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第11話 渇望 <アズール視点>

ミシミシッ……!


不快な音が、ボクの完璧な計算式にノイズを走らせる。

僕がそのすべての理論を構築し、築き上げた絶対の結界、『静寂の檻』。その黄金の壁面に、あろうことか亀裂が走っていた。


「そん、な……!結界が、内側から…!?あり得ません、アズール様!」


セシリーの悲鳴が遠く聞こえる。

ボクの顔から、余裕という名の仮面が剥がれ落ちていくのが分かった。


——なんだ、あれは!


ボクの網膜に焼き付いているのは、ミリアの内側から溢れ出す、冒涜的なまでに神々しい白銀の輝きだ。

脳内のデータベースを高速で検索する。過去の文献、理論、禁忌の魔術――すべてと照合する。


だが、『解』が出ない。


この結界は、大気中の魔力マナに加え、その供給源である異界と対象とを繋ぐパスを完全に切断する術式だ。魔力の供給を立たれた人間など、ただの人形に等しい。

だというのに、彼女の魔力は枯渇するどころか、内側から爆発的な奔流となって檻を食い破ろうとしている。


――違う。あれは魔力マナではない。


思考が、戦慄と共に一つの真理へと到達する。

あれは技術スキルによって変換された魔力ではない。純粋な生命エネルギーそのものだ。

彼女自身が、異界と現世を繋ぐ生きた『ゲート』であり、彼女の肉体そのものが、巨大な魔法陣——!


パリンッ!


甲高い音と共に、ボクの誇る『静寂の檻』が、薄氷のように砕け散った。

光の粒子となって霧散する結界。だが、彼女の暴走は止まらない。


「う……ぁ……ああ……っ!」


彼女の唇から、苦悶の呻きが漏れる。

あまりにも巨大すぎる奔流が、彼女という器を内側から焼き尽くそうとしているのだ。


——駄目だ!


ボクは初めて、計算外の事態への恐怖を覚えた。

ボクが欲しかったのは、こんな自壊する兵器ではない。

この手でページをめくり、その叡智を解き明かせるはずの、究極の『原典』だ。

だというのに、その書物は今、あまりにも偉大すぎる物語の重さに耐えきれず、ボクの目の前で灰になろうとしている。


失われる。


究極の至宝が、永遠に。

その喪失の予感がボクの背筋を凍らせた、その時だった。


「ミリアァァッ!」


ボクの思考を、最も聞きたくない野蛮な咆哮が引き裂いた。

結界から解放された兄さんが、躊躇なく白銀の嵐の中心へと飛び込んでいく。


「戻ってこい、ミリア!」


馬鹿な。自殺行為だ。

あのエネルギー密度の中に生身で飛び込むなど、論理的思考ができる人間のすることではない。

だが、兄さんはその巨体で、ミリアを強く抱きしめた。


「……ブレ、イズ?」


信じられないことに、彼女の瞳に理性の光が戻る。

ただ名前を呼び、ただ抱きしめる。

そんな、魔術的根拠の欠片もない原始的な行為が、暴走する神の力を鎮めたというのか。


嵐が凪ぐように、光が身体へと収束していく。

彼女は糸が切れたように、兄さんの腕の中で安らかな寝息を立て始めた。


ボクは、その光景をただ呆然と見つめることしかできなかった。


——なぜだ。


ボクの計算、ボクの論理、賢者の塔の叡智。

その全てが通用しなかった領域に、兄さんは「想い」という不確定要素だけで到達した。


ああ、また、だ。


幼い頃から何度味わわされたか分からない、この敗北感。

ボクがどれだけ緻密に積み上げても、兄さんはその本能だけで、全てを飛び越えていく。


だが。


ボクの魂の底、ドロリとした暗い場所に、一つの渇望が火を灯した。


――手に入れたい。


それは、知的好奇心などという上品なものではなかった。

もっと原初的で、醜悪で、甘美な独占欲。


あの、神の奔流そのものを。

今にも壊れそうなほどに儚く、美しい『門』を。

このボクが手に入れ、その力の全てを解き明かし、完全に制御下に置くのだ。


そうだ……。あれさえあれば、ボクは、あの男を超えることができる……!


兄さん。ブレイズ・クリフォード。


あの忌々しい太陽。天賦の才と野蛮な「力」だけで、常にボクの前を歩いてきた男。

だが、ミリアという理外の力を、ボクの「知性」で支配できたなら。

それこそが、あの暴力的な輝きさえも飲み込む、絶対的な勝利の証明となる。


誰にも渡さない。

賢者の塔にさえも。

そして何より――兄さん、あなたにだけは。


彼女はボクだけの女神だ。ボクだけの研究対象だ。

その気高い魂がボクの論理の前に屈服し、その神の力がボクの計算通りに完璧に制御される様を、この目で見たい。


その瞳に僕だけを映し、敬服するさまを愛でていたい。

その全てを、ボクだけのものに――。


奥歯を噛み締めながらも、ボクの口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。

敗北感よりも熱い、執着の炎が心を焼き尽くす。


あの野蛮な獣には、彼女の本当の価値など理解できはしない


彼はただ、本能で吠え、彼女を鎮めたに過ぎない。

あの力の構造も、その制御方法も、その真の美しさも、彼には永遠に理解できない。

あの至宝の隣に立つ資格があるのは、その価値を唯一、論理的に理解できるこのボクだけだ。


奪い取る。


ボクの中で、結論が出た。

ミリアという「至宝」を、兄から奪う。

そして、誰にも邪魔されない完璧な「檻」の中で、ボクだけのものにする。


そのためならば。

プライドなど、安いものだ。


ボクはゆっくりと歩き出し、ミリアを抱く兄さんの前へと進み出た。

そして、賢者のローブの裾を汚すことも厭わず、その場に静かに膝をついた。


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