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第42話 次なる旅路へ

宿屋の食堂には、朝から異様な緊張感が漂っていた。

けれどそれは、昨夜の殺伐とした空気とは、決定的な違いをはらんでいる。


「……」

「……」


テーブルを挟んで向かい合う二人の男。

ブレイズとアズールは、一言も言葉を発していない。

その表情はどちらも、奇妙なほど晴れやかで、鼻持ちならないほどの自信に満ち溢れていた。


ブレイズは、大盛りの肉料理を豪快にフォークで突き刺しながら、チラリと弟を見る。その瞳は雄弁に語っている。

「結局、最後にあいつを満足させたのは俺だ」と。


対するアズールは、優雅に紅茶の香りを楽しみながら、涼しい顔で兄を見返す。その瞳もまた、静かな優越感を湛えている。

「彼女が自らの意思で最初に選んだのはボクです」と。


互いに「自分が勝った」と信じて疑わない、二頭の獣。

その滑稽で愛おしい勘違いを、わたしは頬杖をついて眺めていた。


「……ほら、食えよ」


ブレイズが、肉厚なベーコンを私の皿にドサリと乗せる。

彼の顔には、「昨夜あれだけ消耗したんだ、スタミナが必要だろ?」という、雄としての自信満々なドヤ顔が張り付いている。

彼は信じているのだ。昨夜の自分の情熱が、わたしの身体と心を完全に満たしきったのだと。


「栄養バランスが偏っていますね」


すかさず、アズールがサラダとスープをわたしの手元に滑り込ませる。

アズールもまた、涼しい顔の下で「ボクこそが彼女を蕩かせた」という優越感を隠そうともしていない。

彼はブレイズに向けて、冷ややかな、しかし勝ち誇った視線を送る。


テーブルを挟んで飛び交う、無言の勝利宣言とマウント合戦。

その中心にいるわたしはといえば――。


「ありがとう、二人とも」


わたしは優雅にナイフとフォークを動かし、二人が献上した朝食を美味しくいただいていた。


ふふ。可愛い人たち。


どちらが勝ったとか、どちらが上だとか。

そんなことを競い合っている時点で、二人はわたしの手のひらの上だということに気づいていない。


昨夜、月と太陽の両方に愛され、その全てを貪ったわたしこそが、このテーブルにおける真の「勝者」だというのに。


          ◇


優雅な朝食の時間は終わり、話題は今後の予定――次に受ける依頼の話へと移行した。

そして案の定、第二ラウンドのゴングが鳴る。


「次はこいつだ。『西の大森林のワイバーン討伐』。報酬もいいし、何より暴れ甲斐がある」


ブレイズが、討伐依頼書をテーブルに叩きつける。


「却下です。非効率極まりない」


アズールが即座に否定し、別の紙を提示する。


「こちらの『帝立図書館の未解読文献調査』にすべきです。危険度は低く、得られる知識的価値は計り知れない。ミリアさんの能力を活かすなら、こちらが最適解だ」


「ああん?文字読んでるだけで飯が食えるかよ。ミリアは身体を動かしてぇんだよ」


「野蛮な運動など求めていません。彼女に必要なのは知的な刺激です」


「ハッ、チマチマした謎解きなんざ退屈なんだよ!男ならド派手に暴れさせろ!」


「あなたの脳みそが筋肉でできているからといって、ミリアさんを野蛮な狩りに巻き込まないでいただけますか?」


ガタッ!


二人が同時に椅子を蹴って立ち上がる。

額と額を突き合わせ、一触即発の睨み合い。

食堂の客たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。


「……いい加減にしなさい」


わたしがカップをソーサーに置く。

コト、という硬質な音が、二人の喧噪を裂いた。


「座って。……話があるの」


低く、真剣なわたしの声色に、二人は瞬時に表情を引き締め、無言で席に着いた。

——こういう切り替えの早さは、兄弟揃って流石だと思う。


「わたしの、記憶のことよ」


二人が息を呑む気配がした。


「あの鈴の音を聞いた時……少しだけ、思い出したの」


わたしは、自分の内側にある霧が、少しだけ晴れた先に見えたものを、慎重に言葉にした。


「これが何なのか、どこにあるのかも分からない。でも、頭の中に響く言葉があるの」


わたしはその言葉を、一音一音、確かめるように紡ぎ出した。


「――『創世の宝玉』と、『銀の揺り籠』」


ブレイズが眉をひそめる。彼には初耳の単語だろう。

わたしはアズールを見た。


「そして……わたしを呼ぶ声があったわ。『月の民』、そして『器』と」


「ッ!?」


アズールの顔色が、さっと変わった。

彼は周囲を警戒するように見回し、声を潜めて身を乗り出した。


「ミリアさん。その言葉は、帝国の禁句タブーです」


「知っているのね、アズール」


「……文献は、読んだことがあります」


アズールは記憶の引き出しを開けるように語り始めた。


「『月の民』。帝国建国以前、この大陸を支配していたとされる、古代種族です。彼らは星々の運行を読み、魔力を自在に操る術を持っていたと言われています。ですが……」


彼は言葉を濁した。


「帝国の公式見解では、彼らは『邪悪な魔術で世界を混乱に陥れようとした魔族』とされ、500年前の聖戦で滅ぼされたことになっています。その存在を肯定すること自体が、帝国への反逆と見なされるほどの、重い禁忌です」


「へえ。俺たちのご先祖様が滅ぼしたって連中が関わってるってのか」


ブレイズが興味深げに顎をさする。


「アズール、あなたは『創世の宝玉』や『銀の揺り籠』については?」


「……いえ。その名称は、ボクも初耳です。おそらく、月の民の中でもさらに秘匿された、中核的な秘密なのでしょう」


アズールが首を横に振る。

賢者の知識をもってしても、たどり着けない真実。

それが、わたしの記憶の底に眠っている。


「……探したいの」


わたしは二人を交互に見つめ、決意を口にした。


「わたしの記憶。そして、『器』と呼ばれる意味。……それが帝国のタブーだとしても、わたしは真実を知りたい」


今までのような、行き当たりばったりの旅じゃない。

帝国の闇に触れ、世界の秘密を暴く、危険な旅になるかもしれない。


「付き合ってくれる?」


わたしの問いかけに、二人の男は顔を見合わせた。

そして、ニヤリと、同じ種類の笑みを浮かべた。


「愚問だな。面白くなってきやがった」


ブレイズが拳を鳴らす。


「ええ。未知の解明こそ、賢者の本分。それに……あなたの全てを知る権利は、ボクたちにはあるはずです」


アズールの瞳が知的な光を増す。


「二人とも、ありがとう」


わたしは微笑んだ。


最強の剣と、最高の頭脳。

二人の頼もしい共犯者を得て、わたしの旅が、今ここから始まろうとしていた。


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