第21話 勲章
「イヤぁぁぁぁぁッ!!」
魂が引き裂かれるような絶叫が、崩れゆく遺跡に木霊した。
溢れ出す鮮血。赤、赤、赤。
わたしの目の前で、ブレイズの命が急速に零れ落ちていく。
嫌だ。死なないで。置いていかないで。
わたしのせいで。わたしが不甲斐ないばかりに。
恐怖と絶望が沸点を超えたその時、わたしの内側で再び「あの扉」が開いた。
ドクンッ!!
白銀の光の中に、誰かの影が見える。
わたしの目の前で、崩れ落ちる、大切な誰かの腕。
——嫌!
もう誰も死なせたくない!
心臓が早鐘を打ち、全身の血が白銀の炎となって逆流する。
アズールの結界を砕いた時と同じ、いいえ、それ以上に純粋で濃密な、命の奔流。
わたしは無我夢中で、血の海に沈むブレイズに覆いかぶさった。
傷口を手で塞ぐだけでは足りない。
命を。わたしの命を、彼に注ぎ込まなければ。
「……ん、ぐ……っ」
彼の唇に、自分の唇を押し当てる。
熱い。そして、鉄の味がする。
わたしは目を閉じる。
祈るのではない。
わたしの中に眠る、正体不明のこの力に命じるのだ。
死なないで……!わたしの命を全部あげてもいい!勝手に死ぬなんて、許さない……!
白銀の光がわたしたちを包み込む。
わたしの体力が、生命力が、奔流となって彼の中へと流れ込んでいく感覚。
意識が遠のく。
視界が白く塗りつぶされていく中で、最後に感じたのは、彼の心臓が力強く「ドクン」と打ち返した振動だった。
◇
パチ、パチ……。
乾いた木が爆ぜる音と、鼻腔をくすぐる煙の匂いで、わたしは目を覚ました。
重い瞼を持ち上げると、そこには満点の星空があった。
どうやら、遺跡の外――森の開けた場所まで運ばれたらしい。
「……気がついたか」
低く、安堵に震える声。
焚き火のそばに座っていた巨大な影が、こちらを振り返った。
「ブレイズ……?」
身体を起こそうとして、激しい目眩に襲われる。
世界が回る。けれど、すぐに太く温かい腕がわたしを支えてくれた。
「無理すんな。……あんなデタラメな治癒を使ったんだ。身体中ガタガタだろ」
ブレイズだ。
生きてる。彼は、生きている。
月明かりと焚き火に照らされた彼の顔色はまだ少し蒼白かったが、その瞳には確かに力強い光が戻っていた。
けれど――わたしの視線は、彼の上半身に釘付けになった。
手当てのために衣服がはだけた、その逞しい胸板から腹部にかけて。
「……っ」
彼は生きていた。
血色は戻り、呼吸も安定している。
けれど、その晒された岩のような胸板には――新しい傷痕が刻まれていた。
左胸から腹部にかけて、斜めに走る太く荒々しい傷跡。
わたしの治癒の力をもってしても、傷を塞ぐのが精一杯で、痕までは消せなかったのだ。
「……ごめんなさい。わたしのせいで」
わたしはその痛々しい傷跡に指先で触れた。
彼が顔をしかめる。痛みからではない、自責の念からだ。
「謝るのは俺の方だ。俺が欲をかいて、お前をこんな危険な目に遭わせた。……護衛失格だな」
自嘲気味に笑うブレイズ。
いつも自信満々な彼が、こんなに弱気な顔を見せるなんて。
「違うわ。あなたが守ってくれたから、わたしは今ここにいるのよ。……でも、この傷……」
わたしの指が震える。
一生消えないかもしれない、わたしのための傷。
「気にするな」
ブレイズはわたしの手を取り、その手のひらを傷跡の上に強く押し当てた。
ドクン、ドクン。
力強い鼓動が、手のひらを通して直接伝わってくる。
「……こいつは『勲章』だ」
彼はニカッと、いつもの太陽のような笑みを浮かべた。
「俺が惚れた女を、命懸けで守り抜いたっていう証だ。……悪くねえだろ?」
「っ、バカ……!」
涙腺が決壊した。
なんて男なの。
こんな傷を負って、死にかけて、それでも笑って「勲章」だなんて。
わたしはたまらず、彼の首に腕を回し、その胸に飛び込んだ。
「う、わっ」
驚くブレイズを無視して、彼を力いっぱい抱きしめる。
硬い筋肉の感触。
汗と、血と、土の匂い。
そして何より、うるさいほどに響く心臓の音。
生きている。
彼はここにいる。温かい。
「……ミリア」
ブレイズの太い腕が、恐る恐る、けれど優しくわたしの背中に回される。
壊れ物を扱うような、それでいて離したくないという独占欲が滲む抱擁。
彼の体温が、冷え切ったわたしの心と身体を溶かしていく。
顔を上げると、すぐそこに彼の瞳があった。
空色の瞳が、熱っぽく潤んでわたしを捉えている。
言葉はいらなかった。
どちらからともなく、唇が重なる。
「ん……ッ」
遺跡の中でした、命を繋ぐための必死な口づけとは違う。
互いの存在を確かめ合い、魂を求め合うような、甘く、深く、切実な口づけ。
舌が絡み合い、唾液の音が夜の森に響く。
彼の熱い吐息が、わたしの口内を、思考を、全てを侵略していく。
「はぁ……っ、ミリア……」
唇が離れた瞬間、銀色の糸が月光に煌めいた。
ブレイズの荒い息遣いが、わたしの鼓膜を震わせる。
彼の瞳には、もはや隠しきれない情欲の炎が燃え盛っていた。
雄の目だ。
獲物を前にした、飢えた獣の目。
その獣が、檻を壊すまいと必死に耐えている。
「……いいのか?」
短く、掠れた声での問いかけ。
わたしは少しだけ驚いて、涙目のまま微笑んだ。
「らしくないわね。野蛮なライオンさんが、いつから許可なんて取るようになったの?」
「うるせえ」
彼は照れ隠しのように鼻を鳴らすと、わたしの頬を大きな手で包み込み、真剣な眼差しで見つめてきた。
「壊したくねえんだよ。……俺にとって、本当に大切なもんは」
その言葉が、胸の奥を甘く貫いた。
この人は、本当に乱暴で、けれども、どうしようもなく優しい。
「いいわ、ブレイズ」
わたしは両手を広げ、彼の全てを受け入れるように微笑んだ。
「あなたが、いいの。……わたしを、あなたの熱で満たして」
理性のタガが外れる音がした。
ブレイズが唸り声を上げ、わたしを草むらに押し倒す。
夜空がぐるりと回り、視界いっぱいに、愛しい黄金の獅子が覆いかぶさった。




