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サイショードーキョ(妻妾同居) 〜妻と元カノと三人で暮らしたら、家族が増えていった話〜  作者: カトーSOS


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第22.1話 香織の部屋

挿絵(By みてみん)


第22.1話 香織の部屋


 香織の部屋の前に立った瞬間、足が少し止まった。


 さっきまで自室の中を歩き回っていたのに、ここへ来ると、今度は動けなくなる。


 当たり前だ。


 この扉の向こうは、今まで僕と香織が一緒に寝ていた部屋だ。

 夫婦の部屋だ。

 そこへ、これから別の部屋へ向かう前に、自分から来ている。


 意味が分からない。


 でも、来ないわけにもいかなかった。


 僕は小さく息を吸って、ドアをノックした。


「はい」


 香織の声が返ってくる。


 いつもと変わらない声だった。


「僕だけど、ちょっといい?」


「うん。入って」


 その返事も、落ち着いていた。


 僕はドアを開けた。


 香織はベッドに座っていた。


 今まで二人で寝ていたベッドだ。


 思わず目をそらす。


 見慣れているはずの部屋なのに、今夜だけは少し違って見えた。

 照明の色のせいなのか、自分の頭の中のせいなのか、それはよく分からない。


「どうしたの?」


 香織は微笑んでいた。


 何の微笑みなのか、僕には分からなかった。


 安心させようとしているのか。

 もう全部分かっている顔なのか。

 それとも、僕がここへ来ることまで最初から想定していたのか。


 たぶん、その全部だ。


 僕はドアを開けたまま、

「香織」

と名前を呼んで、立ちすくんでいた。


「そんな所に立ってないで、部屋に入ったら?」


 香織はそう言って、中へ誘う。


 僕は部屋に入って、後ろ手にドアを閉めた。


 閉まる音が、妙に大きく聞こえた。


 香織はそれ以上、すぐには何も言わない。


 僕が何を言うか迷っているのを、黙って待っている。


 無理に聞き出そうとはしない。

 そのくせ、逃がす気もない。


 そういう待ち方だった。


 僕は少しだけ視線を落とした。


 何から言えばいいのか分からない。

 何を言っても、もう遅い気もする。

 でも、何も言わずにこのまま出て行くのは、もっと違う気がした。


「……怖いかも」


 ようやく出た言葉は、それだった。


 自分で言ってから、ひどく情けなく感じた。

 もっと他にあるだろうと思う。

 確認したいこととか、聞くべきこととか、責める言葉とか、たぶん色々あるはずなのに、最初に出たのがそれだった。


 香織は、笑わなかった。


「うん」


 短く、そう言っただけだった。


 それがかえって助かった。


 否定もされない。

 軽くもされない。

 ただ、そのまま受け止められる。


 だから、少しだけ続きが出る。


「香織と結婚したのに、

 これで、ひょっとして壊れちゃうんじゃないかって……

 思ってる」


 言いながら、自分で苦しくなる。


 結婚したのに、って何だ。

 結婚したからこそ、なのかもしれない。


 香織は一度だけ目を閉じた。


 それから、ゆっくり両手を広げた。


 その仕草は、あまりにも自然だった。


 僕は吸い込まれるように、その腕の中に入った。


 そして、そのまま香織を強く抱きしめた。


 抱きしめた瞬間、自分でも少し驚いた。

 こんなに強く掴んでいたのかと思う。


 香織の肩は小さかった。

 細かった。

 でも、変に頼りなくはなかった。


「優しい人」


 香織がつぶやく。


 そんなことを言われたら、僕は余計に何も言えなくなる。


 香織は、僕の背中に片手を回したまま、静かな声で言った。


「きっと、うまくいくよ」


 僕は何も答えない。


「私たちに任せておいて」


 その言葉に、少しだけ目を閉じた。


 私たち。


 香織一人じゃない。

 千尋も含まれている。


 そのことが、この夜の意味をいちばんよく表している気がした。


 僕の知らないところで話し合って、

 僕の知らないところで順番まで決めて、

 僕は今、その中へ入れられようとしている。


「慎也は、私たちを信じて」


 信じて。


 簡単に言うな、と思う。


 でも、香織は簡単なこととして言っているわけじゃない。

 本気でそう言っている。


 信じろと言うなら、

 自分もその責任を負うつもりで言っている声だった。


 僕はようやく少しだけ身体を離した。


 香織は近い距離のまま、僕の顔を見た。


「そんな泣きそうな顔しない」


「してない」


「してる」


 即答された。


 僕は否定しようとして、やめた。

 たぶん、してるのだと思う。


 香織は、少しだけ困ったように、それでも優しく笑った。


「千尋が慎也を待ってる」


 その言葉で、また喉の奥が詰まる。


 待ってる。


 その表現があまりに自然で、余計に現実味があった。


「……待ってる、って」


「うん」


「そんな普通に言うことか?」


「普通じゃないことを、普通にしようとしてるんでしょ、今」


 その返しに、僕は黙るしかなかった。


 香織は、やっぱり全部分かった上で言っている。


 変だということも。

 普通じゃないということも。

 その上で進めようとしている。


 それが、この人の怖さであり、強さでもある。


「行ってあげて」


 香織はそう言った。


 許可という感じではなかった。


 命令でもない。


 でも、ただの後押しでもない。


 もう決まっていることを、予定通りに進める声だった。


 それが、いちばん近かった。


 僕は息を吐いた。


「……香織」


「うん」


「本当に、いいのか」


 今さらだった。

 今さらだけど、聞かずにはいられなかった。


 香織は少しだけ目を細める。


「よくないことをしてるなら、こんなふうに言わないよ」


 その言い方は静かだった。


「変なのは分かってる」

「でも、分かってて決めたの」


 僕はまた何も言えなくなる。


 香織は、もう一度だけ僕を引き寄せて抱きしめた。


 今度はさっきより少しだけ短く、でも強く。


「私は慎也を愛してる」


 その言葉が、胸の奥にそのまま落ちた。


 軽くならない。

 言い訳にもならない。

 ただ、そこに残る。


 この人は本気だ。


 僕を千尋の部屋へ送り出そうとしている。

 そのくせ、愛しているとも言う。


 裏切りみたいでいて、裏切りではない。

 許されているみたいでいて、責任を背負わされている。


 そんな変な場所に、僕は立たされていた。


 抱擁がほどける。


 香織はもう、引き止めなかった。


 僕も、ここでこれ以上何かを言えば、余計に進めなくなる気がした。


 答えは出ていない。

 納得もしていない。

 でも、確認だけは済んだ。


 少なくとも、香織は理解した上で送り出している。


 そこだけは、もう疑えなかった。


 僕はゆっくりと部屋のドアに手をかけた。


「……行ってくる」


「うん」


 香織は、そう返した。


 ただそれだけだった。


 僕は部屋を出た。


 廊下の空気が少し冷たく感じる。


 逃げ道がなくなった、という感じではなかった。


 引き返せなくなった、という感じに近かった。


 僕はそのまま、千尋の部屋の方へ歩き出した。


第22.2話は欠番

次回は第22.3話

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