第25話 洗濯と掃除の秩序
第25話 洗濯の秩序
こういうのが、一番もめるんじゃないのか。
休日の朝、洗濯機の低い音を聞きながら、僕は本気でそう思っていた。
三人暮らしになって、朝食や買い物が妙にうまく回ることには、もう認めるしかなかった。
でも、それはまだいい。
朝は流れがある。
買い物も勢いで進む。
問題は、もっと細かいところだ。
洗濯。
掃除。
タオル。
シーツ。
誰の服をどう扱うか。
そういうのは、生活の中でも特に摩擦が出やすいはずだ。
少なくとも僕はそう思っていた。
むしろ、今まで揉めていない方がおかしい。
ここからが本番だろう、と。
最初に洗濯の話が出たのは、入居して間もない頃だった。
「ドラム式洗濯機を私が買います」
と千尋が言った。
「おおっ!」
思わず僕は声を出した。
そこは素直に感動した。
ドラム式洗濯機は正直高い。
さらに、乾燥までいけるやつだ。
干さなくていい。
その時点で、ちょっと夢みたいだと思った。
だが、千尋はさらに続けた。
「そのかわり免除して」
「超苦手!」
香織が吹き出した。
「あー、そういうことね」
「洗濯物たたむのとか、ほんと無理」
「嫌いじゃなくて、苦手なの」
「嫌いよりタチ悪いね」
「うるさい」
千尋は少しだけむっとした顔をしたが、本気で怒ってはいなかった。
その流れで香織が言った。
「じゃあ、私、洗濯機回す係」
「回す係?」
僕が聞くと、香織は当たり前みたいに頷いた。
「うん。洗濯物放り込んで、洗剤入れて、スイッチ押す係」
「乾燥まで終わるし」
そこで僕は、少しだけ安心した。
なるほど。
千尋は洗濯機を買う。
香織は回す。
洗濯のほとんどが香織の担当だ。
なら僕は補助くらいだろう。
「僕、取り込む係り?」
軽い気持ちで聞いた。
「そうだね」
と香織。
「うん、それがいいかも」
と千尋も頷く。
その時点では、まだ分かっていなかった。
話はそのまま、細かい運用に移った。
「下着だけは分けたいかな」
千尋が少しだけ真面目な顔で言う。
「女性の下着は混ざると困るし」
「それはそうだね」
と香織もすぐ頷く。
「洗濯ネットに入れて区別しよう」
僕もそこは素直に頷いた。
「うん、それは分かる」
「手ぬぐいタオルも分けたい」
と香織が言う。
「体洗うから」
「それは分けたいね」
と千尋も即答する。
「バスタオルは?」
と僕が聞くと、
「私はどっちでもいい」
と香織。
「私も」
と千尋。
「ホテルでもバスタオルってレンタルじゃん」
「まあ……それはそうか」
その理屈には、少し納得してしまった。
「じゃあ、下着はネットのまま各部屋の前に置いておいて」
「わかった」
そのときの僕は、まだ本当に分かっていなかった。
やってみて分かった。
香織の“洗濯機回す係”って、
洗濯物を放り込んで、洗剤入れて、スイッチ押すだけじゃん。
騙された。
いや、騙されてはいない。
ちゃんと言っていた。
“回す係”だと。
勝手に僕が軽い仕事だと思い込んでいただけだ。
問題はその先だった。
平日の夕方、仕事から帰ると、洗濯機の乾燥まで終わっている。
そこからが僕の担当だった。
ドラム式の蓋を開ける。
もわっとした温かい空気が出てくる。
乾いたタオル。
乾いたシャツ。
乾いた靴下。
乾いた下着類。
まず、ネットを取り出す。
香織の分。
千尋の分。
それをそのまま、それぞれの部屋の前に置く。
そこまではまだいい。
問題は、そのあとだ。
シャツをたたむ。
ズボンをたたむ。
タオルをたたむ。
部屋着をたたむ。
靴下を揃える。
めっちゃ手間じゃん!!!
僕はリビングで洗濯物の山を前にして、本気でそう思った。
「これ、絶対“回す係”より重いだろ……」
思わず口に出る。
その日も僕はテレビをつけたまま、ソファの前でせっせと服をたたんでいた。
画面の中では夕方の情報番組が流れている。
でも僕の意識の大半は、
これは僕のシャツ、
これは共有のタオル、
この靴下は僕、
という仕分けに持っていかれていた。
そこへ香織が通りかかった。
「まだやってるの?」
「まだ、って何だよ」
「量見ろよ」
香織はその山を見て、少しだけ笑った。
「たしかに今日は多いね」
「多いね、じゃないんだよ」
「僕、完全にこっちの方が大変だと思うんだけど」
「バレたか」
香織が舌を出す。
あっさり認めるな、と思う。
でも、そのときだった。
香織が僕の横に座った。
「じゃあ手伝う」
「え?」
「今、手が空いてるし」
そう言って、タオルを取り上げる。
少しして、千尋も来た。
「まだ終わりません?」
「終わんないよ」
「じゃあ私もやります」
「苦手なんじゃなかったのかよ」
「たたむの全部は嫌」
「でも少しならやります」
何だそれ、と思ったけれど、
実際に横に座って手伝い始めるので文句が言えなくなる。
三人で並んで洗濯物をたたむ。
テレビがついていて、
誰かが適当に相槌を打って、
でも手は止まらない。
その感じが、妙に生活だった。
最初から完璧に分担されているわけじゃない。
苦手なことはある。
得意なこともある。
楽な役と面倒な役が、完全に公平なわけでもない。
でも、回らないところは、手が空いている方が手を出す。
その緩さがあるから、結果として揉めないのかもしれない。
僕は自分のシャツをたたみながら、少しだけ考えた。
こういうのが一番もめると思っていた。
でも実際には、もめる前に流れができていた。
千尋は洗濯機を買う。
香織は回す。
僕は取り出してたたむ。
面倒なところは、手が空けば一緒にやる。
妙にうまい。
うますぎる。
「……いや、待って。うますぎるだろ」
思ったことをそのまま言うと、香織が笑った。
「何が?」
「全部だよ」
「洗濯で一番もめそうなのに、何でもないみたいに回ってるのが」
千尋もたたんでいたタオルを置きながら言う。
「もめそうなら、最初に寄せるんです」
「あと、嫌なことは先に言う」
と香織が続ける。
「千尋は苦手って言ったし、
慎也は曜日とか分別とか気にするし」
「僕、そこまで洗濯好きじゃないけど」
「好きじゃなくても向いてる方に流れるんだよ」
またそれだ。
向いてる方に流れる。
この家は、どうして何でもその言い方で成立してしまうんだろう。
たたみ終わったタオルがきれいに重なっている。
シャツも揃っている。
靴下もペアになっている。
「……変なのに、生活能力だけ高いな」
僕がぼそっと言うと、香織が笑った。
「変なのは前提なんだって」
千尋も小さく笑う。
「そこ、今さらですよ」
僕は二人の顔を見た。
どちらも、別に無理して笑っている顔ではない。
自然だ。
あまりにも自然すぎる。
そこが、妙に納得だ。
でも同時に、少しだけ疲れる。
こんなふうにうまく回ってしまうと、
自分だけが“変だ変だ”と言い続けているのが、
少しずつ子どもっぽく見えてくるからだ。
それがまた、嫌だった。
僕はたたみ終わったシャツを見ながら、もう一度だけ思った。
絶対、どこかで揉めると思っていた。
こんなにうまくいくわけがない。
……ないはずなのに、今日も結局うまくいった。




