第20話 聖なる器
最深部に辿り着いた時、そこに鎮座していたのは古代の秘宝でも、金銀財宝でもなかった。
冷たい殺気と、十数人の黒衣の男たち。
「……やっぱりね」
わたしは小さくため息をついた。
これだけ保存状態が良い遺跡が、今まで手つかずだったわけがない。
高額すぎる報酬に、不自然な未発見報告。
すべては、わたしたち――いいえ、『遺跡喰らい』(わたし)をおびき寄せるための撒き餌だったというわけだ。
「おいおい、随分としけた出迎えだな」
隣でブレイズが鼻を鳴らす。
大剣を肩に担ぐその姿には、緊張のかけらもない。ただ、獲物を前にした猛獣の愉悦だけがある。
黒衣の集団の中から、リーダー格と思われる仮面の男が、一歩前に進み出た。
「ようやくお越しかな、『遺跡喰らい』。いや――」
仮面の奥から、感情の読めない、低くくぐもった声が響く。
「聖なる『器』よ」
「……器?」
聞き慣れない、けれど妙に引っかかる単語に、わたしは眉をひそめた。
器。入れ物?
眉が自然とひそめられる。
聞き慣れない単語なのに、心臓の奥をざらりとした不快感が撫でていく。
まるでわたしが、何かを入れるための「空っぽな入れ物」だとでも言うような響き。
「何の話をしているのかしら」
わたしの問いに、男は答えず、懐から小さな銀色の鈴を取り出した。
そして、チリン、と一度だけ鳴らした。
その瞬間、世界が白く反転した。
あ……。
頭の芯が痺れる。思考が泥のように溶けていく。
懐かしいような、それでいて吐き気がするほど恐ろしい音。
——抗ってはいけない。わたしは空っぽだから。命令に従わなければ。
私の意識が急速に混濁し、焦点が合わなくなる。
膝の力が抜け、男の元へ歩み出そうとした、その時。
「オイ!!なんだそのふざけた音はッ!!」
耳をつんざくような怒号。
隣にいたブレイズの、大気を震わせるほどの咆哮が、頭の中の白い霧を一瞬で吹き飛ばした。
「ハッ……!?」
弾かれたように我に返る。
背筋がびっしょりと冷や汗で濡れていた。
今、わたし、何をしようとしていた?無防備に敵の前に身を晒して……。
「チッ、野蛮な獣め」
男が忌々しげに舌打ちをし、鈴をしまう。
男は恭しく、しかし拒絶を許さない圧力を持って手を差し伸べた。
「いずれ分かる。我らと共に来てもらう。我らが主が、あなたを待っておられる」
男が恭しく、しかし拒絶を許さない圧力を持って手を差し伸べる。
「断る、と言ったら?」
わたしは腰の双剣を引き抜いた。
シャラッ、と冷ややかな金属音が回廊に響く。
「その場合は――」
男の視線が、わたしの前に立つブレイズへと移る。
「そこの番犬を始末した後に、丁重にもてなして差し上げよう」
男が手を振り下ろすと同時、黒衣の男たちが一斉に襲いかかってきた。
多方向からの同時攻撃。
一般人なら悲鳴を上げる暇もなく肉塊に変えられていただろう。
けれど。
「遅えんだよ、雑魚どもがッ!!」
轟音一閃。
ブレイズの大剣が、横薙ぎに振るわれる。
それだけで、前衛にいた三人が紙屑のように吹き飛んだ。
壁に叩きつけられ、崩れ落ちる男たち。
「隙だらけよ」
わたしはその隙間を縫うように踏み込む。
思考するより早く、身体が動く。
両手に握った双剣が煌く。
舞うように、流れるように。
ブレイズが嵐のように暴れまわり、わたしがその死角を風のように駆ける。
わたしたちの連携の前では、彼らの組織的な包囲網など児戯に等しかった。
数分も経たずに、立っているのはリーダーの男ただ一人となった。
「……ちっ。化け物どもめ」
唯一人、立っていた仮面の男が、忌々しげに舌打ちをした。
後ずさる足取り。だが、その目は死んでいない。
「化け物で結構よ。さあ、観念して情報を吐きなさい。……『器』って何のこと?」
詰め寄るわたし。
逃げ場はないと悟ったのだろう。
男の肩が震え、そして――狂気じみた笑い声が漏れた。
「クク……ハハハッ!手に入らぬならば、いっそ破壊するまで……!」
「なっ!?」
男が懐から取り出したのは、赤く脈打つ魔石だった。
彼はそれを、迷うことなく広間の中央――天井を支える『要石』に向かって投げつけた。
ドォォォォォォォンッ!!
爆発音と共に、巨大な支柱が粉砕される。
世界の均衡が崩れたかのような、凄まじい轟音が響き渡った。
「馬鹿なッ!?ここを崩せば、てめえも死ぬぞ!?」
ブレイズの怒号が響くが、男は狂ったように笑うだけだ。
「我が身は主のために!聖なる『器』よ、ここで瓦礫と共に永遠の眠りにつくがいい!」
「くそっ、ミリア!走れッ!」
「分かってるわ!」
わたしたちは崩落を始めた遺跡の出口へと向かって、全速力で駆けた。
背後で、男の狂気じみた笑い声が、崩れ落ちる岩の音にかき消されていった。
「走れ!振り返るな!」
ブレイズの怒号が、轟音にかき消されそうになる。
頭上から降り注ぐ瓦礫の雨。足元は地震のように揺れ、数千年眠っていた遺跡が、今まさに断末魔の叫びを上げて崩れ落ちようとしていた。
出口まであと少し。微かな光が見えた、その瞬間――悪意は牙を剥いた。
だが。
ヒュンッ!
崩落の衝撃で誤作動したのか。
壁面が開き、巨大な処刑鎌が、わたしの首を刈り取るべく射出された。
わたしの目が、迫りくる鋼の輝きを捉える。
その動きがやけにゆっくりに見えた。
――ああ、ここまで、か。
わたしの旅も、ここまでなのか。
記憶を取り戻すことも、自分が何者かを知ることも、叶わないまま。
皮肉なものね。
あれほど死線を超えてきたのに、こんなにあっけなく終わるなんて……。
ドンッ!
強烈な衝撃が横腹を襲い、わたしの身体はボールのように弾き飛ばされた。
時間の流れがもとに戻る。
「がはっ……!」
地面を転がり、土埃まみれになって顔を上げる。
そこには、わたしの代わりに鎌の軌道上に立ち尽くす、黄金の背中があった。
「……へっ、あぶねえ……な……」
彼が振り返る。
その動きに合わせて、彼の腹からどくどくと血が流れ出し、石畳に赤黒い水たまりを作っていく。
「……ブレイズ……?」
彼の大岩のような胸板から腹部にかけて、深々と、無残に切り裂かれた傷口がパックリと口を開けていた。
溢れ出す赤。止まらない生命の流出。
「嫌……嘘、でしょ……?」
わたしの喉から、空気を切り裂くような悲鳴が響き渡った。




