表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/43

第35話 銀の鈴の音色

「――依頼品である『月光草』について、緊急の伝達事項です!」


使者の言葉に、場の空気が張り詰める。


「月光草は採取後、特殊な保存処理を施さねば、その薬効を失うようです。ついては、西方に住む古代薬学の術師を訪ね、保存術式が記された『銀の写本』を借り受けてきていただきたいのです」


「……ああん?ふざけんな」


使者の言葉に、ブレイズが木箱を蹴り飛ばす。

無理もない。

術師の庵は遺跡と真逆、早くても往復丸五日の距離だ。


「分担しましょう」


アズールが、懐から地図を取り出しながら冷静に提案する。


「兄さんが、その術師の元へ走ってください。ボクとミリアさんは予定通り遺跡へ向かい、『月光草』を採取します。兄さんが戻るまで、ボクの氷結魔術を使えば、劣化を遅らせることは可能です」


その提案は最も効率的な解だった。

わたしもアズールの案に頷く。

だが、ブレイズの不機嫌はさらにひどくなり、殺気を帯びているようだ。


「てめえの提案は、つまり、俺が五日間、ミリアのそばを離れろ、ということか?それも、ミリアとお前を二人きりで残して、だと?」


地を這う声には、独占欲と不信がたっぷり煮詰められている。

ブレイズの周囲で、大気がビリビリと震えるのが分かった。


——まったく。


「あなたねぇ……。アズールは、最も合理的な判断をしたまででしょう」


「そういう問題じゃねえ」


「いいえ、そういう問題よ」


わたしはブレイズの分厚い胸板に、人差し指をトン、と突きつけた。


「アズールは信頼できる『仲間』よ。私には、ヴァルガスが鍛えてくれた最高の『相棒』もいる。それに……」


わたしは一度言葉を切り、獅子の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「……あなたなら、すぐに戻ってきてくれるでしょ?だから、大丈夫」


その言葉は、どんな拘束具よりも強く、この暴れる獅子を縛り付けたようだ。

ブレイズは、ぐ、と喉を鳴らし、バツが悪そうに視線を逸らす。


「……分かったよ。……おい、アズール」


ブレイズが再び弟へと向き直る。その瞳には、獰猛な光が戻っていた。


「ミリアの髪の毛一本でも傷つけてみろ。てめえのその綺麗な顔が、二度と元の形に戻らねえように、地面に擦り付けてやるからな。覚えとけ」


「ええ、肝に銘じておきましょう。兄さん」


アズールは涼しい顔で頷いたけれど、その瞳の奥が一瞬、好機とばかりに光ったのをわたしは見逃さなかった。


          ◇


ブレイズが後ろ髪を引かれるように街を発ってから、アズールとの二人旅が始まった。

そしてわたしはすぐに、ブレイズの過剰な心配が、あながち見当違いではなかったことを思い知らされる。


「足元、凍らせておきました。歩きやすいでしょう?」


「風除けの結界です。髪が乱れません」


「あなたの体調に合わせたスープです。さあ、召し上がれ」


アズールのエスコートは、完璧だった。

いや、完璧を通り越して、どこか常軌を逸していた。

彼は兄がいないこの時間を、まるで神から与えられた至福の休暇か何かのように謳歌している。


常にわたしの数歩先を歩き、障害物を排除し、休憩のたびに至れり尽くせりの世話を焼く。

その横顔は、恋に浮かれた青年のそれだった。


そして、極めつけは夜だ。


「ボクが見張りに立ちますので、ミリアさんはどうぞお休みください」


翌朝、目覚めたわたしは、朝食を用意して待っていたアズールの顔を見て絶句した。

彼の目の下に、深い隈が刻まれている。


「……アズール、あなた、まさか一睡もしていないの?」


「問題ありません。ボクの体力はミリアさんの寝顔を守ることで回復しますので……」


「嘘おっしゃい」


わたしは呆れてため息をついた。

きっと一晩中、わたしの寝顔を見つめていたに違いない。


「いいから、三時間、あなたはここで眠りなさい。これは命令よ」


わたしは有無を言わせぬ口調で告げ、自分の毛布を彼の肩にかけた。


「……申し訳ありません。あなたをお守りすべき立場のボクが……」


「馬鹿ね。疲れて倒れたら、元も子もないでしょう。次からは、ちゃんと休むこと。いいわね、アズール」


アズールはしゅんとして頷く。

なんだか、叱られた子犬みたいで可愛いわね。


          ◇


遺跡の最深部。

天井に空いた巨大な穴から、月光がスポットライトのように差し込む幻想的な空間。

その光を浴びて、無数の「月光草」が青白く輝いていた。


「……きれい」


息を呑む美しさ。

アズールが手際よく採取を済ませ、保存箱に収める。

任務完了。

安堵のため息をついて、踵を返そうとした、その時だった。


「……!」


肌を刺すような、粘着質な視線。

わたしは弾かれたように振り返った。


遺跡の入り口。

いつの間に現れたのか、そこには数人の人影が、闇から滲み出したかのように佇んでいた。

全員が顔の判別もつかないほど深くフードを被り、漆黒のローブにその身を包んでいる。


「……久しいな、『器』よ」


リーダー格の男が、一歩前に進み出た。

その声は、平坦で、どこか無機質な響きを持っていた。


「また、その呼び名……」


わたしは双剣の柄に手をかけ、警戒を露わにする。

以前、わたしを襲った黒衣の集団と同じだ。


「大人しく、我々と共に来てもらおう」


男の言葉と同時に、影たちが音もなく展開し、わたしたちを取り囲む。


「ミリアさん、ボクの後ろへ!」


アズールが即座にわたしの前に立ち、『蒼天詠み』を構える。

その背中からは、先程までの甘い空気は消え失せ、張り詰めた殺気が放たれていた。


「……いい度胸ですね。ボクの貴重な時間を邪魔するとは」


アズールが最初の攻撃呪文を紡ごうとした、その瞬間だった。


チリン……。


場違いなほど澄んだ、銀色の鈴の音が、男の手元から響き渡った。


「――っ!?」


その音を聞いた瞬間。

わたしの世界から、全ての音が消えた。


視界がぐにゃりと歪み、激しいノイズが走る。

頭の芯が痺れ、思考が真っ白に塗りつぶされていく。


――ああ、この音……。


懐かしいような、それでいて吐き気がするほど恐ろしい音。


鈴の音が聞こえるたびに、わたしの心が泥の中に沈んでいく。

虚ろな瞳で、命令を受け入れるだけの人形になり果てる。


わたしは立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。


「ミリアさん!?」


アズールの焦ったような叫び声が、遠く、水底から聞こえるようだった。

わたしの意識は、そこでぶつりと途切れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ