第6話 金獅子(2)
「……ねえローザ。あのストーカー、どうにかならないの」
グラスの氷越しにローザを睨むわたしの隣で、当のストーカーはふんぞり返って酒を煽っている。
当たり前のように隣に座る態度が忌々しい。
わたしはつまんでいたナッツをぶつけてやろうと狙いを定めて——やめた。そんな事をしても喜ばせるだけだ。
「ストーカーじゃねえ。護衛だと言ったはずだぞ」
「頼んでないわよ」
ローザは意味深な笑みを浮かべ、わたしたちを見比べた。
「あらァん、満更でもないくせにィ。最近のミリアちゃん、前よりずっと良い表情するようになったわよォ?」
「……はあ?」
「当たり前だ」
わたしの反論を遮り、ブレイズが勝ち誇る。
彼はジョッキをカウンターにドンッと叩きつけ、たてがみを揺らす。
「こいつの稼ぎが倍になったのは、俺様がタダで用心棒をやってやってるおかげだからな」
パシッ!
抱き寄せようと伸びてきた手を、わたしは無慈悲に払い落とした。
「気安く触らないで」
「ハッ、手厳しいな。これだけ働いてやってんだ。酒の一杯くらい奢れよ、相棒」
「…………」
わたしは顔を背けた。
認めたくない。
認めたくはないが、わたしの冷えた心はこの熱を心地よく感じ始めている。
◇
古代ドワーフの遺跡『錆びついた炉』。
「……信じられないわ。こんな複雑な歯車機構……!」
退屈そうな彼を背に、わたしは夢中で構造を書き写す。
すごい、こんなに精緻なギミックは初めてよ!
特にこの歯車に刻まれた増幅と抵抗のルーン、これが全体の馬力を支えているのね!
「ハッ、ドワーフの連中はチマチマしたのが好きだな」
相変わらず後ろでは、ブレイズがあくびを噛み殺す気配がする。
しかし、以前ほど腹立たしくはなかった。
彼が近くにいるのが、わたしの日常になりつつある。
「繊細と言ってちょうだい。脳みそまで筋肉のあなたと一緒にされたら、向こうも迷惑でしょうね」
「なんだと、てめえ」
軽口を叩きつつ踏み出した足元で、石版が沈む音がした。
しまっ――!
ヒュンッ!
風を切る鋭い音。
石壁の隙間から、鋼鉄製の矢がわたしの首元めがけて射出された。
回避は間に合わない。死を覚悟して目を閉じた、その時。
ガッ、という鈍い音と、温かい飛沫がわたしの頬にかかった。
「……ッ、たく。危なっかしいな、お前は」
恐る恐る目を開けると、わたしの目の前には、太い腕があった。
ブレイズだ。
彼が咄嗟に左腕をわたしの目の前に突き出し、矢を受け止めていたのだ。
腕には矢が突き刺さり、そこから赤い血が滴り落ちている。
「ブレイズ……!?」
「騒ぐな。かすり傷だ」
彼は顔色一つ変えず、矢を引き抜き、無造作に放り捨てた。
傷口は浅い。けれど、わたしのミスのツケを彼が支払った事実は変わらない。
「かすり傷って……血が出ているじゃない!毒は!?痺れはないの!?」
「平気だ。俺の体は頑丈だからな」
彼はニカッと笑って見せたが、わたしは笑えなかった。
罠の存在を見落とすなんて、プロ失格だ。
わたしは急いで腰のポーチから包帯と薬瓶を取り出した。
「……腕、出しなさい。手当てするわ」
「いいって、これくらい……」
「いいから!わたしの気が済まないの!」
わたしが剣幕に押され、彼は渋々といった様子で腕を差し出した。
消毒液をかけ、丁寧に包帯を巻いていく。その間、彼は黙ってわたしのつむじを見下ろしていた。
その視線に首の後ろが熱くなる。
「……悪かったな、驚かせて」
「謝るのはこっちよ。……ありがとう」
包帯を巻き終え、小さく呟くと、彼は大きな手でわたしの頭をガシガシと撫でた。
「気にすんな。お前を守んのが俺の仕事だろ」
その手のひらの熱さが、妙に胸に染みた。
鼻の奥がツンとする。
◇
『Rosa's Nest』のカウンターに、重たい革袋が置かれる。
わたしは溢れ出た金貨を無言で二等分し、片方をブレイズへ滑らせた。
「……あ?」
「……報酬よ」
視線を逸らしたまま告げる。
どうしてか、彼の顔をまともに見られなかった。
「あなたにも、受け取る権利があるわ。……手伝ってもらったのは事実だから」
「まあ……っ!まぁ、まあ、まあ!」
一瞬の静寂の後、大げさな吸気音が響いた。
「大変よォ!見てちょうだい、この歴史的瞬間を!」
カウンターの向こうでローザが両手で口元を覆い、のけぞる。
「あの誰にも懐かなかった氷の女王様が、ついに野蛮なライオンちゃんに絆されちゃったわァ!明日は槍どころか、金貨の嵐が吹き荒れるんじゃないかしらァ!」
「ち、違うわよッ!」
的確な茶々に頬が熱くなる。
わたしの気持ちを知ってか知らずか、ローザはカウンターの中で両手を広げたまま、くるくると舞い踊っている。
わたしはローザに、いえ、自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「これはビジネス!そう!彼の労働力に対する、正当な対価の支払いよ!それ以上でも、それ以下でもないわ!」
「はいはい、そーいうことにしておくわねェ。ママ、野暮なツッコミはしない主義だものォ」
ローザはピタッ、と動きを止め、バチンッと音が聞こえてきそうなウインクを放った。
ニヤつくローザと憤慨するわたしを見て、ブレイズが喉を鳴らして笑った。
彼は金貨を鷲掴みにし、懐へ放り込む。
「ま、正直なところ、そろそろ懐具合も心もとなくなってたとこだ。ありがたく貰っとくぜ」
酒を煽り、ニカッ、と晴れやかな笑顔を向けてくる。
その笑顔を何故か直視できず、わたしはグラスに視線を落とす。
顔が少し熱いのは、お酒のせい、よ。
「これからもよろしく頼むぜ、相棒」
パシッ。
乾いた音が響く。
勢いのまま伸びてきた手を、叩き落とした音。
しかし、その音は以前よりもずっと軽やかだ。
「勘違いしないで。わたしが認めたのは、あくまで仕事上の関係だけよ」
顔の熱は、彼のいつもの行動のおかげですっと引いた。
「プライベートで気安く触れる許可は出していないわ」
「そうかそうか、『ビジネス』か」
拒絶さえ楽しむように目を細め、彼は耳元へ顔を近づけた。
熱い吐息が耳にくすぐったい。
「じゃあ、次の『ビジネス』のために、朝までじっくり作戦会議でもするか?もちろん、俺の部屋で、二人きりでな」
「――しないわよ!!」
わたしの怒声と二人の笑い声が夜に溶ける。
もう一度彼の手を叩いたが、以前のような冷たさは込められなかった。




