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第17話 賢者の持論(2)

石造りの回廊には、何千年もの時が澱んでいた。

普段なら胸が躍るはずの空気が、今日は少し鼻につく。


……なんだか、頭が重いわね。


視界の端がチカチカと明滅する。

ただの疲れかしら。それとも、地下特有の淀んだ空気のせい?


「……ここ、文法が変ね」


ブツブツと呟きながら、羊皮紙にペンを走らせる。けれど、指先が思うように動かない。

熱い。身体の芯が、じりじりと熱を持っているような感覚。


「おいミリア、遅えぞ。先の方見てくるからな」


通路の奥から、ブレイズの声が響いた。

彼は大剣を担ぎ、退屈そうに欠伸をしながら角を曲がっていく。


「ええ、お願い」


短く返事をして、わたしは再び石壁に向き直った。

ふらり、と足元が揺れる。

まずい、と思った瞬間、背後から音もなく手が伸びてきた。


「……ミリア様」


涼やかな声と共に、わたしの身体が支えられる。

アズールだ。

いつの間に背後にいたのかしら。彼はわたしの背中に手を添え、覗き込むように顔を寄せた。


「呼吸が浅いですね。それに、肌が赤い」


「……平気よ。地下の空気が悪いだけ」


強がって彼の手を払いのけようとしたが、力が入らない。

アズールは目を細め、白く長い指先を、わたしの額へと伸ばしてくる。


「失礼します」


「っ……」


彼の指が、わたしの額に触れた。

ひんやりとした感触。

まるで氷を当てられたように冷たくて、そして――悔しいけれど、どうしようもなく心地よかった。

熱を持った思考が、その冷たさに吸い寄せられていく。


「……やはり。微熱がありますね」


アズールはわたしの手から羽ペンと羊皮紙を、するりと抜き取った。

わたしは壁際に座らされる。


「ちょっと、返して。まだ記録の途中よ」


「これ以上の作業は非効率です。ミリア様は休んでいてください。続きはボクがやります」


彼はわたしの抗議を聞き流し、サラサラとペンを走らせ始めた。

その速度は、機械のように一定で、驚くほど速い。

数分もしないうちに、彼は壁画の一面を完璧に書き写し終え、羊皮紙をわたしに突きつけた。


「終わりました。確認を」


「……嘘でしょう?」


早すぎる。適当に書いたんじゃないでしょうね。

わたしは疑いの眼差しで羊皮紙を受け取り、目を通した。

そして、息を呑んだ。


完璧だ。

摩耗して見えなくなっていた部分も、前後の文脈から推測して補完されている。

しかも、その筆跡は印刷されたかのように均一で美しい。


「……悔しいけど、完璧ね」


わたしは素直に認めた。

そして、知識欲が頭痛を上書きする。


「ねえアズール。ここの解釈だけど、あなたは『祈り』と訳したみたいだけど、わたしは文脈的に『呪詛』に近いと思うの。だって……」


わたしが身を乗り出して議論を始めようとすると、アズールは静かに首を振った。


「今は、お休みください。解析は万全の状態で行ってこそ、正確な解が得られるものです」


「でも……」

「ダメです」


彼は自分のマントを脱ぐと、それを毛布代わりにわたしに掛けた。

ふわりと、彼特有の清涼な香りが包み込む。


「ボクは、貴女の知性を誰よりも高く評価しています。だからこそ……万全でない貴女を見るのは忍びない」


彼は膝をつき、わたしの視線に合わせて微笑んだ。

その瞳は、やはりどこか観察的で、計算高い光を帯びていたけれど。

わたしに向けられた気遣いそのものは、嘘ではないように思えた。


「……分かったわ。少しだけ、休むわ」


わたしはマントに顔を埋めた。

ひんやりとした感触が、わたしの警戒心を少しだけ溶かしていく。

悔しいけれど、頼りになるわね、賢者サマ。

わたしは意識が微睡みに落ちる直前、心の中でそっと呟いた。


          ◇


「……チッ、なんだこいつらは!斬っても斬っても手応えがねえぞ!」


ブレイズの苛立ちが頂点に達していた。

わたしたちの行く手を阻んでいるのは、不定形の魔物――「アシッド・スライム」の群れだ。


ドゴォンッ!


ブレイズの大剣が唸りを上げて叩きつけられる。

並の魔物なら肉塊に変わる威力だ。

けれど、スライムはあざ笑うかのようにブニョリと変形し、衝撃を分散させてしまう。

相性最悪の相手だ。


「面倒ね……!」


わたしも双剣で切り裂くが、刃が通り抜けるだけで決定打にならない。

核を狙おうにも、身体の中で常に移動していて捉えきれないのだ。


「シャァァッ!」


粘液の触手が、死角からわたしに迫る。

避けきれない――!


「『風よ』」


涼やかな詠唱と共に、わたしの身体がふわりと浮き上がった。

風の膜が身体を包み込み、触手を滑るように受け流す。

アズールだ。


「野蛮な戦い方ですね、兄さん。物理法則を無視した相手に、物理で対抗しようとするなど」


「うるせえ!じゃあテメェがなんとかしろよ!」


「ええ、そのつもりです。……見ていなさい」


アズールは冷ややかに言い放つと、魔力を練り上げた。

彼の周囲の気温が、急激に下がる。


「不定形ならば、形を固定してしまえばいい」


彼が杖を地面に突き立てる。


「――『凍てつけ』」


パキパキパキッ……!


空気が悲鳴を上げるような音と共に、絶対零度の冷気が奔流となって解き放たれた。

迫りくるスライムの群れが、一瞬にして白く染まる。


「……へえ」


ブレイズが目を丸くする。

氷漬けにされたスライムたちは、もはや衝撃を吸収する柔軟性を失っていた。

そして、透き通った氷の中に、赤く脈打つ「核」の位置がはっきりと透けて見える。


「お膳立てはしましたよ。……あとは、貴方の仕事でしょう?」


アズールが挑発するように兄を見やる。

ブレイズはニヤリと口角を吊り上げ、大剣を構え直した。


「ハッ……。いい仕事しやがるじゃねえか、インテリ野郎!」


ブレイズが地面を蹴る。

今度の彼は、迷いなく「核」の一点のみを見据えていた。


「オラァッ!!」


豪快な一撃。

凍りついたスライムは、ガラス細工のように粉々に砕け散った。


完璧な連携だった。

ブレイズの破壊力とアズールの分析力。


「……どうです?これが『知性』のある戦い方というものです」


アズールが杖の氷を払いながら、涼しい顔で言った。

その態度はいけ好かないけれど、彼がいなければ苦戦は免れなかっただろう。


「……チッ。まあ、今回だけは認めてやるよ」


ブレイズも不満げながら、アズールの実力を認めているようだ。


わたしは、二人の男の顔を交互に見た。

いがみ合っているようで、戦いになれば阿吽の呼吸を見せる兄弟。

そして、そんな彼らに守られ、導かれているわたし。


「……ありがとう、アズール。助かったわ」


わたしが素直に礼を言うと、アズールは一瞬驚いたように目を丸くし、それからふわりと、優越感と満足感の入り混じった笑みを浮かべた。


「恐縮です。ボクはただ、貴女が躓かないように、足元の小石を取り除いただけですよ」


その瞳の奥で、「やはりボクこそが、貴女を管理するに相応しい」という傲慢な光が明滅したのを、わたしは見逃さなかった。

本当に、油断のならない男。


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