第41話 敗北宣言
「聞きたい?あの子が、どれほど執拗にわたしを求めたか」
わたしはブレイズを後ろから抱きしめ、耳元で甘い毒を囁き続ける。
「彼はね、わたしの指先一本一本、髪の毛の一筋に至るまで、祈るように唇を落としていったわ。まるで、わたしがどこかへ消えてしまわないように、全身に自分の痕跡を刻み込むみたいに」
ブレイズの筋肉が、岩のように硬直する。
彼の中から噴き上がる怒りの熱量が、服越しに伝わってくる。
「優しくて、丁寧で……それでいて、一度捕らえたら絶対に逃がさない、粘着質な愛だった。蜘蛛の糸に絡め取られるみたいに、甘くて、重くて……」
「――黙れッ!!」
怒号と共に、視界が反転した。
強烈な力で肩を掴まれ、わたしはそのままベッドへと押し倒された。
ドサッ!
背中にマットレスの衝撃が走る。
覆いかぶさってきたのは、嫉妬に狂った黄金の獅子。
その瞳は、余裕など微塵も残っていない、血走った獣の色をしていた。
「俺の前で、他の男の話をしてんじゃねえぞ、ミリア!」
喉元近くに、大きな手が添えられる。
逃げ場を与えない圧倒的な圧力と、狂おしいほどの独占欲。
けれど、わたしは怯えるどころか、喉の奥から込み上げる歓喜に打ち震えていた。
「……ふふ」
「あ?何が可笑しい」
「だって、その顔」
わたしは彼の手首に自分の手を添え、妖艶に微笑んだ。
「その、余裕なんて欠片もない、私への渇望だけで歪んだ顔……その顔が、ずっと見たかったんだもの」
「ッ、このアマ……!」
次の瞬間、わたしの視界は彼の黄金の髪で埋め尽くされた。
息もできないほどに唇が塞がれる。
許可を求めたりはしない。
略奪者の接吻。
乱暴に唇を啄まれ、熱い呼気を流し込む。
それは「愛撫」というより「捕食」に近かった。
「覚悟しとけよ……。お前の肌に俺以外の男の記憶なんて、一ミリも残らねえように上書きしてやる」
彼の唇が、アズールのつけた首筋の痕の上に、噛みつくように押し当てられる。
痛み。そして、痺れるような熱。
アズールのような繊細さは欠片もない。
ただひたすらに力強く、荒々しく、わたしの存在そのものを食らい尽くそうとする。
ああ……これよ。
この、骨が軋むほどの抱擁こそが、わたしが求めていたもの。
わたしの理性の境界線を強引に書き換え、魂の奥底まで一気に掌握しようとする暴力的なまでの熱量。
けれど、それこそが、わたしの魂を薪のように燃え上がらせる。
「俺を見ろ!俺の名を呼べ!」
怒りと渇望の入り混じった瞳で見下ろされ、首筋から肩にかけて、幾度も熱い牙が立てられる。
肌に新しい所有の証が刻み込まれるたびに、身体の芯から火傷しそうな熱が噴き出し、思考を焼き切っていく。
わたしの身体に絡みつくアズールの優しい鎖が、ブレイズの灼熱の炎によって溶かされ、魂に焼き付けられていく。
彼の汗が、わたしの額に滴り落ちる。
雄の匂い。圧倒的な熱量。
その全てが、わたしを溢れるほどに満たしていく。
ああ、生きている……!
鈴の音に支配された恐怖も、自我を失う不安も。
この暴力的なまでの愛の前では、形を保っていられない。
わたしは今、この男たちに愛され、求められることで、強烈に「生」を実感している。
獣のような咆哮と共に、彼から放たれる全ての熱と執着を全身で受け止めながら、わたしは確信していた。
二つの愛――優しく包み込む月と、激しく焼き尽くす太陽。
その両方がなければ、今のわたしは生きていけないのだと。
◇
嵐が過ぎ去った後の静寂。
「……はぁ……」
ブレイズが満足げに一つ息を吐き、わたしの髪を愛おしげに撫でる。
その指先からは、「俺が塗り替えた」「俺が満たした」という、雄としての達成感が伝わってくる。
彼は信じているのだ。
この苛烈な夜によって、アズールの存在をわたしの中から追い出し、再び自分だけのものにしたと。
単純で、真っ直ぐな独占欲がたまらなく愛おしい。
だからこそ、わたしは彼に真実を告げなければならない。
「……ブレイズ」
わたしは指先で彼の喉仏をなぞりながら、甘く、とろけるような声で囁いた。
「わたしは、あなたのものよ」
ピクリ、と彼の筋肉が反応する。
彼はニヤリと口角を吊り上げ、勝ち誇った獣の顔をした。
「……でもね」
わたしはそこで一度言葉を切り、身体を起こした。
シーツが滑り落ち、彼がつけた無数の痕と、その下に透けるアズールの痕が、月明かりに晒される。
わたしは彼の目を真っ直ぐに見つめ、偽りのない愛を告げた。
「わたしは、あの子のものでもあるの」
「……あ?」
ブレイズの顔から、笑みが消えた。
優越感が凍りつき、再び怒りの火種がくすぶり始める。
「てめえ……喧嘩売ってんのか」
「違うわ。これがわたしの『真実』なの」
わたしは彼の方へ身を乗り出す。
「アズールの愛が縛り付けてなければ、わたしの心は恐怖に壊れていたわ。そして、あなたがくれた激しい熱がなければ、わたしは生の実感を取り戻せなかった」
太陽と月。
相反する二つの光。
「わたしは強欲なの、ブレイズ。……焼き尽くす太陽と、静かに満ちる月(あの子)。その両方がなければ、今のわたしは息ができない」
どちらか一つなんて選べない。
わたしを生かすためには、二人が必要なのだと。
しばくの沈黙。
張り詰めた空気が、部屋を支配する。
ブレイズは恐ろしい形相でわたしを睨みつけ――そして。
「……く、ククッ」
喉の奥から、低く漏れ出す音。
それはすぐに、腹の底からの豪快な哄笑へと変わった。
「はははははッ!!」
彼はベッドが揺れるほどに笑い出した。
怒りでも、悲しみでもない。
あまりにも突き抜けたわたしの我儘に対する、呆れと、そして諦めを含んだ笑い。
「……参ったな、こりゃ」
彼はニカッと笑ってわたしを見上げた。
そこにはもう、焼け付く嫉妬の色はない。
「完敗だ、女王様。……そこまで堂々と言われちゃあ、文句を言う気も失せるってモンだ」
彼は大きな手でわたしの頭を掴み、ガシガシと撫で回した。
「いいぜ。認めてやるよ」
「ブレイズ……?」
彼はわたしに向かってニカッと笑う。
太陽の笑み。
「……俺とあいつ、一生お前の底なしの強欲さに振り回されてやるよ」
それは、彼なりの敗北宣言であり、愛の誓いだった。
わたしは胸がいっぱいになり、彼の首に強くしがみついた。
窓の外では、夜明けの光が空を白ませ始めていた。
太陽が昇り、月が沈む。
けれど、わたしの世界では、その両方が、これからもずっと輝き続けるのだ。




