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サイショードーキョ(妻妾同居) 〜妻と元カノと三人で暮らしたら、家族が増えていった話〜  作者: カトーSOS


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第22.3話 千尋の部屋

挿絵(By みてみん)


第22.3話 千尋の部屋


 廊下に出ると、家の中はしんと静まり返っていた。


 さっきまで香織の部屋にいたはずなのに、もうそこが少し遠い。


 遠い、といっても、歩けばすぐの距離だ。

 同じ家の中だ。

 でも、今の僕にとっては、その数歩が妙に長かった。


 千尋の部屋の前に立つ。


 心臓が、これでもかというくらい高鳴っていた。


 こんなの、中学の時の告白以来だと思う。


 一度、大きく深呼吸する。

 吸って、止めて、吐く。


 それでも落ち着かない。


 僕は小さく拳を握って、それからドアをノックした。


「はーい」


 千尋の声だ。


 その声を聞いた瞬間、余計に緊張した。


「ぼぐだけどぉ……」


 自分でも変な声だと思った。


 訛ったみたいな、情けない声だった。


「どうぞ」


 その返事は、拍子抜けするくらい普通だった。


 僕はそっとドアを開けた。


 千尋はパジャマ姿だった。


 可愛い、ピンク系のゆるいパジャマ。


 そうそう、千尋は前からそういうパジャマが好きだった。


 もう何年ぶりだろう。

 こんな姿を見るのは。


 思わず目を細める。


「なに? 変かな?」


 千尋は自分の身につけているものを見下ろした。


「ううん、なんか懐かしいなって」

「千尋、前からそういうパジャマ好きだったなって」


 千尋は少しだけ笑った。


「覚えてたんだ」


「まあ……そういうのは」


 そこまで言って、自分で変な気分になる。


 何でもない会話のはずなのに、

 何でもない会話だからこそ、余計に昔を思い出してしまう。


 千尋は少し身体をずらして、ベッドの端を見た。


「座る?」


「そこ、座っていい?」


 僕が指さすと、千尋は「どうぞ」と言った。


 そして、なぜかベッドを軽く払った。


 その仕草が、妙に千尋らしかった。


 緊張しているのか、していないのか分からない。

 でも、受け入れていることだけは分かる。


 僕はベッドに腰掛けた。


 千尋は、その隣に座る。


 少し、沈黙があった。


 何を言えばいいのか分からない。

 でも、黙ったままなのもおかしい気がする。


 その妙な緊張をほどいたのは、結局どうでもよさそうな、でもたぶんどうでもよくない話だった。


「そういえば、引っ越しの日、新居に帰ってきたら、千尋がリビングにいて、何が起こったのか分からなかったよ」


 僕は苦笑した。


 千尋は思い出し笑いをする。


「慎也、フリーズしてた」


「そりゃ、元カノが『おかえりなさい』だもん」

「処理落ちするよ」


 二人の笑い声が、部屋に響いた。


 その笑い方が、あまりに昔のままで、少し困る。


 まるで昨日の続きみたいだった。


 笑い声が収まると、千尋は下を向いた。


「帰国してすぐに、香織と慎也が結婚したって知ったの」


 僕は何も言えなかった。


「本当はね、私、香織と会うつもりなかったのよ」


 その声は、さっきまでより少しだけ低かった。


「会っても、気まずいかなって」

「なんて言えばいいの?」

「慎也との生活、どう?とか?」


 僕は黙って聞いている。


「もちろん、慎也とも会う気はなかった」


 その一言が、やけに重かった。


 千尋は少しだけ笑った。

 でも、それはさっきの笑いとは違う。


「ホントは会うの、楽しみだったんだよ」

「帰ってきたら、久しぶりに慎也に会えるかなって、ちょっと思ってた」


 そこで一度、言葉が切れる。


「でも、無理だった」

「結婚って聞いたら、さすがに無理だった」


 僕は視線を落とした。


 何か言うべきなんだろうけど、今ここで何を言っても違う気がした。


 千尋は続ける。


「帰国からしばらくして、香織から連絡が入ったの」

「昔よく使ってた駅前の喫茶店シエット、あそこで会うことになった」


 少し間があく。


「……そこで、全部が変わったの」


 そこから先は言わない。


 でも、言わなくても分かる気がした。


 いや、分かるなんて言ったら違うのかもしれない。

 分かった気になっているだけかもしれない。


 でも、今ここにこうして座っている以上、あの喫茶店で何かが変わったのは本当なのだろう。


 千尋は下を向いたまま、小さく笑った。


「私が出発の時、

慎也が『千尋なら絶対できる。応援してる』って言ってくれたの、覚えてる?」


「……覚えてる」


「私ね、くじけそうになったとき、口ずさんでたんだよ」

「絶対できる、って」


 その言い方が、冗談みたいでいて、冗談じゃなかった。


「でね、私、できた」


 千尋は顔を上げた。


「褒めて」


 その一言に、少しだけ息が止まる。


 子どもみたいな言い方なのに、

 子どもみたいではなかった。


 軽く返したらだめだと分かる。


 僕は少し考えてから言った。


「千尋はすごい」


 それだけだった。


 でも、それしかなかった。


 その言葉を聞くと、千尋の右目から涙が一筋流れた。


「私、慎也からその言葉が聞きたかったの」


 千尋は少し笑って、

「嬉しい」

と小さく言った。


 僕は何も言えなかった。


 一通り話すころには、夜もかなり更けていた。


 いつの間にか、最初のぎこちなさは薄れていた。


 千尋と僕は、すっかりあの頃に戻っていた。


 二人が付き合っていた、あの頃のように会話が弾む。


 楽しい。


 あの頃の千尋の声。

 あの頃の千尋の気配。

 あの頃の千尋の仕草。


 そのままだった。


 少し時間が経っただけ。

 あの頃がここにあるような気すらした。


 ふと時計を見る。


 一時を回っていた。


 僕は息をつく。


 そして、千尋の顔を見て言った。


「そろそろ、自室に戻るね」


「……そう」


 千尋は小さくつぶやいた。


 千尋の長いまつ毛が、伏し目がちに揺れた。


 その様子を見て、僕は息が詰まった。


「じゃあ、行くね」


 立ち上がろうとすると、

 千尋は僕の袖をつかんだ。


「私、今、慎也を行かせたらだめだと思う」


 僕は動けなかった。


「慎也、朝までここにいてほしい」


 ごくっ、と意図せず喉が鳴った。


 静かな部屋に、それが響く。


「それって……」


 その先が、うまく続かなかった。


 千尋は僕を見ていた。


 逃げるような目じゃなかった。

 でも、強いだけの目でもなかった。


 緊張している。

 それでも、引かない。


 そのことだけは分かった。


 僕はゆっくりと千尋の頬に手を置いた。


 千尋は甘えたように、その手のひらに頬を寄せる。


 そして、まっすぐに僕を見つめた。


 引き寄せられるように、二人の顔が近づく。


 やさしいキスだった。


 ――このキスを、僕は知っている。


 このあと、どうすればいいのかも。


 あの頃と同じように、

 二人の夜が、静かに戻ってきた。




第22.1話の続き

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