第13話 クリフォード家
しばらく、誰も口を開かなかった。
ただ、燃える炎の揺らめきだけが、三人の複雑な表情を、気まぐれに照らし出しては、また闇に溶かしていく。
「……あなたたちのこと、教えてくれるかしら」
わたしの声は静かだったが、否応なく二人の意識をこちらへと引き寄せるのが分かった。
「ブレイズとアズール……あなたたちは、兄弟なのでしょう?なのに、どうして」
わたしはそこで一度言葉を切った。
二人の気配が次の言葉を促す。
「どうして、それほどまでに憎み合っているの?」
静寂の中、燃えさかる炎だけが、わたしたちの奇妙な距離感を照らし出している。
わたしの問いかけに、ブレイズは忌々しげに舌打ちをすると、ぷいと顔を背けてしまった。その背中は、過去を語ることを頑なに拒絶している。
アズールの顔に張り付いた能面にも、ほんの一瞬、無視できないほどの深い亀裂が走ったのを、わたしは見逃さなかった。
ぱち、と焚き火の薪が爆ぜる音だけが、やけに大きく響く。
沈黙を破ったのは、意外にもアズールだった。
アズールは炎を見つめたまま、独白のように語り始めた。
「ボクたちは、アークライト帝国を影で支配するとまで言われる、クリフォード家の人間です」
その告白に、わたしは驚きを隠せなかった。
クリフォード公爵家。その名は帝国の絶対権力の象徴だ。
まさか、この二人がそんな高貴な血筋だったとは。
「そして、そこにいる男……ブレイズ・クリフォードは、その公爵家の嫡男。生まれながらにして、全てを与えられた男です」
彼の視線が、初めて兄へと向けられる。その瞳に宿っていたのは、憎しみというよりも、もっと複雑な色だった。
「彼は、太陽でした。誰もが、そう信じて疑わなかった」
アズールは、まるで自分の記憶を確かめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「幼い頃から、彼の剣の才能は人間離れしていました。十代半ばで参加した御前試合では、歴戦の騎士たちを子供扱いした。その圧倒的な才能と、人々を惹きつけてやまないカリスマ性。父も、家臣たちも、そして……ボクでさえも、彼こそがクリフォード家の、いや、帝国そのものの未来を背負って立つ英雄なのだと、信じていました」
その言葉は、弟から兄への、最大限の賛辞のはずだった。
だが、その声は不思議なほど冷え切ってきる。
「彼は、その期待に応え続けました。『獅子心騎士団』に入団すれば、瞬く間に団長の座にまで上り詰めた。史上最年少での快挙です。誰もが彼を『金獅子』と呼び、その武勇を讃えました。……完璧な、英雄でしたよ」
そこまで語ると、アズールは一度、言葉を切った。
その目元が侮蔑と苛立ちで深い皺に包まれる。
「――だというのに。彼は、全てを捨てた」
彼の声には、抑えきれない激情と、暗い絶望が滲んでいた。
兄への憧れと、それが裏切られたことへの失望。
「彼がいなくなった時……ボクは、心から安堵し、同時に……絶望もしました。追いかけるべき光を失ってしまったのだから。残されたのは、クリフォード家次期当主という、あまりにも重い責務だけ。それを継ぐことになったのは、このボクでした」
アズールは顔を上げ、わたしをまっすぐに見つめた。
その、どこか縋るような、痛々しいまでの切実さが宿った視線に、わたしは居心地が悪くなる。
「そんな時です。貴女の噂を耳にしたのは。『遺跡喰らい』。失われた古代の叡智を、本能で解き明かす力」
彼の声が熱を帯びる。
「その力を、ボクが誰よりも先に手に入れることができたなら……。ボクは初めて、あの太陽のような男に、ボクだけのやり方で、勝利できるかもしれないと思ったのです」
それが、彼の本音。
兄に勝ちたい。ただそれだけ。
「へっ……くだらねえ」
ブレイズが吐き捨てるように言った。
「結局てめえは、俺に勝つためだけに、ミリアを利用しようとしたってわけか。どこまでも歪んでやがるな、てめえは」
「歪んでいる?それは心外ですね、兄さん」
アズールの顔から悲壮感が消え、不敵な笑みが浮かぶ。
「もし、ボクが歪んでいるのだとしたら、それは全て、貴方のせいだ。貴方がその太陽のような輝きで、ボクの全てを影にしてきたせいで、ボクはこうならざるを得なかったのですよ」
アズールからの思わぬ反撃に、ブレイズはチッ、と舌打ちをするだけだった。
彼は再びわたしに向き直り、理路整然と申し出る。
「ですが、もう兄さんに勝つためなどとは言いません。ただ、貴女の力の謎を解き明かす手助けがしたい。ボクの願いはそれだけです」
——嘘くさい。
でも、彼の言葉は真実も孕んでいるように聞こえる。
彼の瞳の奥に見え隠れする執着は本物だ。
わたしという「未知」を理解したいという渇望。
それが彼を突き動かしている。
わたしは、隣で黙り込んでいるブレイズを見上げた。
彼の横顔は、炎に照らされて、いつもよりずっと険しく、そして孤独に見えた。
……この兄弟、一筋縄じゃいかなそうね。
「……そう。あなたたちの事情は、分かったわ」
わたしは努めて冷静に切り出した。
「あなたたちが、ただの仲の悪い兄弟ではないことも。その、どうしようもなく拗れてしまった感情の根源もね。一応は、納得してあげる」
わたしはブレイズの手に、自分の手をそっと添える。
その硬い手を愛おしむように撫でる。
「ブレイズ。わたしは、あなたのことは信頼しているわ」
重ねた手が熱を帯びる。
「あなたはわたしを何度も助けてくれた。今日も、その命を懸けてわたしを守ってくれた。……ありがとう」
ブレイズは一瞬、子供のようにきょとんとした顔をしたが、すぐに照れくさそうに顔を背けると、「……当たり前だ」と、ぶっきらぼうに呟いた。
わたしは再び、その視線をアズールへと戻した。
わたしの瞳から温もりは消え失せ、氷のような冷徹な光が宿る。
「でも、アズール。あなたのことは、まだ少しも信用できない」
きっぱりとした、一切の甘えを許さない声。
「あなたは、わたしを『資産』だと言った。兄を超えるための『道具』として、わたしを手に入れようとした。その言葉と、その目を、わたしが忘れたとでも思っているの?」
わたしの指摘に、アズールは動じなかった。
彼は、わたしの絶対的な不信の視線を真っ直ぐに受け止めると、まるでその言葉を待っていたかのように、静かに、そして恭しく、再びわたしの前に膝をついた。
「……ええ。それで、構いません」
その声には、一片の言い訳も、取り繕うような響きもなかった。
「信頼など、すぐに得られるとは思っていません。ボクが貴女にしたことを考えれば、当然のことです」
彼は顔を伏せたまま続けた。
「ボクはただ、貴女の力の謎を解くための『道具』として、その知識を提供するだけです。貴女がボクをそう判断するのなら、喜んでその役割を受け入れましょう。全ては……貴女を守るために」
その言葉は、あまりにも謙虚で、献身的だった。
わたしは、その返答に満足したわけではなかったが、今はそれ以上の追及は不要だと判断した。
ただ、ふん、と鼻を鳴らすだけ。
「覚えておきなさい。あなたの知識は『借りる』だけ。不要になれば遠慮なく切り捨てるわ」
「――御意のままに、我が女王」
アズールは、顔を上げることなく、そう答えた。
その伏せられた顔に、一瞬だけ、獲物が自ら檻のすぐそばまで歩み寄ってきたことを喜ぶ、狼のような冷たい笑みが浮かんだことを、わたしはまだ知らなかった。




