第8話 奇妙な依頼
「ミリアちゃん、あんたにご指名よォ」
『Rosa's Nest』のカウンターに置かれた革袋の重みと、こぼれ落ちた金貨の輝き。
「金貨十枚?『陽光の回廊』の再調査ごときで?」
「ええ。アタシも耳を疑ったけどねェ」
ローザが呆れたように肩をすくめ、極彩色の付け爪で依頼書を弾く。
「罠だろ、そいつは」
隣でジョッキを傾けていたブレイズが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
彼はわたしが受け取ろうとした依頼書を横からひったくり、獣のような目で睨みつける。
「『陽光の回廊』だあ?あそこは十年以上前にとっくに攻略されて、今じゃ帝国の管理下だ。入り口には衛兵が立ってて、観光客から入場料を取るような場所だぞ?そんなお遊戯みたいな仕事に金貨十枚だと?ふざけてやがる」
ブレイズの言う通りだ。
『陽光の回廊』は、今や遺跡というより歴史公園に近い。危険な魔物は駆除され、罠も全て解体済み。休日には家族連れが弁当を広げるような場所だ。
わざわざ『遺跡喰らい』を指名するような場所では断じてない。
「十中八九、わたしをおびき出す餌ね」
わたしはグラスに残った『孤独な女王』を飲み干し、断言した。
ブレイズから依頼書を奪い返し、口角を吊り上げる。
「でも面白そうじゃない。どんな間抜けが仕掛けてきたのか、見てみたいわ。……それとも『金獅子』様は怖じ気づいた?」
「ああん?誰がだ!」
ブレイズがバンッとカウンターを叩き、立ち上がる。
その巨大な影が、わたしをすっぽりと覆い隠した。
「面白え、受けてやるぜ。どんな雑魚だろうが薙ぎ払ってやるよ」
こちらも、面白いほど簡単に乗ってくる。
呆れたふりをしながらも、わたしの胸の奥で小さな高揚感が弾けた。
◇
翌日、最大級の警戒で踏み込んだ『陽光の回廊』は――平和そのものだった。
「……何の冗談よ、これは」
楽しげに手作りのお弁当を広げる家族連れ。
古代の歴史ロマンに思いを馳せ、ベンチでいちゃつくカップル。
熱心にスケッチブックに向かう学生たち。
土産物屋からは「名物、陽光クッキーはいかが〜!」という陽気な呼び込みの声まで聞こえてくる。
殺気?罠?
そんなものは微塵もない。あるのは、のどかな休日の空気と、串焼き肉の匂いだけだ。
「……チッ」
大剣を背負い殺気を放つブレイズだけが、この場の異物だった。
ピクニック中の子供が、ブレイズを見て「ママー、怖いお兄ちゃんがいるー」と泣き出す始末だ。
わたしは観光客に混じり、指定された石碑の前に立った。
刻まれているのは、ありふれた豊穣を祈る詩。
何年も前に解読され、隣には解説の看板が立っている。
しかし――。
「——違うわ」
わたしは無意識に、指先でルーン文字をなぞっていた。
観光客たちが「へぇー、昔の文字にはこんな意味が」と通り過ぎていくその模様の中に、わたしには別の『意味』が見えてくる。
この配置、ただの詩じゃない。古代の天文学に基づいた、季節を告げる暦そのものだわ。
文字たちが語りかけてくる。
春分の日にだけ、太陽の光が特定のルーンを照らし出し、魔術的な仕掛けが作動する構造。
これは、ただの祈りの言葉ではなく、農業の開始時期を知らせるための実用的な「機能」を持った石碑だったのだ。
「おい画伯、何か分かったのか」
「ええ。これ、解釈が間違っているわ」
わたしは羊皮紙を取り出し、さらさらとペンを走らせた。
本来の意味、魔力の流れ、そして春分の日における太陽光の入射角の計算式。
ただの調査レポートではない。これは、失われた古代の叡智を現代に蘇らせる、わたしにしか書けない「翻訳書」だ。
ペン先が紙を滑る音だけが、周囲の喧騒を遠ざけていく。
「……ふん。お前、ホントに楽しそうな顔しやがるな」
ブレイズの呆れたような、でもどこか優しい声が降ってくる。
気づけば、彼はわたしの背中を守るように立ち、日差しをその大きな体で遮ってくれていた。
結局、最後まで襲撃者は現れず、罠が仕掛けられていることもなかった。
わたしは完璧なレポートを仕上げ、拍子抜けするほど無事に帰路についた。
◇
襲撃者は現れず、報酬は正当に支払われた。
だが、奇妙な依頼は終わらない。
『月見の丘の音響調査』。
『風詠みの神殿の壁画考証』。
そのどれもが、『陽光の回廊』と同じく、とうの昔に調査され尽くした安全な遺跡ばかり。
そして、要求されるのは常に「ミリアの視点による詳細なレポート」のみ。
わたしたちはその度に、罠を警戒して現場に赴き、そして何も起こらないまま、わたしがレポートを書き、ブレイズが欠伸をして帰ってくる。
財布は面白いように潤っていったが、わたしの胸の中の不審感は、日増しに強くなっていった。
一体、誰が、何のために?
ただの金持ちの道楽にしては、指定される遺跡のチョイスがマニアックすぎる。
まるで、わたしの「目」を試しているかのような。
「……おい、ミリア。眉間にシワよってるぞ」
わたしの額にブレイズの指がのびる。
それを軽くはたき落としながら、わたしは考えるのをやめない。
「金払いが良くて、安全な仕事だ。文句ねえだろ?お前のその『落書き』が高く売れてるだけだ」
「高尚な学術レポートよ」
払い除けた彼の手の、その温かさに少しだけ救われた気がした。
だが、胸の奥の疑念は消えない。
正体不明の視線が、常にわたしに向けられている。
決して姿を見せず、ただ静かに、わたしの『価値』を値踏みしている誰かが、この帝都のどこかに潜んでいる。




