第155話…神の軍勢
そこは一切の光が無い世界だった。
そこは、この世界、この神話体系の冥府の底。
彼女は一切の光が射さない冥府の底の捕らわれていた。
彼女の姿を見る者が居たならば、それは巨大な蜷局を巻く龍に見えた事だろう。
全長何キロメートルあるのかすら解らない巨大な蛇身の龍のような存在に見えた事だろう。
だが、よく見れば、それは龍ではなかった。
龍ならば頭部に当たる部分にある…いや居るのは美しい女だったのだから。
龍と見えたモノは女の腰部より生えた長大な尻尾だった。
それは長く黒い髪に豊かな胸を持つ全裸の美女。
長大な尻尾を持つ怪物のような姿の美女。
彼女の眼は閉じられ眠っているようだった。
復讐の女神スィーラスーズ。
それが、この世界での彼女の名前。
彼女の周りには無数のぬいぐるみが漂っていた。
1万を優に越える数のぬいぐるみ達。
ぬいぐるみ達も目を閉じ眠っているようだった。
一切の光が無い世界に、一条の光が射した。
遥か上から光が射した。
「たすけて…」
そして、その声が聞こえた。
「たすけて…みんな…」
その悲痛な嘆きが聞こえた。
「呼んでいるのですぅ…」
ぬいぐるみ達は目を開く。
「助けを呼んでいるのですぅ!!」
ぬいぐるみ達は聞いた。
助けを求める同胞の声を聞いた。
その声は、神刀に切り裂かれた時空の裂け目から冥府の底に届いた。
「行くのですぅ!」
「今、助けに行くのですぅ!!」
ぬいぐるみ達は光を目指そうとする。
上に出来た僅かな時空の裂け目を目指そうとする。
しかし、冥府の底に封じられたぬいぐるみ達に再び飛び立つ力は残っていない。
「待っているのですぅ!」
「今、行くのですぅ!」
どれほど力を振り絞ろうと、ぬいぐるみ達が冥府の底より上がる事は出来ない。
それでも、ぬいぐるみ達は飛び立とうとする。
仲間の悲痛な声に応え、助けに行こうとする。
しかし、それは全て無駄だった。
「ダメですぅ!」
「閉じてしまうのですぅ!」
時空の裂け目が閉じていく。
あれが完全に塞がったなら、もう冥府より助けに行く手段は無い。
助けを求める悲痛な声。
助けに行けぬ悲痛な声。
彼女は、その声を聞いた。
だから彼女は僅かに瞳を開いた。
ぬいぐるみ達は一斉に気付き振り向く。
「神様!それはダメですぅ!」
「神様が、もっと深くまで、底の底まで墜ちてしまうのですぅ!!」
ぬいぐるみ達の心配する声に、彼女は僅かに微笑んだ。
そして、彼女は力を振るう。
僅かに残った力を振り絞る。
『行きなさい、我が愛し子達よ』
「「「神様ーっ!!」」」
ぬいぐるみ達は彼女の力で押し上げられる。
反動で彼女は墜ちて行く。
冥府の底の…さらに底まで墜ちて行く。
「行くのですぅ…」
「助けに行くのですぅ!!」
もう、ぬいぐるみ達は振り返らない。
ただ上を目指して飛ぶ。
ただ光を目指して飛ぶ。
ただ仲間のために飛ぶ。
「間に合わないのですぅ!」
「閉じてしまうのですぅ!」
間に合わない。
このままでは間に合わない。
だから、ぬいぐるみ達は隣の仲間を押し上げる。
反動で自分が再び底に墜ちる事を承知で押し上げる。
「後は任せたのですぅ!」
「任されたのですぅ!!!」
裂け目が閉じる一瞬前に間に合ったのは、たった58匹のぬいぐるみ。
それでも、女神と仲間たちの献身の末に、彼らは物質界に辿り着いた!
仲間の助けを求める声に応えて物質界に顕現した!
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迫りくるは1000体を越える魔族の軍勢。
「待たせてしまったのですぅ」
それを前にしても動じる事なく、58匹のぬいぐるみは力尽きた仲間を想い目を閉じた。
「後は任せるのですぅ!」
ぬいぐるみ達は一斉に目を開く。
敵は1000を越える魔族の軍勢。
迎え撃つは、たった58匹のぬいぐるみ。
否!!!!
それは58匹のぬいぐるみでは無い!
それは58柱の神々。
神代の時代、偉大なる復讐の女神と共に戦場を駆けた神の軍勢。
「『ましろん王国』精兵58騎!」
『ましろん王国』
そんな国は無いと笑う者も居るだろう。
だが、彼らが有ると言えば、それは有るのだ!
彼らの心の中に、それは有るのだ!
それは、もう失われた王国。
もう何処にも無い彼らの故郷。
それでも彼らは同じ女神に仕え、同じ王国を胸に抱き、同じ言葉のために戦うのだ!!
『食べ物の恩と恨みを決して忘れてはいけない』
そんな馬鹿馬鹿しい言葉のために、その身を賭けて戦うのだ!!
「突撃ですぅーっ!!」
そして、58柱の神の軍勢と1016体の魔族の軍勢は激突した!!
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人々は声も無く、その戦いを見ていた。
ベアトリス率いる100騎の騎兵も、遺跡の中に閉じ込められたクラージュたちも、声もなく、その戦いを見ていた。
ぬいぐるみの腕が弾け飛び、脚がちぎれ落ち、腹が裂かれ、頭が砕けた。
それでも、ぬいぐるみ達は一歩も退かない。
その身が砕け散り、その身が塵も残さず消滅するまで、決して退く事は無い。
それは神話の時代の戦いであった。
それは神話に語られる神族と魔族の戦いであった。
その激しい戦いは悠久のようにも、一瞬のようにも感じられた。
そして…
人々は見た。
全てが終わった荒野に、たった1匹立つぬいぐるみの姿を見た。
両腕は既に無く、全身の傷から綿を吹き出し、頭を半分失いながらも、確かに其処に立つ1柱の神の姿を見た。
「■■■■■■■■ー!!」
ぬいぐるみの口から、もはや意味を成さぬ雄叫びが響いた。
その雄叫びに意味のある言葉は無い。
それでも、その雄叫びを聞いた全ての者は理解した。
それは勝利を告げる雄叫びなのだと、力尽きた仲間に、散って行った同胞に、勝利を伝える雄叫びなのだと。
長い長い雄叫びを終えた最後のぬいぐるみは、ゆっくりと倒れ…その身が地面に着くより先に、塵も残さず…消滅した。
後には…最初から何も無かったかのように、ただ荒野が広がっていた。
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遺跡の中の広場。
空間が閉鎖され出られない場所でクラージュは空中に浮かぶ映像を見ていた。
58柱の神々が勝利し消滅する様を見ていた。
「終わったんだ…」
城塞都市アシュール…いやイシュリス王国は救われた。
いや、もしかしたら1016体もの下位魔族の中に魔界との門を完成させる個体が居た可能性すらあるだろう。
そう考えるなら物質界が救われた。
クラージュは気づいていなかった。
その中心に居るのが誰であるのか?
まるで誰かが予め知っていたかのように上位魔族ペイオールを倒せる戦力が集まった。
本来なら敵対関係にある光属性の種族と闇属性の種族が、何の力もない凡庸な少年を中心に集まった。
神々さえも集まった。
クラージュは何も知らない。
この瞬間に世界が変わった事も、自分が何を成したかも、決して知る事は無い。
そして、クラージュには世界なんてどうでも良かった。
「うっ…ううっ…」
嗚咽が聞こえた。
クラージュは振り向き、嗚咽を漏らす女性に目を向ける。
彼女の下腹に目を向ける。
半透明な羽衣のような彼女の服の下。
その柔肌にクラージュには見えた。
「シシリィ…良かった…」
彼女の下腹から呪いの紋章が消えているのが見えた。
「クラージューッ!!」
「シシリィーッ!」
そして、2人は硬く硬く抱き合い…クラージュは神々に感謝するように顔を上げた。
「えっ?」
そして…クラージュは…空中に浮かぶ映像に映る物を見た…
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それは、ぬいぐるみだった。
それは銀色の狼のぬいぐるみだった。
クラージュの背嚢にルゥが縫い付け、シシリィがコッソリ糸を切り、背嚢から外れて落ちた銀狼のぬいぐるみ。
「よいしょ…ですぅ」
銀狼のぬいぐるみは立ち上がる。
「予備の身体を作っておいて正解だったのですぅ」
銀狼は身体の調子を確かめるようにストレッチした後、尻尾を立てて腕をパタパタさせ始めた。
「尻尾持つ者よ〜!尻尾持つ者たちよ〜!集うのですぅ〜!集い力を貸して欲しいのですぅ〜!」
その呼び掛けに応えて飛んできた赤い翼竜に股がり銀狼のぬいぐるみは城塞都市アシュールの方角に飛び去っていった。
「…」
クラージュは、シシリィを抱きしめながら映像に映る銀狼のぬいぐるみを見ていた。
「ルゥ…アレって…」
同じく映像を見ていたルゥに確認すると…
「マシロンさんですね…」
復讐の女神の信徒は断言する。
やはり、あの銀狼のぬいぐるみは新しい身体を得たマシロン・ノワールらしい。
効果時間が切れたのか映像が消えた。
「「「…」」」
その場の全員が彼らを助け逝ったと勘違いした神性が元気に飛び去るのを見た。
「何なの…あの神様…」
クラージュは呆然と呟いた後…
皆が共に戦った仲間が無事だった事に笑い声を上げた。
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翼竜に乗りアシュール方面を目指す銀狼のぬいぐるみは眼下に、それを見て翼竜から飛び下りた。
街道をノテノテ走る銀狼のぬいぐるみの目に映る物。
それは城塞都市アシュールからノテノテと歩いてくる58匹のぬいぐるみ。
今頃アシュールの施療院では物置小屋に保管していた子供たちに配るはずのぬいぐるみ58個が消えた事に首を傾げている事だろう。
「マシロンですぅ~!」
「マシロンですぅ~!」
「マシロンですぅ~!」
「「「マシロンですぅ~!」」」
ぬいぐるみ達は尻尾を振って挨拶する。
「予備の身体を作っておくとは、さすがマシロンですぅ~」
「賢いのですぅ~」
「天才ですぅ~」
マシロン達はゲヘゲヘと不快に笑う。
そして再会を祝して踊りだした。
「「「マシロン♪マシロン♪マシロン音頭~♪みんなで踊ろう♪マシロン音頭~♪」」」
一頻り踊ったマシロン達。
「そろそろ神様の所に帰るのですぅ」
「そうするのですぅ」
マシロン達は、ブツブツと呪文を唱え始めた。
「開け!冥府の門!」
マシロン達はポーズを取り、その呪文が完成した。
「…」
しかし、何も起こらなかった。
「大変ですぅ〜!力が出ないのですぅ〜!神様の所に帰れないのですぅ〜!」
マシロン達は地面を転がって嘆き悲しむ。
冥府への門が開かないのは、神代の時代に神族と魔族が結界を張ったからなのだが。
もちろんマシロン達が、そんな大事な事を覚えているわけは無い。
一頻り嘆いたマシロン達は一斉に立ち直る。
「まあ、帰れないものは仕方ないのですぅ」
マシロン達は綿が詰まった残念な頭で考え相談を始める。
「これからどうするですぅ?」
「どこに行くですぅ?」
「…」
しばらく考えていた銀狼のぬいぐるみは、やがて…
「オエェェェーッ!ゲロゲロゲロゲロー!」
吐いた…
銀狼が吐き出したのは一枚の羊皮紙。
「コレを見るのですぅ!」
マシロン達が羊皮紙を覗き込むと、羊皮紙は『いしゅりす・おうこく・ぐるめ・まっぷ』と書かれた地図だった。
「美味しい物を食べに行くのですぅ?」
「何を食べに行くのですぅ?」
「海の幸はどうですぅ?」
「魚ですぅ?」
「貝ですぅ?」
「蟹ですぅ?」
「「「賛成ですぅ~!!」」」
そして、59匹のぬいぐるみはノテノテと旅立って行った。
港街へと続く街道に59匹のぬいぐるみの楽しそうな笑い声が響き続けていた。
彼らは、また何処かでお腹を空かせて倒れて…
何処かの誰かに助けられて…
その恩を返すために戦うのでしょう。
だって、彼らは…
いい加減で、適当で、食い意地が張っていて、邪悪な…
『食べ物の恩と恨みを決して忘れない』
神様なのですから。




