第154話…王国の精兵たち
「痛ッ!!」
大太刀を握っていたクラージュの右手から派手に血が吹き出し激痛が走った。
思わず大太刀『神刀・玉白』を取り落とすクラージュ。
「何…だ?」
クラージュは見た、自分の足元に開いた裂け目を。
一切の光が無い世界へと続く時空の裂け目を見た。
『神刀・玉白』は大太刀から元の小刀の姿に戻り時空の裂け目へと落ちていく。
「良かったのですぅ~」
そんな声が聞こえた。
声の方を見ると、もう原型を留めているのが不思議なくらいに崩壊したぬいぐるみが微笑んでいた。
「玉白が神様の所に帰れたのですぅ~」
そのマシロンの言葉でクラージュは理解した。
この時空の裂け目は冥府に繋がっている穴なのだと。
復讐の女神の第4子は母の元に帰れたのだと。
「上位魔族だけじゃなく時空の壁まで斬ったって事か…」
クラージュは、母親に駆け寄り抱きつく黒髪の童女の姿を思い浮かべた。
永い永い時の果て、やっと母親の元に帰れた第4子。
マシロン・ノワール。
そう呼ばれる物質界に残った最後の冥精の役割も終わった。
その身体が力を使いきり消滅する最後の瞬間に、その役割を果たした。
「マシロンさん…」
変身を解いたルゥがマシロンを抱き上げる。
仮にマシロンを冥府に続く裂け目に落としても復讐の女神の元に帰る前に、その身は消滅するだろう。
偉大なる復讐の女神の眷属神は、ここで仲間に看取られる事なく1柱で逝く。
せめて、同じ女神に仕える者としてルゥはマシロンの最後を看取ろうと抱き締めた。
「右手…何とか無事みたいだ」
クラージュは血塗れの右手を動かしてみる。
皮が裂けて派手に血が流れているが、ちゃんと指は動く。
玉白が言った右手が吹き飛ぶは脅しだったのか?
それとも運が良かったのか?
そこに声がした。
「ははは…まさか我輩が、このような場所で果てようとは…」
身体が真っ二つに裂け倒れたペイオールの声。
「まだ生きているのか!」
「さっさと死ねーっ!」
ゲルタがペイオールの右半身の首を落とし、エリが左半身の心臓をえぐる。
それでもペイオールは話し続ける。
「安心したまえ、傷の再生が全く出来ん、我輩は間もなく死するだろう。
定命の者よ、お前たちの勝ちだ」
ペイオールは負けを認める。
しかし、その表情から悪意を感じるのはペイオールが魔族だからだろうか?
「いやはや、ここまでの我輩の努力が無駄になるとはなぁ」
ペイオールが脚で床を軽く叩き呟いた。
「開け」
その場の全員が、その一言に底知れぬ悪意を感じた。
「貴様!何をした!!」
ペイオールの半分になった頭に曲刀を突き付け怒鳴るゲルタに、ペイオールは悪意ある笑い声で答えた。
それは言葉ではなく、空中に浮かんだ映像。
映像に映るのは遺跡の外の荒野に作られた巨大な魔法陣。
「何だコレはっ?!」
再びのゲルタの怒鳴り声。
「我輩が物質界に来てから作っていた物さ。
魔界へと続く門だったんだがね。
残念ながら未完成でね。
大して役に立たない代物だよ」
魔法陣が起動し何かが次々と顕現してくる。
「あれは、まさか…」
ゲルタが恐怖し…
「下位魔族…」
現役冒険者時代に、それと遭遇した経験があるシシリィが、その名を戦慄と共に口にした。
「我輩を倒した、お前たちからすれば下位魔族など脅威ではあるまい。
もっと上位の者を呼び出したかったのだが、この未完成の魔法陣では下位魔族が限界でね。
数も、たったの1016体だ」
ペイオールは自身が死する直前まで悪意をばら撒き嘲笑する。
「向かう先は城塞都市アシュール。
なに、アシュールと近郊の街や村で2万人近い人間が住んでいるだろう?
その、たった20分の1の数だよ」
城塞都市アシュールと近郊の人口が2万人弱と言っても、それは女、子供、老人を含めた数だ。
戦える人間は半分にも満たず、下位とはいえ魔族と戦える熟練した技量の持ち主など極少数でしか無い。
「そんな…1000を越える魔族がアシュールを襲ったなら…」
クラージュが呆然と呟き。
「アシュールは、確実に滅ぶわ」
シシリィが現実を口にした。
「我輩の閉鎖空間は、あの刀の姿の冥精に穴を開けられたが、幸い出入口は閉じたままのようだね。
お前たちは特等席で鑑賞するといい」
ペイオールは嘲笑しつつ、その身体は崩壊していった。
異界から召還された故か死体すら残さずペイオールは消滅した。
しかし、ペイオールが残した悪意に対抗する手段は何もなかった。
仮に閉鎖空間から出て、全員が全力で戦えても下位魔族の4、5体も倒せたなら良い方だろう。
それが1016体。
本当に、もうどうしようも無かった。
完全に詰みだった。
クラージュは呆然と空中に浮かんだ映像を見ていた。
ルゥの腕の中で、マシロンの身体は崩壊していく。
1000を越える魔族を倒す力など、マシロンには残っていない。
「もう…マシロンだけでは、どうしようもないのですぅ…」
マシロンの脳裏に浮かぶのは城塞都市アシュールの施療院の人々。
空腹で倒れていたマシロンに食べ物を分けてくれ、助けてくれた人々。
そんな人々を守る力がマシロンには残っていなかった。
「たすけて…」
マシロンは無念の涙を流した。
「たすけて…みんな…」
その嘆きは、きっと誰の耳にも届かず。
マシロンのぬいぐるみの身体は完全に崩壊し、塵すら残らず消滅した。
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荒野を疾駆する領主代行ベアトリス・エールワーズ率いる騎馬100騎。
「全軍!止まれ!」
ベアトリスは、その姿を見て全軍を止める。
ベアトリスの目に映るのは怪物の軍勢。
姿形は様々だが、概ね人型であり赤銅色、青銅色、様々な色の筋肉質な肉体は獣のような体毛に覆われた者や鱗を纏う者などがいた。
頭部には大きな角を持ち、口からは長い牙が覗き、手足には長く鋭い爪があった。
その姿を見たAランク冒険者にして法典神神殿の副神殿長でもある司教チェザレが驚愕の声を上げた。
「あれは下位魔族っ?!
それが1000を越えるですと?!」
「チェザレ殿、下位魔族とは、どのような魔物だ?
その強さは、どのくらいだ?」
無知なベアトリスの問いにチェザレは恐怖と共に答えた。
「私の率いる『正義の天秤』の力をもってしても2体か3体を倒す事が出来るかどうか…」
法典神の神官戦士を中核とする冒険者一党『正義の天秤』
小鬼大王事件で『移動防壁』が全滅した今、城塞都市アシュールを拠点とする冒険者で間違いなく最強の一党。
それが相手をして2、3体倒すのが限界という化け物が1000体以上。
それは城塞都市アシュール…いやイシュリス王国を壊滅させる程の圧倒的暴力。
「ベアトリス様!即座に撤退を!」
ストン・プーナー騎士隊長が叫ぶ。
たった100騎の騎兵に出来る事など何も無い。
即座に逃げるべきだ。
それが当たり前の判断。
だがベアトリスは叫ぶ。
「ダメだ!!我々の後ろには無辜の民が居るのだ!
民が逃げる時間を稼ぐために!
一刻(二時間)でも、半刻(一時間)でも、例え瞬きほどの一瞬でも、我々が踏み止まり時間を稼がねばならんのだ!!」
プーナー騎士隊長は、驚愕の表情でベアトリスを見た。
無能だ、無能だとは思っていたが、この見た目以外に取り柄が全くないワガママお嬢様は、ここまで無能だったのかと驚愕の表情で見た。
100騎程度の戦力など、あの化け物の群れには鎧袖一触で殲滅される。
それならば城塞都市に立て籠り、防壁を利用して籠城戦をやる方がマシだろう。
プーナー騎士隊長は、自分と同じ表情でベアトリスを見る騎士たちを見た。
そして、ベアトリスを殴り倒し縛ってでも撤退させようと決断しようとした。
その時だった。
「あれは何だ?」
前方を見ていたベアトリスが指を差す。
その場の全員がベアトリスが指差す方を見た。
それは1000体を越える魔族の軍勢と100騎の騎兵の中間に立っていた。
それが何であるか、その場の全員が理解していた。
しかし、なぜ荒野のど真ん中に、そんな物が立っているのかを理解出来る者は誰もいなかった。
そもそも、さっきまで、あんな物は無かったはずだ。
いや、単に見過ごしただけなのか?
「どういう事だ?」
再びのベアトリスの疑問の声。
今度は気づかなかったわけでも見過ごしたわけでも無かった。
荒野に立つ者の右に左に後ろに前に、その周囲が蜃気楼のように歪み次々に出現する者たち。
それは腕を組み、誇らしく尻尾を立てて、荒野の中に立っていた。
迫りくる1000を越える魔族の軍勢に臆する事なく立っていた。
それは、小さなぬいぐるみだった。
それは、古びたぬいぐるみだった。
それは、汚れたぬいぐるみだった。
けれど…
それは、無敵のぬいぐるみだった!
それは、無双のぬいぐるみだった!
それは、無数のぬいぐるみだった!
ぬいぐるみ達の中で最も大きく立派な尻尾を持つ個体が声を張り上げる。
「我ら『ましろん王国』精兵58騎!!
ここより先は一歩たりとも通しはしないのですぅ!!」
それは、ぬいぐるみだった。
58匹のぬいぐるみが迫りくる魔族の軍勢の前に立ち塞がっていた。




