↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイショードーキョ(妻妾同居) 〜妻と元カノと三人で暮らしたら、家族が増えていった話〜  作者: カトーSOS


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/36

第22.5話 朝

挿絵(By みてみん)


第22.5話 朝


 キッチンには、香織が立っていた。


 炊飯器はもう炊き上がっていて、蓋の隙間から白い湯気が立っている。

 コンロの上では味噌汁が静かに温められ、グリルの中では鮭が焼ける匂いを広げていた。


 朝だった。


 ちゃんと、いつもの朝みたいに朝だった。


 それが慎也には、少しだけ信じがたかった。


 千尋の部屋のドアが開く。


 先に出てきたのは千尋だった。

 そのすぐ後ろに、慎也も続く。


 香織は振り返った。


 そして、慎也の顔を見ると、

「おはよう」

と笑顔を向けた。


 慎也は一度、目をそらした。


 反射だった。


 でも、そのままでいるわけにもいかなくて、気を取り直すように香織の顔を見る。


「……おはよう」


 自分の声が少しぎこちないのが分かった。


 千尋はもう出勤の支度を済ませていた。

 化粧もしていて、髪も整っている。


 昨夜の空気が、まるでそのまま残っているようでいて、

 千尋のその姿はもうすっかり朝の人だった。


「香織、おはよう」

「わぁ、朝食だ! 嬉しい」


 千尋はそう言って、自然に食器の準備を始めた。


 その手つきも、もう泊まりに来た人のものではなかった。


 慎也はそこに少しだけ立ち尽くしてから、

「着替えてくる」

とも言わずに、自室へ入った。


 逃げたわけじゃない。


 でも、少しだけ距離が欲しかった。


 ドアを閉めると、やっと息がつけた気がした。


 鏡の前でネクタイを手に取る。

 ワイシャツの袖を通す。

 いつもの朝の動作なのに、今日は一つ一つが妙に意識される。


 さっきまで千尋の部屋にいた。


 それなのに今、自分は自分の部屋で着替えている。


 その当たり前が、まだ当たり前として馴染まない。


 洗面所へ行き、髭を剃る。


 顔に泡をつけたまま、キッチンの方から聞こえる声をぼんやり聞いていた。


「卵かけするなら、自分でね」


 香織の声。


「はーい」


 千尋の返事。


 冷蔵庫のドアが開く音がする。


「香織は?」


「私はいい」


 そのやり取りが、妙に自然だった。


 慎也は泡を流しながら、

 この家の朝は、もう三人分で動いているのだとあらためて思う。


「慎也、卵どうする?」


 香織の声が飛んできた。


 慎也は洗面所から答える。


「僕、欲しい」


「はいはい」


 その返事も、いつも通りみたいだった。


 慎也はタオルで顔を拭きながら、キッチンへ戻った。


 香織は鮭を皿に移している。

 千尋は食卓の向こうで、卵を小鉢に割っていた。


 慎也は何も言わずにコーヒーメーカーをセットする。


 豆の匂いが立つ。


 千尋が振り返る。


「コーヒーどうする?」


 慎也ではなく、香織に聞いたのかと思ったら、

 香織が先に答えるよりも早く千尋が続けた。


「私、いらない。ミルクがいい」


「了解」


 香織はそう言いながら、三枚の皿に焼き鮭を乗せて食卓に並べた。


 それから三つの茶碗にご飯を盛る。

 三つのお椀に味噌汁をよそう。


 カップには、それぞれ違うものが入っていく。


 慎也にはコーヒー。

 千尋にはミルク。

 香織は冷蔵庫から出した冷えた麦茶。


 三人分。


 また、その数だった。


 昨夜のあとでも、その数は変わらない。


 むしろ、変わらないまま朝が来てしまったことの方が、慎也には少し怖かった。


 三人は食卓についた。


 改めて顔を見合わせる。


 慎也は何を言えばいいのか少し迷ったが、

 結局、千尋とほとんど同時に香織へ向かって言った。


「いただきます」

「いただきます」


 香織はちょっと笑って、

「召し上がれ」

と言った。


 その言い方が、少しだけおかしかった。


 でも、その少しだけおかしい感じが、今のこの家にはちょうどよかった。


 食べる時間は、ほんの十分弱だった。


 慎也はあまり喋らなかった。

 千尋も、昨夜のことには触れなかった。

 香織も同じだった。


 でも、沈黙ばかりでもなかった。


「鮭、ちょうどいいね」

と千尋が言えば、

「よかった」

と香織が返す。


 慎也は味噌汁をすすりながら、そのやり取りを聞いていた。


 変だ。


 昨夜のあとなんだから、もっと何かが壊れていてもおかしくない。

 気まずくてもいい。

 目を合わせられなくてもいい。


 なのに、そうはならない。


 壊れない。


 壊れないまま、朝ごはんが進んでいく。


 それが、この家の一番変なところなのかもしれなかった。


 慎也は食べ終わると、少し離れた感じで立ち上がった。


 食器をシンクに置く。

 軽く水で流す。


 その動作は、ほとんど無意識だった。


 香織が千尋に言う。


「食器は軽くすすいで、シンクに置いておいて。あとで私が洗うから」


「わかった」


 千尋も慎也に倣って、食器を軽くすすいで置いた。


 その流れまで揃っているのが、妙に可笑しくて、でも笑えなかった。


 慎也は鞄を持つ。


 千尋も上着を手に取る。


 二人そろって玄関へ向かった。


 香織がそこまで来て、二人を見送る。


「行ってきます」


 慎也が言う。


「行ってきます」


 千尋も言う。


「いってらっしゃい」


 香織はそう返した。


 その声は、昨日までと同じようでいて、昨日までとは違っていた。


 慎也がドアを開ける。


 外には、晴れた青空が広がっていた。


 明るすぎるくらいの朝だった。


 慎也は一歩外へ出て、それから少しだけ振り返る。


 香織は玄関の中に立っている。

 千尋はその隣ではなく、少し前に出て靴を履いている。


 位置関係まで、もう変わっていた。


 ドアが閉まる。


 その音は昨夜の終わりではなく、

 もう次の日の始まりの音だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。