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サイショードーキョ(妻妾同居) 〜妻と元カノと三人で暮らしたら、家族が増えていった話〜  作者: カトーSOS


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第22.0話 落ち着かない

挿絵(By みてみん)


第22.0話 落ち着かない


 ルールは、もう決まっている。


 決まっているはずなのに、それを自分が守る側にいる実感だけが、どうしても湧かなかった。


 僕は自室の中を、意味もなく何度も歩いていた。


 座っても落ち着かない。

 立っても落ち着かない。

 机の前に座ってみても、スマホを見ても、時計を見ても、何も頭に入ってこない。


 今夜、千尋の部屋に行くことになっている。


 そう聞いている。


 聞いているだけで、まだ実感がない。


 いや、実感がないわけじゃないのかもしれない。

 実感がないふりをしているだけだ。


 分かってしまったら、進まなければいけなくなるから。


 僕はまた時計を見た。


 数分しか経っていない。


 おかしいだろ、と思う。


 数分前に見たばかりなのに、もう一度見ても何も変わっていない。

 当たり前だ。

 変わっていないのは時計だけじゃない。

 僕の頭の中も、さっきから同じところをぐるぐる回っている。


 本当にいいのか。


 二人きりで密室になって、何を話せばいいんだ。


 本当に、するのか。


 行くだけ行って、少し話をして、それで自分の部屋に戻った方がいいんじゃないのか。


 それとも、そういう中途半端なことの方が、かえって変なのか。


 香織への裏切りにならないのか。


 いや、香織は「いい」と言っていた。

 それどころか、行ってあげてとまで言うのかもしれない。

 まだ言われてもいないのに、勝手にそんなところまで想像してしまう。


 でも、妻公認で元カノの部屋に行くって、何だそれ。


 意味が分からない。


 意味が分からないのに、意味が分からないまま、現実だけが近づいてくる。


 僕は机の上に置いてあったペットボトルの水を手に取った。

 一口飲む。

 ぬるかった。


 冷蔵庫まで行って冷たいものを飲めばよかったと思ったけれど、今リビングへ出るのも何となく嫌だった。

 香織か千尋に会ったら、それだけで何かが一歩進んでしまう気がした。


 また歩く。


 自分の部屋なのに、今夜に限って、ここが避難場所みたいに感じる。

 でも実際には、避難なんてできていない。


 部屋の中にいるだけで、

 千尋の部屋がこの家の中にあることを意識してしまう。


 壁一枚、廊下一つ隔てた先に、千尋がいる。


 そう思うだけで、変に心臓が鳴る。


 声とか、多少は聞こえるだろうか。


 そんなことまで考えてしまって、僕は自分で嫌になった。


 何を考えているんだ。


 いや、でも考えるだろ。


 考えない方がおかしいだろ、こんなの。


 万一のために、避妊具は持っていくべきなんだろうか。


 そこまで考えた瞬間、頭を抱えたくなった。


「何考えてんだよ……」


 思わず口に出た。


 でも、声にしても何も変わらなかった。


 香織は、いいと言っていた。


 千尋も、分かっている顔をしていた。


 それなのに、自分だけが、その意味をちゃんと理解していない気がする。


 三人で暮らす。


 部屋を分ける。


 家賃を分担する。


 夜は、香織の部屋にも、千尋の部屋にも行く。


 あの日、二人に説明された言葉が頭の中をよぎる。

 部屋も、金も、夜のルールも、全部聞かされた。


 聞かされたのに、まだ“話”のままだった。


 現実になったのは今日からだ。


 そして、今夜が最初だ。


 最初。


 その言葉がやけに重い。


 もし今夜を通ってしまったら、本当に始まってしまう。


 さっき、もう始まってしまったと思った。

 でも、それは生活の話だったのかもしれない。


 食器が三人分あるとか、

 冷蔵庫の中身をどうするかとか、

 洗濯かごを一つにするかどうかとか、

 そういう生活の始まりだった。


 でも今夜は、もっと別の意味で始まりになってしまう。


 僕は香織が好きだ。


 これは本当だ。


 好きだから結婚した。


 好きだから壊したくない。


 裏切りたくない。


 そこに嘘はない。


 でも、千尋も好きだった。


 好きなまま別れた。


 嫌いになって終わったわけじゃない。


 夢を優先した千尋を、僕は応援した。

 応援して、そのまま離れた。


 それだけだった。


 それだけだったから、たぶん終わりきっていない。


 今でも好きなのかもしれない。


 そう思ってしまうこと自体が、もうまずい気がする。


 でも、再会してしまったのだ。


 しかも、あんな形で。


 リビングに元カノがいて、

 おかえりなさいと言われて、

 そのままこの家に住むことになっている。


 普通なら冗談だと思う。

 でも冗談じゃなかった。


 千尋は理知的で、静かで、昔よりずっと大人になっていた。

 キャリアウーマンらしい雰囲気が、かえって目を引いた。


 大学の頃よりも、綺麗だと思った。


 そのことを自分で認めた瞬間、また落ち着かなくなる。


 胸は高まる。


 高まってしまう。


 でも、本当にいいのか。


 元カノだから、もちろん千尋の身体のことも知っている。

 どこに触れたらどういう顔をするのか、とか、

 そこまで具体的に思い出したくないのに、

 身体の方が勝手に覚えている。


 それが余計にいやらしくて、困る。


 困るのに、まるで他人事みたいに思い出してしまう。


 僕はまた水を飲んだ。


 ぬるい。


 どうして今夜に限って、部屋の中の空気まで落ち着かないんだろう。


 いや、今夜に限ってじゃない。


 今日一日ずっとそうだ。


 朝、千尋が入居してきて、

 昼には生活の配置が決まって、

 さっき、もう始まってしまったと感じた。


 そこまで来て、今さら落ち着いていられるわけがない。


 僕はベッドの端に座った。


 座っても、すぐ立った。


 だめだ。


 何をしても落ち着かない。


 ルールは、もう決まっている。


 決まっているはずなのに、それを自分が守る側にいる実感だけが、どうしても湧かない。


 慎也の大切な役割だよ。


 香織にそう言われた時の顔を思い出す。

 笑っていた。

 本気でそう思っている顔だった。


 千尋も、小さな声で、嫌じゃなければ来てほしいと言った。


 あのときから、二人の中ではもう決まっていたのだ。


 僕だけが、まだ入口に立っている。


 立っているのに、進まされようとしている。


 逃げたいわけじゃない。


 いや、少しは逃げたいのかもしれない。


 でも、それ以上に、

 確認しないまま進むのが怖かった。


 本当にいいのか。


 香織は、どういう気持ちなんだ。


 千尋は、本当に平気なのか。


 僕は何をしに行くんだ。


 考えても答えは出ない。


 だから、確認するしかない。


 少なくとも、先に香織の顔を見ないと進めない。


 僕はゆっくり立ち上がった。


 ドアノブに手をかける。


 自分の部屋の外に出たら、もう何かが変わる気がした。


 でも、今ここに閉じこもっていても、何も止まらない。


 確認しないと、進めない。


 僕は自室のドアを開けた。

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