第22話 皿の上
焚き火に照らされる草むらの中、夜空が黄金の獅子に覆い隠される。
ゴツゴツとした硬い指先が、わたしの腰を引き寄せる。
服越しだというのに、そこから伝わる体温は火傷しそうなほどに熱い。その熱量が、わたしの芯をじわじわと溶かしていく。
「……ミリア」
不意に、彼の手が止まった。
至近距離で重なる視線。彼の空色の瞳が、射抜くような強い光を宿してわたしを覗き込んでいる。
「……初めてか?」
その問いに、わたしは一瞬言葉を詰まらせ、視線を泳がせた。
「……分からないわ」
嘘ではない。わたしの記憶は一年前に始まったばかり。それ以前のわたしが、どんな経験をしてきたのか、誰を愛したことがあったのか。
知識としての「行為」は知っているけれど、身体がそれを覚えているのかどうかさえ、わたし自身にも分からない。
「記憶がないもの。もしかしたら……」
言いかけて、唇を噛む。
もしそうだったら?
この誇り高い獅子は、過去のある女なんて願い下げだろうか。
不安が胸をよぎった、その時。
「――いや、関係ねえな」
不意に、彼の手がわたしの顎を掴み、強引に上を向かせた。
「ミリア、こっちを見ろ」
至近距離で重なる視線。
彼の空色の瞳には、迷いなど微塵もない。あるのは、すべてを焼き尽くす太陽のような、圧倒的な「肯定」だけだった。
「昔、どこの誰がお前に触れたか。どんな男がこの肌を愛でたか……そんなもん、今の俺には関係ねえ」
ブレイズの親指が、わたしの唇を強く、所有印を押すように撫でる。
その瞳の奥で、嫉妬と、それをねじ伏せるほどの自信がギラギラと燃え上がっていた。
「……チッ。想像するだけで腹は立つがな。だが、そんな亡霊に嫉妬するほど、俺は安くねえよ」
彼は鼻を鳴らし、わたしの身体をさらに強く抱きすくめた。
ゴツゴツとした骨格と、分厚い筋肉の鎧。
逃げ場のない檻のような抱擁なのに、そこは世界で一番安全な場所のように感じられる。
日向の匂いと、微かな鉄の匂い。彼だけが持つ雄々しい香りが、わたしの思考を侵食していく。
「いいか、ミリア。大事なのは一つだけだ」
彼の熱い吐息が、わたしの頬をくすぐる。
至近距離で、真昼の空色がわたしの魂ごと射抜く。
「今、お前の瞳に映ってんのは誰だ?……お前が今、その身体を預けてんのは、誰の腕の中だ?」
「あなたよ。ブレイズ、あなただけ……」
「そうだ。それが全てだ」
彼は満足げに喉を鳴らすと、わたしの首筋に顔を埋めた。
夜風に晒された肌に、彼の熱い唇が触れる。
「お前に過去があろうとなかろうが、身体が何を覚えていようが……そんな記憶、全部捨てちまえ」
彼がわたしの首筋を吸い上げる。
優しいキスではない。鋭い犬歯を立て、所有権を主張するような「マーキング」。
「……っ!」
「痛みも、熱も、全部俺が与えてやる。……前の記憶なんて、どうでもよくなるくらいにな」
彼の声が、熱い呪いとなって鼓膜を震わせる。
「この俺が、今夜、全部塗り替えてやる。俺の熱で、俺の匂いで、俺の愛し方で……頭のてっぺんから爪先まで、全部俺の色に染め変えてやる」
彼が覆いかぶさってくる。
岩のような質量と、焦がすような熱気。
熱い。
この熱さを知ってしまったら、もう二度と戻れない。
「覚悟しろよ。……もう、忘れられねえようにしてやる」
胸元に、硬い感触が押し当てられる。
それは、わたしを守るために刻まれた、あの傷跡。
盛り上がったケロイド状の皮膚が、薄い布越しにわたしの胸を圧迫する。
痛々しくて、でも何よりも愛おしい、彼の愛の証。
わたしはそっとその広い背中に腕を回し、彼にしがみついた。




