第24話 買い物の連携
第24話 買い物の連携
夕方の買い物というのは、もっと雑に決まるものだと思っていた。
そういえば今日牛乳飲みきった、と思い出してコンビニに行ったついでにおでんを買ったり、
「帰りに醤油とトマトジュースと豆腐とジャガイモ買ってきて」とメールが来ていて、気軽に請け負ったら、あとから重いものばかりだと気づいて後悔したり──そういうものだと思っていた。
少なくとも、
今日は誰が行くか。
何を買うか。
冷蔵庫に何が残っているか。
その場その場で確認して、
気づいたほうが少し面倒そうにしながら、
「まあどちらかが行くしかないか」という空気で決まるものだと思っていた。
少なくとも、二人暮らしの時はそうだった。
だから僕は、三人暮らしになったら、こういうところがどうなるだろうかと思ってた。
冷蔵庫。
調味料。
買い置き。
特売。
賞味期限。
人数が増えたら絶対にややこしくなる──
はずだった。
その日の朝、香織と千尋は冷蔵庫の前で、もうその話をしていた。
「卵まだあったよね」
「あと二個あるね。買い足さなくちゃ」
「牛乳は朝で切れた」
「お味噌もそろそろ危ない」
「豆腐安い店寄る?」
僕はコーヒーメーカーの前で、その会話を聞いていた。
「何でそんな把握してるの」
思わず聞くと、香織が振り返る。
「覚えてるから」
千尋も頷く。
「私は今見たところです。」
たしかにそうだ。
香織は家事担当の中心だし、
千尋は冷蔵庫を開けて中を確認していた。
何もしてないのは僕だけだ。
なんだか、少し気まずくなった。
中身を確認して、足りないものをメモする。
それくらいは、今度から僕もやっておこう。
「今日、帰りに買い物行こう」
「18時に駅前で集合です。」
僕は靴を履きながら、少しだけ身構えた。
買い物というのは、もっとその場で決まるものだと思っていた。
でも、この家ではもう違うらしい。
朝の時点で、だいたいの話は終わっている。
仕事が終わって駅に着くと、すでに香織と千尋が待っていた。
「遅いよ」
「まだ、5時45分なんだが……」
僕の抗議は受け付けられない。
三人でスーパーへ向かう。
店に入った瞬間から、香織と千尋の動きが早かった。
「卵は買う」
「うん、あと牛乳」
「味噌も」
「豆腐は、安い方の店寄った方がいいかな」
「今日はこっちでいいと思う」
「そんなに差がないし」
「じゃあ、そうする」
「あと食洗機の洗剤は?」
「まだ、ストックがある」
「そーいえば、コーヒーフィルター切れてたね」
会話が速い。
連携プレーである。
しかも、朝に見た冷蔵庫の内容を二人ともちゃんと覚えている。
僕だけが置いていかれる。
「ちょっと待って」
二人が同時にこっちを見る。
「なんで二人ともそんな把握してるの」
香織はきょとんとした顔をした。
「朝見たじゃん」
「いや、見たけど」
「見たけど、キッチン用品の話はしてなかったよな?」
千尋が少し笑った。
「食洗機の洗剤は、この前最後の一本出していましたし」
「コーヒーフィルターは、慎也が今朝使い切ってたじゃん」
今朝確かに、コーヒーを淹れたあと、
空になったフィルターの袋をゴミ箱へ捨てた気がした。
すっかり忘れていた。
「慎也、台所あんまり見ないでしょ」
「見てるわ」
「いや……そこまで見てないだけで」
「それを見てないって言うんだよ」
香織がさらっと言った。
腹が立つ。
でも言い返せない。
たしかに僕は“台所を使う”ことはあっても、
“在庫を管理するために見る”ことはほとんどない。
千尋が棚を見ながら言う。
「トマトジュースも買う?」
「買う」
香織が即答する。
そう、香織はトマトジュースをよく飲む。
僕も千尋も、時々飲む。
「じゃあ二本ね。」
「三本でいいんじゃない?」
「慎也もたまに飲むし」
「いや、たまにだぞ」
「でも飲むじゃん」
千尋にそう返されて、僕は黙る。
飲む。
たしかに飲む。
生活の把握されっぷりがすごい。
僕は買い物カゴを持ったまま、二人のあとをついていく。
「何か他にいる?」
「ラップ」
香織が即答する。
「資源ごみ袋も」
「あ、そろそろ切れるね」
またそれだ。
妙に自然に噛み合う。
僕はカゴを持ちながら、心の中で少し呻いた。
香織と千尋は、別にきゃっきゃしているわけでもない。
騒いでいるわけでもない。
でも、生活の相談が“当たり前の会話”として成立している。
それがまた妙に落ち着かない。
恋愛の熱で繋がっている感じではない。
もっと地味で、もっと現実的で、
そのくせ妙に強い。
この共同体は、たぶんそういうところでできている。
「僕がいる意味ある?」
とうとう口に出した。
香織が振り返る。
「あるよ」
「ある?」
「荷物持ち」
即答だった。
千尋が吹き出した。
「ひどいな」
「ひどくないよ」
「慎也、力あるし」
「いや、それはそうだけど」
「じゃあ合理的ですね。」
千尋は笑う。
そこまで言われると、また反論しにくい。
合理的。
この家は、どうしてそんな言葉ばかり似合うんだ。
レジに並ぶ。
カゴの中身は、どう見ても“家庭の買い物”だった。
牛乳。
卵。
豆腐。
味噌。
ラップ。
コーヒーフィルター。
トマトジュース。
資源ごみ袋。
それに肉類。
鶏。
豚。
牛。
なぜか鶏レバーまで入っている。
「僕、鶏レバー嫌い」
「大丈夫、私たちは好きだから」
「ねー」
香織と千尋の声が揃う。
なんだか、僕より二人の方が仲がいい。
野菜も多かった。
キャベツ。
レタス。
大根。
エリンギ。
エノキ。
もやし。
何も特別なものはない。
なのに、それを三人で決めているという事実だけが、妙に引っかかる。
会計が終わる。
店員がレジ袋を持とうとした瞬間、香織が軽く手を上げた。
「袋いらないです」
「いや、もらえばいいじゃん」
「五円だろ?」
「もったいないでしょ」
あっさり返される。
そして次の瞬間だった。
香織が肩にかけていた小さめのバッグに手を入れる。
そこから、エコバッグが一つ出てきた。
まあ、それは分かる。
でも終わらなかった。
もう一つ出てくる。
さらにもう一つ出てくる。
「……ちょっと待って」
「そのバッグ、どうなってるの?」
「普通だよ」
「普通じゃないだろ」
まだ出てくる。
僕は思わず手を伸ばした。
「いや、中見せて」
その瞬間だった。
横から千尋の手が軽く僕の腕を止めた。
「だめ」
「え?」
「女のバッグは、秘密が多いの」
「触っちゃダメです」
静かな声だった。
でも妙に説得力があった。
「……そんなもんなの?」
「そんなもんです。」
千尋は小さく笑った。
香織は何も言わずに、エコバッグに商品を詰めている。
手際がいい。
というか、慣れすぎている。
「……僕、ほんとに荷物持ちだな」
「うん」
香織が即答した。
「助かる」
千尋も頷く。
「助かります」
二人とも同じことを言う。
しかも自然に。
僕は反論しようとして、やめた。
実際、今この場で一番役に立っているのは、
この荷物を持てることなのは間違いなかった。
それが分かっているから、余計に落ち着かなかった。
帰り道、エコバッグの持ち手が手に食い込む。
重い。
でも、一人で持てないほどではない。
そのくらいの重さだった。
香織と千尋は、その横で明日の献立の続きを話している。
「豆腐、やっぱり明日使う?」
「半分は使う」
「残りは味噌汁でもいいかも」
「それならネギ買っとけばよかった」
「まだあったと思う」
またそれだ。
二人はもう普通に生活の話をしている。
在庫を見て、
献立を考えて、
足りないものを決めて、
明日の話まで自然に繋がっていく。
どこにでもある買い物帰りの会話のはずなのに、
僕だけがまだ、その流れに入りきれていなかった。
しかも厄介なのは、
その流れ自体はちゃんと回ってしまっていることだ。
回るどころか、
前より効率がいい気さえする。
僕はエコバッグを持ち直した。
「……なんでこんなに“当たり前みたい”なんだ」
ぼそっと漏れた声に、香織が振り向く。
「当たり前じゃないよ」
「じゃあ何なんだよ」
「うまく回ってるだけ」
香織は平然とそう言った。
千尋も頷く。
「それって、たぶん大事なことです」
僕は返事をしなかった。
返事をすると、何か認めることになりそうだったからだ。
でも、否定もしきれなかった。
家に着くころには、
僕の手の中のエコバッグだけじゃなく、
胸の中にも少し重たいものが増えていた。
それは疲れというより、
“変なのに、なぜか回る”という現実そのものだった。
話し方について
香織 → 全部タメ口
→ 妻として親友として距離ゼロ
千尋 → 香織にタメ口
→ 親友同士の空気
千尋 → 慎也に敬語
→ 元恋人だけど一歩引いてる → “今は香織の夫”という線引き
これだけで、 三人の空気が会話だけで出る。
しかも、 二人きりで「慎也」に戻る余地がある。
千尋→慎也
慎也さん
~ですよ
~です
~ます
~でしたよね
千尋→香織
タメ口
慎也 どちらにもフラットだが、香織にはちょっと強くいう。但し、たいてい負ける。




