第18話 反論しきれない
第18話 反論しきれない
制度として説明されると、余計に冗談ではなくなった。
それが、今の僕の正直な気持ちだった。
三人で暮らす。
部屋は分ける。
ローンは千尋が四万五千円負担する。
生活費も別に分担する。
食費、光熱費、管理費、修繕積立金、固定資産税の一部まで計算に入っている。
そのうえで、夜のルールまで決まっている。
おかしい。
どう考えても、おかしい。
なのに、説明されればされるほど、話は冗談や勢いから遠ざかっていく。
そこが、いちばん怖かった。
「いや、でも普通じゃないだろ」
気づけば、そう言っていた。
「どう考えても」
香織は正面から僕を見る。
「うん」
「普通ではないと思う」
あっさり認められて、逆に言葉が詰まる。
いや、そこは否定しろよ、と思った。
普通だよ、とか、別に最近はこういう形もあるよ、とか、そういう雑なごまかしでも入れば、こっちだってもう少し怒りやすい。けれど香織は、普通ではないことを最初から認めたうえで話している。
だから、話がずれない。
「じゃあなんで進めるんだよ」
僕は苛立ちを隠しきれずに言った。
「普通じゃないって分かってるなら、なんでそのまま進めるんだ」
香織は、少しも視線を逸らさない。
「普通かどうかじゃなくて」
「私たちが暮らしていけるかどうかで考えてる」
その言葉に、僕はすぐに返せなかった。
暮らしていけるかどうか。
その基準が、あまりにも生活者すぎたからだ。
好きだ嫌いだとか、世間体がどうとか、そういう話ではない。もっと地味で、もっと切実で、でも毎日を本当に支える基準だった。
千尋が続ける。
「感情だけで住むつもりはない」
「ちゃんと役割も負担も決める」
「その方が長く続くと思ってる」
その言い方もまた、変に冷めているわけではなかった。
むしろ逆だった。
感情があるからこそ、感情だけでは住めないと分かっている声だった。
好きだから、未練があるから、親友だから、それだけでは続かない。
続けたいなら、決めないといけない。
役割を。
負担を。
距離を。
そういうことなのだろう。
僕は黙った。
頭の中ではまだ「おかしい」が残っている。
でも、その「おかしい」だけでは押し返せなくなっていた。
部屋の話もあった。
全員個室。
香織と千尋の部屋は離す。
プライベートを守る。
金の話もあった。
四万五千円の負担。
生活費は別。
管理費も修繕積立金も固定資産税も見ている。
夜の話まであった。
香織の部屋。
千尋の部屋。
その行き来まで、すでに二人の中では話がついている。
全部、通っていた。
僕だけが、まだ感情の入口で立ち止まっている。
そのことが、自分でも分かった。
「……反対したいんだよ、僕は」
ぽつりと、そう言った。
「してるつもりなんだ」
香織も千尋も、何も言わない。
僕は続けた。
「なのに、なんでこんなに話が具体的なんだよ」
それが、いちばんの本音だった。
反対なら、もっと気持ちよく反対したかった。
常識で殴って終われる話なら、その方が楽だった。
でも、目の前にあるのは具体的な間取りで、具体的な数字で、具体的なルールだった。
曖昧な理想論じゃない。
生活の設計図だった。
香織が、少しだけやわらいだ声で言った。
「押し切りたいからじゃないよ」
「この形なら、誰も失わないと思ったから」
その言葉は、香織らしかった。
大胆で、飛躍していて、でも本人の中ではちゃんと一本筋が通っている。
慎也を失いたくない。
千尋も失いたくない。
だったらどちらかを切るんじゃなくて、三人で回る形を作る。
そういう発想だった。
おかしい。
でも、香織はずっとそれを本気で考えてきたのだろう。
千尋が、ゆっくり口を開く。
「私も最初は無理だと思った」
その一言で、少し空気が変わった。
僕は千尋を見る。
千尋は下を向いてはいなかった。
まっすぐこちらを見てはいないが、それでも逃げてはいない。
「でも、香織が本気だったから」
「ちゃんと考えないといけないって思った」
それは、たぶん千尋の一番正直な言葉だった。
最初から賛成だったわけじゃない。
簡単に飛びついたわけでもない。
無理だと思った。
でも、それでも考えた。
友情も、未練も、どちらも壊したくなかったから。
そのうえで、今ここに座っている。
そのことが、僕には妙に重かった。
誰も軽い気持ちで言っていない。
誰も遊びで言っていない。
だから、僕の反対だけが少しずつ薄く見えてくる。
いや、薄く見えるというより、感情だけでぶつけるには相手の準備が整いすぎているのだ。
納得なんてしていなかった。
でも、反論も、もう感情だけでは続かなかった。
僕は首を縦に振っていない。
今も振るつもりはない。
それでも、二人の計画はもう現実の形をして、僕の前に置かれている。
部屋の配置として。
数字として。
生活の負担として。
夜のルールとして。
止めたいのかどうかすら、もう少し曖昧になっていた。
止めるべきだとは思う。
でも、何をどう止めるのか、その形が見えない。
それが、いちばんまずかった。
僕はまだ首を縦に振っていない。けれど、二人の計画は、もう現実の形をして僕の前に置かれていた。




