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第16話 賢者の持論(1)

「……拒否します」


『Rosa's Nest』へと向かう路地の入り口で、アズールがハンカチで口元を覆いながら、氷点下の声で宣言した。

彼は足元のぬかるみを、まるで致死性の毒沼か何かのように見下ろしている。


「この非衛生極まりない環境。病原菌の培養槽の中を歩いているようなものだ。……ボクはパスします」


「はあ?ここまで来て何言ってんだよ」


「ボクは表通りで待たせてもらいますので」


アズールは踵を返すと、陽の当たる清潔な石畳の方へと戻っていった。

その背中は「用が済んだらお声がけください」と語っている。


「……けっ。これだから温室育ちのインテリは」


ブレイズが呆れたように鼻を鳴らす。


「放っておきなさい。彼を連れて行ったら、店の中で消毒薬を撒き散らしかねないわ」


わたしとブレイズは肩をすくめ合い、慣れ親しんだ薄暗い路地へと足を踏み入れた。


          ◇


ローザから受け取った依頼は、『北の湿地帯におけるベノムリザードの討伐』だった。

報酬は悪くないが、あの湿地は広大で足場が悪く、標的を見つけるだけで数日は泥まみれになる覚悟が必要な案件だ。


「……非効率極まりないですね」


表通りで待っていたアズールは、わたしが差し出した依頼書を一瞥するなり、鼻で笑った。

彼は懐から自前の地図を取り出し、サラサラと何かを書き込み始めた。


「ベノムリザードは変温動物です。ここ数日の気温変化と湿度のデータ、それに風向きを計算に入れれば……彼らが現在、活性化して群れているポイントはここ、この岩場一択です」


彼は地図の一点を指差した。


「さらに、今の時期は繁殖期の前段階。彼らは特定のフェロモンに過剰反応します。風上から刺激臭のするハーブ……例えば『竜涎香』を燻せば、向こうから勝手に集まってくるでしょう。わざわざ泥の中を探し回る必要などありません」


「……へえ」


わたしは感嘆のため息を漏らした。

すごい。完璧な生態分析と、地形データの統合。

これなら、数日がかりの捜索作業が、わずか半日の「待ち伏せ」だけで完了する。


「やるわね、賢者サマ。あなたの頭脳、本当に便利ね」


「光栄です、ミリア様。ボクにかかれば、筋肉頼みの原始的な狩りなど、スマートな『作業』に変えてみせますよ」


アズールが得意げに微笑み、チラリとブレイズを見る。

ブレイズは面白くなさそうに顔をしかめ、そっぽを向いた。


「チッ……。獲物がどこにいようが、俺が叩き潰すことに変わりはねえだろ」


「ええ。あなたはせいぜい、ボクが完璧にお膳立てした舞台で、その自慢の腕力を振るってください」


バチバチと火花が散る。

けれど、ブレイズも反論しきれないようだ。実際、アズールの加入によって、わたしたちの仕事の効率が劇的に向上したのは認めざるを得ないのだから。


          ◇


作戦が決まり、必要な物資を買い揃えるために大通りを歩いていた時のことだ。

アズールは、濃紺のフードを目深に被り、その整った顔を完全に隠していた。

まるで指名手配犯か、光を嫌う吸血鬼のようだ。


「おい、いつまで被ってんだその布切れ」


ブレイズがからかうように、アズールのフードをつつく。


「そんなにコソコソしなくても、誰もてめえの顔なんざ見てねえよ。自意識過剰か?」


「……触らないでいただけますか」


アズールはブレイズの手を払いのけ、フードの縁をさらに深く引き下ろした。


「あなたは何も分かっていない。ボクのこの『容姿』は、交渉の席における最高の切り札なのです」


「はあ?切り札?」


「ええ。人は美しいものに対し、無意識に好意と信頼を寄せ、ガードを下げる生き物です。ボクの顔は、相手の心理的優位を崩し、情報を引き出し、あるいは理不尽な要求を通すための、強力な兵器になり得る」


アズールは淡々と、まるで自分が持っている杖の性能を語るかのように、自分の顔について語った。

ナルシシズムではない。そこにあるのは、徹底的なまでの実利主義だ。


「安売りしてどうします?普段は隠しておき、ここぞという場面で晒すことで、その効果は最大化されるのです。……あなたのように、常に剥き出しの筋肉を見せびらかしている単純な人間には理解できないでしょうが」


「……まったく理解できねえな」


ブレイズは呆れ果てたように首を振った。


「自分のツラまで道具扱いかよ。てめえ、生きてて楽しいか?」


「効率的であることが、ボクの喜びですので」


相容れない二人。

けれど、わたしにはアズールの言わんとすることが何となく分かる。

彼は自分自身の全て――頭脳も、魔力も、そしてその美貌さえも、目的を達成するための『資産』として冷徹に管理しているのだろう。


「頼もしいわね、アズール」


わたしはフード越しに、彼の肩をポンと叩いた。


「あなたのその有能さには、本当に感服するわ。……でも」


わたしは顔を近づけ、フードの奥にある夜空色の瞳を覗き込んだ。


「その『切り札』を使って、わたしまで操ろうなんて余計な気は起こさないでね?わたしには効かないし、そんな事をしたら」


わたしの唇が上品に吊り上がる。


「あなたの切り札、使い物にならなくなってしまうかも知れないわよ?」


茶目っ気を込めて、けれど釘はしっかりと刺しておく。

アズールは一瞬きょとんとして、それからフードの奥で、優雅な弧を描くように唇を歪めた。


「……肝に銘じておきましょう。我が女王クイーン


本当に、食えない男。

でも、この有能な「道具」が手元にある心強さは、認めざるを得なかった。

隣でブレイズが「けっ、俺の方が役に立つぜ」と小さな声で呟いたのが聞こえて、わたしは思わず噴き出しそうになった。


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