表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイショードーキョ(妻妾同居) 〜妻と元カノと三人で暮らしたら、家族が増えていった話〜  作者: カトーSOS


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/16

第11話 妻妾同居

挿絵(By みてみん)


第11話 妻妾同居


 説明は、これから始まる。


 そう思った瞬間に、むしろ頭の中は余計に混乱した。


 説明されて分かるような話なのか、これが。


 三人で暮らす。


 香織はそう言った。


 言葉としては分かる。日本語として難しくもなんともない。でも、その言葉が目の前の現実と結びつかない。結びつけたくない、と言った方が正しいのかもしれない。


 僕は息を吐いて、ようやく言った。


「いや、待ってくれ」


 香織も千尋も、黙って僕を見ている。


「それ、どういう意味なんだよ」


 問いとしては、同じことを何度も聞いているのだと思う。けれど、同じことしか聞けなかった。ほかの角度から聞いたところで、今の僕には理解の入口が見つからない。


 香織は、驚くほど冷静だった。


「そのままの意味だよ」


 その答えがいちばん困る。


「そのままって何だよ」


 思わず声が少し強くなる。


 けれど香織は感情的にならない。ただ、こちらがようやく追いつくのを待っているような顔をしていた。


 そのとき、千尋が口を開いた。


「……私も、ちゃんと考えてる」


 その声は小さかったけれど、逃げる声ではなかった。


 僕はそちらを見る。


 千尋は視線を落としかけながらも、最後までは逸らさなかった。


 逃げていない。


 そのことが、かえって現実味を増した。


 もし千尋が完全に受け身で、香織に押し切られてここにいるだけなら、まだ話の置きどころはあったのかもしれない。でも今の言い方は違う。自分も考えている。自分もこの話の中にいる。そういう声だった。


「いや、だから意味が分からないって言ってるんだよ」


 僕は額に手を当てたくなった。


 香織は僕を見て、静かに言った。


「慎也、千尋のこと、嫌いで別れたんじゃないんだよね」


 僕は顔を上げた。


 その問いは、まっすぐすぎた。


「……」


 すぐには答えられない。


 答えようとした瞬間、喉の奥が詰まった。


 香織は続ける。


「日本にいなくても、応援してるって言ってたじゃん」

「千尋、帰ってきたんだよ」


「……うっ」


 間抜けな声が漏れた。


 帰ってきた。


 その事実は、さっきからずっと目の前にある。


 でも、香織にそう言葉にされると、別の意味で重くなる。


「好きだったんだよね」

「慎也、今でも千尋のこと好き?」


 僕は香織を睨んだ。


 言わせるな、と思った。


 でも、香織は引かない。


「俺はお前が好きだよ。だから、結婚した」


 それは本心だった。


 迷いなく言えることだった。


 僕が結婚したのは香織だ。好きだからだ。そこに嘘はない。


 でも香織は、首を横に振った。


「そんなこと聞いてない」

「千尋のこと」


 僕は言葉に詰まった。


 答えたくない、というより、答えが単純じゃないから困るのだと、そのときようやく分かった。


 香織は今度は千尋を見る。


「千尋、千尋は慎也のこと好き?」


 千尋の肩が、わずかに揺れた。


「私は……」


 そこで一度言葉が切れる。


 でも、逃げなかった。


「私は慎也が好き」

「今でも好き」

「日本に帰ってきたとき、慎也に会えるの楽しみにしてた」

「でも、香織と結婚したって聞いたから、会うの我慢してた」


 僕は千尋を見た。


「千尋……」


 千尋は少しだけ目を伏せて、それから小さく続けた。


「でも、香織も大事」


 その言葉は、また違う重さを持っていた。


 香織が言う。


「私も千尋が大切な親友」

「もちろん慎也は大好き」


 それも本気なのだと分かる。


 だからこそ、話が余計におかしい方向へ進んでいるのが分かって、僕は混乱した。


 香織はゆっくり言葉を並べていく。


「私と千尋は親友同士」

「私も千尋も慎也が好き」

「慎也は私が好き」


 そこまで言ってから、まっすぐ僕を見る。


「千尋のことは好き?」


 僕は息を飲んだ。


 沈黙が落ちる。


 ごまかしたい。


 でもごまかせない。


「き……嫌いなわけない」


 ようやく出た言葉は、それだった。


 香織がすぐに返す。


「それは、好きって意味だよね」


 僕は何も言えなかった。


 香織は、まるで簡単な数式を解くみたいに、静かに結論へ進んでいく。


「なら、私たち三人、全員大切な人同士の集まりじゃん」


 一拍置いて、香織が言った。


「だから、一緒に住むの!」


 僕は完全に言葉を失った。


 理屈の形をしているのに、そこから出てくる結論が飛躍しすぎている。


 でも香織の中では、それが本気でつながっているのだと分かる。


 千尋は固まったまま、でも否定しない。


 僕だけが、その理屈の前で完全に置いていかれていた。


 言葉は聞こえている。


 感情も分かる。


 でも、その感情からその結論に行くのは、僕の中の常識では追いつかない。


 理解したいのに、理解できない。


 それがいちばん苦しかった。


 香織は静かに続ける。


「分かりやすく言うと――」


 そこで一度だけ間を置いた。


 その間がいやに長く感じる。


 そして香織は、はっきり言った。


「妻妾同居」


 僕は止まった。


 頭の中で何かが一瞬、空白になる。


「……は?」


 それしか出てこなかった。


 今、何て言った。


 聞き間違いじゃないと思う。思うけれど、確認したくない気持ちの方が強い。


 香織は変わらず落ち着いている。


 千尋は少しだけ気まずそうにしているけれど、それでもこの場から逃げるつもりはない顔をしている。


 僕だけが、言葉の意味に引っかかっている。


 妻妾同居。


 言葉としては知っているような、知らないような、微妙な位置にある単語だった。聞いたことはある。たぶん昔の制度とか、時代劇とか、そういう方向の言葉だ。少なくとも、今、自分の新居のリビングで聞く類の言葉ではない。


「ちょっと待て」


 僕は反射的にそう言った。


「その説明で、余計おかしくなった」


 本当にそうだった。


 三人で暮らす、という意味不明な話が、さらに見たこともない漢字四文字に変換されて、余計に分からなくなった。説明のはずなのに、知らない概念が増えただけだ。


 香織は、少しだけ首を傾ける。


「でも、意味としては近いでしょ」


「近いとか近くないとかの問題じゃない」


 僕は即座に返した。


「なんで今その単語が出てくるんだよ」


 千尋が小さく息を吐く。


 笑ったわけではない。困ったような、でも少しだけ諦めたような息だった。


 僕はその気配に気づいて、余計に落ち着かなくなる。


「いや、待ってくれ」


 また同じことを言っている気がする。


 でも、それしか言えなかった。


「三人で暮らすってだけでも意味分かんないのに、なんでそんな……」


 言いかけて、言葉が続かない。


 香織が引き取るように言う。


「言葉にすると、そういうことだよ」


 その言い方が、また冷静すぎる。


 もうこの話を何度も頭の中で整理してきた人間の言い方だった。


 僕だけが初見で、二人はもう何度もこの説明を済ませてきたみたいだった。


「私、冗談で言ってるんじゃないから」


 香織は、そう付け加えた。


 その声は強くもなく、弱くもなかった。ただ事実として置いてくる声だった。


 千尋も、小さく頷いた。


「……うん」


 僕はテーブルの上のマグカップを見た。


 三つある。


 それが急に、さっきよりも重く見えた。


 この部屋に千尋がいる、という現実だけでもまだ受け止めきれていないのに、二人はその状態に名前までつけている。三人で暮らす話に、自分の知らない単語と、自分の知らない覚悟がもう乗っかっている。


 読める。


 聞こえる。


 言葉として理解はできる。


 でも、その言葉が僕の生活と結びつかない。


 妻妾同居。


 サイショードーキョ。


 頭の中で音だけが浮かんで、意味が後から追いかけてこようとする。でも、その途中で僕の理解が止まる。


「……はあ?」


 もう一度、似たような声が漏れた。


 自分でも情けないと思う。でも、これが正直な反応だった。


 千尋は少しだけ目を伏せたまま、それでも席を立とうとはしない。


 香織は正面から僕を見ている。


 二人とも、この話を進めるつもりでいる。


 僕だけが、まだ入口で止まっている。


 言葉は提示された。


 でも意味は、まるで飲み込めていない。


 それなのに、二人の間ではすでに通じている。


 そのことが、いちばん怖かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ