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第12話 嵐の後

「……負けましたよ、兄さん」


鼓膜を震わせた声は平坦で、不気味なほど静かだった。


「貴方の、その根源的な魂の力が、ボクの知性と計算を、完全に上回った。認めましょう」


薄目を開けると、視界の端にアズールの姿が見えた。

彼は地面に膝をつき、恭しく頭を垂れている。その夜空色のガラス玉が、ブレイズの腕の中にいるわたしをじっと見つめていた。


「だから、お願いします。ボクも、連れて行ってください」


「ああ?」


わたしを抱くブレイズの胸板が、警戒の唸りで震える。


「てめえ、何を企んでやがる」


「企みなど、もうありませんよ」


アズールは自嘲気味に、芝居がかった悲壮感を漂わせた。


「彼女のあの力は危険すぎる。放置すれば、いずれ彼女自身を焼き尽くすでしょう。ですが……賢者の塔の知識があれば、制御する道筋を見つけられるかもしれない。ボクは、彼女が壊れていくのをただ見ていることだけは、耐えられない」


よく回る舌だこと。

わたしという「希少な検体」が惜しいだけでしょうに。


「ふざけるな!ミリアを『資産』だと言ったその口で、今度は心配だと?とっとと失せろ!」


彼の腕に力がこもる。わたしを守ろうとする痛いほどの熱。

ありがとう、ブレイズ。

けれど、感情だけで生き残れるほど甘くない。わたしは重たい瞼を押し上げた。


「……待って、ブレイズ」


「ッ、ミリア!?」


逞しい腕に手を置き、身を起こす。身体の芯は痺れているが、頭は冷えていた。

ふらつく身体を、足の裏に力を入れて自分の力だけで支える。

わたしは乱れた髪をかき上げ、跪く賢者へと視線を向けた。


「……いいわ。あなたの同行を、認めましょう」


「ミリア!?こいつが何て言ったか忘れたのか!」


「忘れていないわ。一字一句覚えてる」


わたしはブレイズの拳をそっと包み込んだ。

ごつごつした手触りが、わたしに力をくれる。


「でも一理あるの。この力が制御できない危険なものであることは、わたしにも分かる。その謎を解くために、彼の知識は確かに必要よ」


悔しいが事実だ。あの暴走はわたしの理解を超えていた。

解明のためなら悪魔の手でも借りる。

例えその爪が自分の喉に添えられていたとしても。


アズールの顔に、一瞬だけ抑えきれない歓喜の色が走ったのを、わたしは見逃さなかった。

やはり、この男は諦めていない。

膝を屈したのは、獲物の懐に入り込むためのポーズに過ぎない。


だからこそ、「監視下」に置く。

わたしは彼の目の前に意思の短剣を突き立てた。


「ただし、忘れないで。知識は『借りる』だけ。主導権はわたしにあるわ」


声を低くし、威厳を込める。


「もし少しでも妙な気を起こせば……ブレイズが殴り倒すより早く、わたしの双剣があなたの喉を搔き切ることになるわ」


脅しではない。

アズールは深く頭を下げた。


「……承知しました。我が女王、ミリア様」


白々しいほどの忠誠。

その唇の端が、微かに歪んでいるように見えたのは、気のせいではないだろう。

狼を群れに入れるようなものね。

でも、飼いならしてみせるわ。


          ◇


戦いの嵐が過ぎ去った後、霊廟の広場には気まずい沈黙だけが残された。

アズールはゆっくりと立ち上がると、ローブの土を丁寧に払い落とした。


その所作は、先程までの狂気を微塵も感じさせない、落ち着いた賢者のものだった。


「セシリー」


「は、はいっ、アズール様!」


師の声に、少女が弾かれたように背筋を伸ばす。


「君は賢者の塔へ戻りなさい」


アズールの声は淡々としていた。

その声は何の感動も含んでいない。


「塔には、今回の件は『対象の魔力量が想定を上回り、捕獲に失敗。継続的な監視に移行する』と報告するように。ボクの個人的な判断で、対象と接触し、その力の根源を探るための共同調査を開始した、と」


「し、しかしアズール様!それでは……!」


「命令だ」


短く、絶対的な響き。

セシリーの言葉が途切れる。

アズールの声が少しだけ柔らかさを帯びる。


「君には、もっと重要な役目を与える。賢者の塔に残り、ボクの『目』となり『耳』となりなさい。帝国の動向、塔の内部情報、そして……ボクが求めるあらゆる情報を、誰にも知られることなく、ボクだけに送り続けるのだ。できるね?」


「……!はい!このセシリー、アズール様の手足となり、必ずやご期待に応えてみせます!」


敬愛する師からの特別な任務が彼女の心を満たしているのだろう。

少女の顔から迷いが消え、使命感が満ちる。

セシリーはわたしとブレイズを一度だけ睨みつけると、闇の中へ駆け去った。

アズールはその背中を冷ややかに見送っている。


……哀れな子。ただの便利な駒でしかないのに。


張り詰めていた糸が切れ、どっと疲れが押し寄せてきた。


「……少し、休むぞ」


ブレイズがわたしの肩を抱き寄せ、広場の端へと導く。

彼は手慣れた様子で自分のマントを敷き、わたしを座らせた。

ゴワゴワとした生地からは、彼の匂いと、微かな血の匂いがした。


「ありがとう……」


アズールは、わたしたちから数歩離れた場所に、流れるように静かに腰を下ろした。

こちらを見ようともしない。

ただ、月明かりに照らされた石畳を見つめている。

その距離感が、わたしたちの奇妙な関係を象徴しているようだった。


パチ、パチ。


ブレイズが起こした焚き火が爆ぜる。

揺れる炎が、三人の影を頼りなく揺らしていた。



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