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第5話 金獅子(1)

帝都から少し離れた、古代遺跡『霧幻の森』に向かう途中。


「……静かね」


腰の双剣に手をかけ、警戒しながら足を踏み入れる。

事前の調査によれば、ここは「苔狼モスウルフ」の縄張りになっているはずだ。集団で狩りを行う厄介な魔物で、遺跡の入口付近にはその群れが待ち構えている――はずだった。


けれど、わたしの視界に飛び込んできたのは、無残に積み上げられた苔狼の山と、その頂点で退屈そうに欠伸をしている金髪の男だった。


「おっ、やっと来たか。遅えぞ、画伯」


ブレイズだ。

彼は血に濡れた大剣を布で拭いながら、まるで待ち合わせに遅刻した恋人を迎えるような気安さで手を上げた。


「……あなたね。また、わたしの邪魔をするつもり?」


「人聞きが悪いな。露払いをして待っててやったんだぜ?感謝してほしいくらいだ」


ニカッと笑うその顔を見て、わたしはすぐに察した。


「……ローザね」


「あいつ、ふっかけるのが上手くて敵わねえよ」


悪びれもせず認めるブレイズ。

あの女狐、わたしに情報を売っておきながら、それをこの男も横流しして二重に儲けているわけだ。


「帰ってちょうだい。獲物を横取りされるのは不愉快よ」


「俺は魔物に用はねえよ。言っただろ、俺の獲物はお前だ」


彼はヒョイと大剣を担ぐと、わたしの隣に並んだ。

その全身から発せられる熱気と、微かな血の匂い。

拒絶しようと口を開きかけたが、彼は先回りするように顎で遺跡の奥をしゃくった。


「ほら、行こうぜ。お前の好きな『落書き』が待ってるんだろ?」


          ◇


遺跡の最奥、大仰に閉じられた両開きの扉の前で。

わたしは扉一面に刻まれたルーン文字の前に立ち、息を呑んでいた。


……きれい。


『星詠みの詩』の変奏形式。詩の韻をあえて外すことで、鍵としての強度を高めている。


わたしは冷たい石扉に指を這わせる。

集中が必要だ。周囲の気配を遮断し、ルーンの声だけに耳を傾ける時間。

この子たちの声を、太古の囁きを拾い上げる時間が。


いつもなら、無防備な背中を狙われないよう、常に神経の半分を周囲の警戒に割かなければならない。

それがもどかしくも、一人の限界として仕方なく思っていたのに。


今日は違った。


背後に、圧倒的な存在感がある。

ブレイズだ。彼はわたしの邪魔をしない。

あんなに粗暴で騒がしい男が、わたしが壁に向き合った瞬間、フッと気配を消した。

ただ、その鋭い視線だけが、周囲の闇を油断なく見回しているのが分かる。


カツン、と小石が落ちる音。

刹那、背後で殺気が爆発し、すぐに掻き消えた。

シャボンの泡のような、一瞬の出来事。

剣を抜くことすらせず、ただの威圧だけで魔物を遠ざけたのだ。


——やりやすい。


悔しいけれど、認めざるを得ない。

彼が背後にいるだけで、この空間は安全地帯に変貌していた。

わたしは背中を彼に任せて、ルーンの海へと深く潜っていく。


そして。


歓声を上げるように、石壁のルーンが一斉に淡い光を放つ。


「……開いたわ」


重厚な石の扉が、地響きと共に動き出す。

わたしは額の汗を拭い、大きく息を吐いて振り返った。


ブレイズは柱に背を預けたまま、満足げに口角を吊り上げた。


「お前、落書きの前じゃ、あんないい顔するんだな」


「別に。でも、おかげで早く片付いたわ」


なるべく簡潔に、けれどもキチンとお礼を言う。

プロフェッショナルは、礼節を欠いてはいけないもの。

しかし、ここでデレてはいけない。この男を図に乗らせるだけだ。


「でも、勘違いしないでね。頼んでないわ」


「へいへい。次は素直に『助けてください、ブレイズ様』って言わせてやるよ」


「一生言わないわよ、そんな台詞」


          ◇


それは、一度では終わらなかった。


「よう。ここの沼、湿気がすげえな」


次も。


「……ストーカーなの?」

「護衛と呼べよ」


その次も。


「遅えぞ。待ちくたびれて寝るとこだった」


入り口で焚き火をし、串刺しにしたトカゲを焼いているブレイズの姿。


「……あなたね……」

「ほら、食うか?」


差し出された焼きトカゲ(見た目はグロテスクだが、香ばしい匂いがする)を、ため息交じりに無視して奥へと進む。


「いらないわよ。それより、さっさと行くわよ」


「へいへい」


わたしの後ろを、巨大な影がついてくる。

まるで猛獣使いにでもなった気分だ。

もっとも、その牙がいつわたしに向けられるか分かったものではないのだけれど。


その足音は、最初に出会った時のような不快な騒音ではなく、いつの間にか、わたしの心を落ち着かせる、頼もしいベース音のように響くようになっていた。


——本当に、調子が狂うわ。


わたしは熱くなりかけた頬をぱたぱたと手で仰ぎながら、後ろの気配に耳を澄ます。

口では「頼んでいない」と言いながら、わたしの足は自然と、彼の歩調に合わせて歩いていた。


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