第15話 部屋割り
第15話 部屋割り
リビングの空気は、まだ重かった。
さっきまで飛び交っていた言葉が、そのまま部屋の中に残っている気がする。妻妾同居だの、三人で暮らすだの、聞いたことのない説明を聞かされたせいで、頭の中はまだ全然整理できていない。
香織と千尋は、もう少し先の場所にいる。
僕だけが、そこに追いついていない。
それだけは、はっきり分かった。
「……三人で暮らすって言われても」
ようやく出た声は、自分でも思ったより弱かった。
「具体的にどうするつもりなんだよ」
その問いに、香織は少しも詰まらなかった。
「まず、部屋の話からするね」
僕は思わず聞き返した。
「部屋?」
「うん」
香織はそう言って、まるでごく普通の引っ越し相談でもするみたいに話し始めた。
「部屋は三つあるでしょ」
そこまでは分かる。
さすがに、その事実までは僕も知っている。見学にも行ったし、ローンも組んだ。知らなかったのは、その三つを誰がどう使うつもりだったのか、それだけだ。
香織は指を折るみたいに、淡々と言った。
「慎也の部屋」
「私の部屋」
「千尋の部屋」
「……は?」
間抜けな声が出た。
香織はその反応を想定していたみたいに、落ち着いたまま僕を見る。
僕は思わず身を乗り出した。
「ちょっと待て」
「全員、別室なのか?」
「うん」
「最初からそのつもり」
最初から。
その言葉が、また妙に重かった。
最初から、ということは、やっぱりこの話は途中で思いついたようなものじゃない。千尋が今ここにいることも、三人で住むという話も、その先の部屋割りまで、全部まとめて最初から考えてあったということだ。
「いや……」
「そこ、そんなにはっきり決まってるんだ」
僕がそう言うと、千尋が小さく口を開いた。
「全部一緒にすると、たぶん続かないと思う」
僕はそちらを見る。
千尋は少しだけ視線を落としながらも、でも逃げる声ではなかった。
「一人になれる部屋は、ちゃんとあった方がいい」
その言い方に、僕はまた変な気分になる。
あまりにも真っ当だったからだ。
今しているのは、まともな共同生活の相談なんかじゃないはずなのに、出てくる内容だけは妙にまともだった。
「そんなの、普通の夫婦でもそこまで考えないだろ……」
思わずそう漏らすと、香織がすぐに返した。
「普通の夫婦じゃないから、ちゃんと考えてるの」
その言い方に、言葉を失う。
開き直っているというより、本当にそこを出発点にしている声だった。
香織はさらに続ける。
「それに、私の部屋と千尋の部屋は離すつもり」
「隣同士にはしない」
「……なんで?」
聞いた瞬間、自分でもその問いの答えを聞きたくない気がした。
でも、聞かないわけにもいかなかった。
香織はまったく躊躇わずに答える。
「プライベートを守るため」
「声とか、気配とか、近すぎるとしんどいでしょ」
僕は言葉に詰まった。
今、さらっと何を前提にしてる?
その問いが、そのまま口から出た。
「いや、ちょっと待て」
「今、さらっと何を前提にしてる?」
香織は少しもひるまない。
「前提じゃなくて配慮だよ」
「配慮って……」
その単語を復唱しただけで、頭が痛くなりそうだった。
三人で住む、というだけでも十分意味が分からないのに、その上でさらに、部屋の距離まで調整して、気配や声の問題まで考えている。そこまで来ると、もう冗談では済まない。
いや、最初から冗談ではないのだろうけど、僕の方が勝手にまだどこかで“勢いで言ってるだけかもしれない”と思いたがっていたのかもしれない。
でも違う。
違うのだと、こういう話をされると分かってしまう。
「そんなところまで考えてるの?」
「怖いんだけど」
正直、そのまま言った。
香織は少し首を傾ける。
「暮らすってそういうことでしょ」
その答えが、いちばん怖かった。
そこには照れもなければ、変な含みもない。ただ本当に、生活者として当たり前のことを言っているだけの顔だった。
千尋も、小さく頷く。
「……近すぎると、たぶんみんなきついと思う」
みんな。
その言い方も重かった。
僕一人の問題ではなく、香織と千尋が二人で話し合って、三人にとってどうするのが一番無理が少ないかまで考えている。そこに僕は入っていない。けれど、僕も含めて設計されている。
そのことが、ひどく気味が悪かった。
僕は頭の中で、間取りを思い浮かべる。
三つの部屋。
廊下を挟んだ位置関係。
見学のとき、ただ「三部屋あるんだな」としか思っていなかった空間が、今はまるで別の意味を持って立ち上がってくる。
あのとき香織が、妙に三部屋にこだわっていた理由も、ようやく分かってしまう。
最初から、三人で住むつもりだったからだ。
それもただ住むのではなく、それぞれの距離や役割や気配まで考えたうえで。
僕は深く息を吐いた。
「……いや」
「ほんとに、そこまで考えてたんだな」
香織はあっさり言う。
「考えるよ」
「住むんだから」
千尋は何も言わない。
でも、その沈黙は受け身の沈黙じゃなかった。自分もその話に関わっている人間の沈黙だった。
僕だけが、まだ部屋の入口に立たされたままみたいだった。
三人で住む、というおかしな話のはずなのに、部屋割りだけは妙に筋が通っている。
それが、たまらなく嫌だった。
いや、嫌というより、怖かった。
感情がおかしい話なら、感情の側から反発できる。そんなの無理だ、と言い切れる。でも、間取りの話をされると、そこには現実がある。三部屋あることも、全員に個室を割り当てられることも、部屋を離して配置すれば互いの気配を薄くできることも、全部本当のことだ。
おかしい話のはずなのに、部屋割りだけは妙に筋が通っていた。
そのことが、僕をますます黙らせた。
第12話の続きです




