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第9話 静謐の賢者

またしても、不可解な依頼。

そして、不自然すぎる静寂だった。

本来なら観光客の笑い声や、土産物屋の呼び込みが響いているはずの『古代月光王の霊廟』。

けれど今、ここにあるのは、舞台の幕が上がる直前のような、張り詰めた空気だけ。


「……どうやら、ようやくお出ましのようだな」


「ええ。随分と、もったいぶってくれたものね」


隣で、ブレイズが大剣の柄に手をかけ、獰猛な笑みを浮かべる。

その黄金のたてがみが、警戒色に逆立っているのが気配でわかった。


全く、この男はいつだって楽しそうなんだから。


わたしも双剣の柄に指をかける。

広場の中央、かつて王を祀った祭壇の前に、二つの影が待っていた。


一人は、純白の賢者の塔のローブに身を包んだ、ボリューミーな金髪ボブの華奢な少女。まだ幼い顔立ちだが、その瞳には狂信的な光が宿り、わたしたちを射殺さんばかりに睨みつけている。


そして、もう一人。

その青年の姿を認めた瞬間、隣にいるブレイズの空気が一変した。

威風堂々とした猛獣のオーラが嘘のように霧散し、露骨な忌避感を漂わせる。

まるで、この世で最も顔を合わせたくない相手に不意打ちで遭遇してしまったかのような。


「……アズール」


ブレイズの喉から、呪詛のような低い唸りが漏れる。


その視線の先にいる青年は、まるで汚物を見るような冷ややかな瞳で、わたしたち――いいえ、ブレイズを見下していた。


手入れの行き届いた絹糸のような暗めの金髪。彫刻のように整った、中性的な美貌。

ブレイズと同じく空の色をしていながら、一切の光を映さない、深い夜空色の瞳。


その美貌は、確かにブレイズと似ているけれど、決定的に何かが違う。太陽のようなブレイズに対し、彼は凍てつく冬の夜空そのものだ。


「お久しぶりですね、兄さん。……いや、クリフォード家の名を捨て、地に堕ちた反逆者、と呼ぶべきでしたか」


「てめえ、なんでここにいる!」


ブレイズが一歩前に出て、わたしを背に庇うように大剣を引き抜いた。

彼はブレイズの行動を鼻で笑うと、その視線をゆっくりとわたしに向ける。


その瞬間、ぞくりと背筋に悪寒が走った。


彼の手に握られているのは、数枚の羊皮紙の束。

わたしがここ数週間で提出した、遺跡調査のレポートだ。

彼はまるで、愛する恋人からの手紙を読み上げるかのように、うっとりとした口調で語り始めた。


「『陽光の回廊』の石碑……これは古代の天文学に基づいた暦そのものである……」


「『月見の丘』の音響装置……これは増幅と反復の結合による、立体的な音声の拡散を可能にしている……」


彼が読み上げたのは、わたしが書いた考察の一文だった。

首の後ろが粟立つ。

寒くもないのに、腕の毛穴がぷつぷつと閉じていく。

自分の日記を勝手に朗読されているような、生理的な不快感。


「……素晴らしい。実に見事だ。賢者の塔が数十年かけても『単なる装飾』と結論付けたルーンの真の意味を、貴女は初見で見抜く。我々が『解析不能』と匙を投げた術式を、あなたはまるで設計図を読むかのように完璧に理解している」


彼はレポートを愛おしそうに撫で、熱に浮かされた瞳でわたしを見つめた。

アズールが一歩、わたしへと近づく。

その瞳には、もはやブレイズなど映っていない。


「教えてください、ミリア。どうやってこれを解読したのです?そこにはどんな論理体系が?どんな未知の法則が存在する?貴女の頭脳なかには、我々が失った古代の叡智が、完璧な形で保存されているに違いない!」


彼は一度だけ、侮蔑の視線をブレイズへと投げかけた。


「その力は、そこの野蛮な獣の隣で、ただの便利な道具として腐らせておくべきものでは断じてない。宝の持ち腐れとは、まさにこのことだ」


そして再びわたしに視線を戻す。

それは、一人の女性に向ける視線ではない。

未知の生態を持つ実験動物や、希少な鉱石を見る目。

純粋な知的好奇心と、底なしの独占欲が混ざり合った、狂気の色。


「ミリア、ボクの元へ来なさい」


彼は優雅に手を差し伸べた。

そこには、わたしの意思など最初から存在しないかのような傲慢さがあった。


「貴女のその力は、正しく管理されるべき帝国最高の『資産』だ。ボクが、その力の秘密を完璧に解き明かして見せる。賢者の塔の庇護の下、その爪、その髪の毛の一本に至るまで、完璧に解析して差し上げます」


あまりの独善ぶりに、怒りを通り越して呆れがこみ上げてくる。

わたしを物か何かと勘違いしているのかしら。


「断るわ」


「……残念です」


わたしは即答した。氷の刃のような拒絶を込めて。

アズールは肩をすくめる。

その態度には余裕すら感じられる。


「ですが、貴女の意思は関係ない。貴女は、ボクが用意した安全な『檻』の中で、ボクのためにその力を使えば良いのです。……セシリー」


彼がそっと目配せをする。

背後の少女が一歩進み出ると、杖を掲げ、高速で詠唱を開始した。


「――『光よ』、理の鎖となりて、彼の者らの不浄を戒めよ!!」


世界が、黄金の光に塗り潰される。

地面から立ち上った光の柱が、ドーム状に広場を閉鎖していく。


「なっ……なんだ、こりゃあ!?」


隣でブレイズが膝をつく気配がした。

わたしもまた、突然の重力に押し潰されそうになる。

手足が鉛のように重い。呼吸をするたびに、肺が熱い泥で満たされていくような感覚。


魔力マナだ。


大気中に満ちているはずの魔力が、完全に遮断されている。


「この世界の全ての生命は、無意識に大気中の魔力を取り込み、自らを強化しています。この結界は、それを根源から遮断する。あなた方は、呼吸を止められたも同然なのですよ」


だというのに、光の中心にいるアズールとセシリーだけは、何の影響も受けていないかのように平然と立っている。

彼らの胸元で、銀のアミュレットが嘲笑うように光っていた。


「もちろん、この結界の『鍵』を持つ、ボクたちを除いてはね」


卑怯な。自分たちだけルール無用ということか。

アズールが指先を上げる。


「『切り裂け』——」


それだけで、無数の真空の刃が生成され、殺意となって襲いかかってきた。


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