第14話 道標
「……なあ、ミリア」
不意に、ブレイズが口を開いた。
彼の低い声が、夜の冷たい空気に溶け込む。
「さっきの……あれは、一体何だったんだ?あの結界をぶち壊した、あの光は」
それは、この場にいる全員が抱いていた疑問だった。
賢者の塔の叡智を結集した『静寂の檻』を、魔術的な理論を無視して内側から食い破った、あの理外の力。
わたしは背筋を伸ばし、もう一度座り直した。
焚き火の向こう側で、アズールも静かにこちらを見つめている。
彼の顔からは何も読み取れない。
ただわたしの言葉を待っている。
「……分からないわ」
正直に答える。
嘘をつくことも、取り繕うこともしない。
「分からない……?」
ブレイズが眉をひそめる。
「ええ。自分でも驚いたわ。あんな力がわたしの中に眠っていたなんて」
わたしは自分の両手を胸に添える。
この身体から、あんな破壊的な奔流が溢れ出したなんて、今でも信じられない。
「……わたしには、ここ一年ほどの記憶しかないの」
ポツリと、言葉がこぼれ落ちた。
一度口にしてしまえば、堰を切ったように言葉が溢れ出した。誰かに聞いてほしかったのかもしれない。わたしの空っぽな内側のことを。
「一年前、わたしはとある辺境の荒野で目を覚ましたわ。それ以前の記憶は、まるで白い霧がかかったように真っ白で……自分が誰なのか、どこから来たのか、何一つ思い出せなかった」
「記憶喪失、か……」
ブレイズが息を呑む気配がした。
「唯一の手がかりは、その時わたしが握りしめていた、ペンダントだけ」
わたしは懐から、肌身離さず持っている小さなペンダントを取り出した。
焚き火の光を受けて、鈍く光る古びた金属片。
そこには現代語ではなく、複雑な古代ルーン文字が刻まれている。
「ここに刻まれたルーン文字……それが『ミリア』と読めた。だからわたしは、そう名乗ることにしたの。それがわたしの名前なのか、それとも別の意味を持つ言葉なのかさえ、分からないけれど」
指先で、慣れ親しんだ文字の凹凸をなぞる。
これが、わたしの世界の全てだった。
「目が覚めた時、わたしには何もなかった。知識も、経験も、自分が何者であるかという確信も。……ただ、このルーン文字を読む力だけが、本能として残っていた」
だから、わたしは決めたの。
この文字が導く先へ進むことを。
「わたしは考えたの。世界中に散らばる古代遺跡を巡り、そこに刻まれたルーン文字を追っていけば、いつか自分の記憶に繋がる手がかりが見つかるんじゃないかって」
それが、わたしが『遺跡喰らい』になった理由。
富や名声のためじゃない。
ただ、自分が何者かを知りたいという、切実な渇望。
「でもね……」
わたしはそこで一度言葉を切り、少しだけ自嘲気味に笑った。
「続けるうちに、いつの間にか目的が変わってしまったわ」
「変わった?」
アズールが、初めて興味深げに口を挟んだ。
わたしは思い出し笑いをした。
初めて古代神殿の回廊に足を踏み入れた時の、あの震えるような感動を。
数千年の時を超えて、そこに息づく人々の想いや、技術の粋に触れた時の高揚感を。
「あの子たち(遺跡)は、雄弁よ。静寂の中で、かつての栄華や、悲しみや、祈りを語りかけてくる。その声を聞いている時だけは……自分が何者か分からない不安なんて、忘れていられるの」
壁画の美しい曲線。
計算し尽くされた魔力回路の配置。
風化した石材の肌触り。
その一つ一つが、わたしにとっては宝石よりも輝いて見える。
「記憶の手がかりも大事だけど、それ以上に……もっとあの子たちのことを知りたい、もっと奥深くまで潜って、その秘密を暴きたい。……ふふ、やっぱりわたし、『遺跡喰らい』って二つ名、意外と気に入ってるのかもしれないわね」
少し熱っぽく語ってしまった自分に気づき、わたしは咳払いをして誤魔化した。
ブレイズは呆れたように口を開けている。
「……お前、やっぱり変わってるな。記憶がないって重い話のあとに、なんで遺跡の話で頬染めてんだよ」
「悪かったわね。これがわたしの性分なの」
わたしは焚き火を見つめながら、小さく息を吐いた。
これが、わたしの全部。
『遺跡喰らい』ミリアの、空っぽで、少しだけ歪な正体。
「……だから、さっきの力についても、わたしには何も説明できない。わたしの過去に何か関係があるのかもしれないけれど……今のわたしには、ただの恐ろしい『謎』でしかないわ」
話終えたわたしを、静寂が包み込む。
ブレイズは腕を組み、難しい顔で炎を見つめていた。
アズールは、相変わらず能面のような表情を崩さず、しかしその瞳の奥で、高速で思考を巡らせているのが分かった。
わたしの告白を聞いて、彼らがどう思うか。
同情か、失望か、それとも警戒か。
ブレイズとは一定の距離を保ったまま、わたしは夜風に吹かれた。
先ほどの抱擁の熱はまだ肌に残っているけれど、それに縋ってしまえば、わたしはただの弱い迷子になってしまう気がしたから。
わたしはミリア。
過去を持たない、けれど遺跡を愛する、誇り高きトレジャーハンター。
その矜持だけは、誰にも渡さない。




