからみんな、最初に人を削りたがる。
そして削った結果、売上も空気も現場も死ぬ。
「頑張れば何とかなる、は一番危ないです」
俺が言うと、高木さんはゆっくり視線を上げた。
「……頑張るつもりでした」
「分かります」
「でも、頑張っても追いつかないってことですか」
「はい」
「それ、結構きついですね」
「きついです」
俺は言葉を濁さない。
この段階で優しくぼかすと、あとで死ぬ。
今きついと思った方がまだましだ。
高木さんはレジ台に手を置いたまま、しばらく黙っていた。
悔しそうにも見える。
情けなさそうにも見える。
でも、その顔は悪くなかった。
現実を見始めた顔だった。
「最初は少人数で、って」
高木さんがぽつりと言う。
「たぶん、店のことじゃなくて、自分の不安のことしか考えてなかったです」
その言葉は、意外と正確だった。
不安だから削る。
不安だから抱える。
不安だから自分でやろうとする。
だが、その全部が現場を壊す。
「不安なのは普通です」
俺はそう言った。
「でも、不安のまま決めると、だいたい外します」
「……」
「必要な人数は、気持ちじゃなくて動きで決めます」
高木さんは頷いた。
今度は、前より少し深く。
「……増やします」
小さな声だった。
でも、本音だった。
この一歩は大きい。
最初の面接の時の高木さんなら、
たぶんまだ反発していた。
今は違う。
一度“足りない現場”を見たからだ。
見たものは、言葉より強い。
「その方がいいです」
「はい」
「あと、人数増やしても、それだけで回るわけじゃないです」
「はい……」
「次は、誰をどこに置くかです」
高木さんが苦笑した。
「次から次へ出てきますね」
「出てきます」
「夢がないなあ」
「開店前は、そんなもんです」
そこで高木さんは、少しだけ笑った。
本当に少しだけだが、
最初の頃よりは自然な笑いだった。
痛い目を見て、初めて前へ進む。
この仕事は、その繰り返しだ。
人が足りないと、店は止まる。
それを高木さんは、今日やっと理解した。
理解したなら、次へ進める。
店は、気合いじゃ回らない。
構造でしか回らない。
そのことを、また一つ現場が証明した。




