Epilogue
自分が、このような人生を送るなんて、幼いころは一度として想像したことがなかった。伯爵家の長女として恥じぬよう必死になって勉強をしてきた。
そしていずれ、親の決めた誰かと結婚し、子を成すのだろうと漠然と思っていた。
それを不幸だと思ったことは一度もなかった。
それが、自分の存在している意味だと思っていたから。
「お母様!」
今考えれば、酷い依存だった。それしか、自分にはないと思い込んでいた。長女だからこそ、求められているからこそやらなければと、勝手に自分を追い込んでいた。
自分でなくてもいいなんて、考えたことも想像したこともなかった。
「どうしたの、ヴィク」
期待されたと思って喜んで、でも代わりが出来てしまって。自分の絶望を誰も理解してくれないことに、一時は言葉を失いたくなるほどだった。どうして自分が存在しているのか、分からなくなって。
誰も、信用できなくなって。怖くて、怖くて。全てが恐ろしくなって。それでも頑張ろうとして。
「リュシー、リュシーもおいで!」
「うん!」
両親が期待してくれたことを、かつては嬉しく思っていた。その期待に応えたいとも思っていた。
結局、応えられない自分が、一番認められなかったのだ。そして、応えさせてくれない家族に対して、憎しみすら感じていたのだと思う。好きなことをしてもいいと言われ、何が好きなことなのかすら分からず。そうした両親を、酷く恨んだ。
「あのね、あのね」
「ゆっくりでいいのよ」
ありのままの自分とは、いったい何なのか分からず。勉強し、期待に応えるためだけに生きてきた自分は一体何だったのだろうと思った。
「これ!!」
「まぁ…お花?」
「うん!」
両親からの数少ない手紙によれば、カレンがファフニール家を取り仕切っていると聞いた。アレックスは貴族社会から干され、今は大人しくしているらしい。…ヘレンがなるはずだった姿に、カレンがなっている。そのことに、ヘレンは何故か涙を流しながら笑ってしまった。
「あのね、マリがね、教えてくれたんだ! 感謝している人に、お花をあげると喜ぶって!」
「リュシーもね、一緒にやったの!」
アンドレアスは、厳しい教育の元しっかりと育っているらしい。一度、幼いころの所業についての謝罪の手紙が同封されていた。そんなことに気遣えるようになったのかと、驚いたのを覚えている。
祖母エリザベスは、床の住人となったらしい。もう、あまり長くはないだろう、とも。
「なんて…綺麗なの…」
「うれしい? おかあさま、うれしい?」
「っ…えぇ、とっても…」
子供たちがいる以上、簡単に屋敷を空けることは出来ない。ただでさえノアが領地視察などで屋敷を外すことが多いのだから。
でも、叶うならば一度、子供たちをバーゲンムートに連れていきたいとノアには話している。
そのようなことを考えるようになるなんて、ヘレンは想像もしていなかった。
二度と、バーゲンムートに戻ろうという気持ちは出てこないだろうとも思っていたから。
「兄さま、やったね!」
「うん! マリの言った通りだったね!」
幸せ過ぎて、涙が零れそうだった。
たくさんの人と出会った。いい人も、悪い人もいた。会わなければよかったと思う人だっている。だが、その人たちとの出会いも、必要だったのかもしれない。
人を愛する気持ちを、大切にする気持ちを、憎む気持ちを知った。
自分が何も出来ない、小娘であったことを認められた。
「本当に、嬉しい…お父様には?」
「あとであげるの!」
「お父様は今お仕事中だから!」
「そう…気を遣っていてとてもいい子ね」
きっと、何一つ無駄なことはなかったのだ。
期待されて、勝手に絶望したあの過去も、逃げ出したことも。
苦しんだ日々も、泣いた日も、喜んだ日も、笑った日も。
「ヘレン」
「あ! お父様!」
仕事がある程度ひと段落着いたのだろうか、出会った当初よりも年を重ね、色気を振りまきながらノアがやってくる。その姿を見ると、ヘレンは何度でも彼に恋に落ちる。
「ん? どうしたんだ?」
「あのね、あのね!」
「リュシー、しー! だよ!」
「あ、しーなの!」
「? ヘレン、その花はどうしたんだ?」
「ふふっ…この子たちがくれたんです」
「そうか、可愛いな」
得意げな顔をする二人の頬に、ノアが口づけを落とす。その光景を見て、ヘレンは何度目になるかわからない幸福を感じた。
そう、自分が欲しかったのは、きっとこれなのだ。
きっと、マイヤーの家で同じような光景があったのであれば、今のヘレンはいなかっただろう。それを考えれば、あの家であったことは必要だったのかもしれないと思えるようになってきていた。
「皆様、お茶のご用意が出来ましたわ」
「ありがとう、アイリス。これを活けておいてもらえる?」
「はい」
「アイリス、私の分もあるか?」
「はい、旦那様」
「ノア、仕事はいいのですか?」
「あぁ、ひと段落着いたし、少しは休憩しないとな」
「ねぇねぇ、お父様、聞いて!」
「リュシーのもきいて!!」
「あぁ、わかったわかった、そんなに引っ張るな、転ぶぞ?」
カレンは、両親は、アンドレアスは。
今、幸せにしているのだろうか。
アマリーやシエルは、今も孤児院で頑張っているのだろうか。
いつか、サブリナにも会いに行きたい。
かつての恩師たちにも、今の自分を見せたい。
昔の自分から、どれだけ成長したのかも、見てもらいたい。
「お母様! 早く早く!」
「―――今行くわ」
「兄上? さぼり? 僕も仲間に入れて!」
「エメリオ…さぼっていない。休憩だ」
「イクスがトンクスの二の舞にならないといいね」
「……。アイツにも休みをもう少しやるか」
「そうしてあげて。ちょっと気にし始めてたよ」
「……」
お茶を楽しんでいれば、少し離れたところから若い女性の声が響く。
「あーー! こんなところにいたのね!」
「ターニャ?」
「ターニャねーさま!」
「ねーさまー!」
「ヴィクにリュシー! 元気だった?」
「「うん!!」」
「…姉上、最近も来たばかりじゃ…」
「お黙り」
「酷い理不尽」
「あらまぁ皆様お揃いで! お菓子をお持ちしたんですけど、足りますかねぇ?」
「シュゼット、大丈夫よ。夕食もあるのだし」
部屋は、明るく楽しい声で満ちていた。
誰もが、笑顔だ。
「ヘレン? どうした?」
感慨深くなり、その光景を見つめているとノアが気付いたのか、気遣わし気にヘレンを見てくる。
「…幸せだなぁ、と」
ヘレンはぼんやりとそれに返した。それを聞いたノアは、嬉しそうに微笑みを浮かべる。
「そうだな。本当に、幸せだな」
「えぇ…本当に」
ノアに肩を抱かれ、ヘレンはノアにもたれかかった。
「あーー! お父様ずるい!」
「リュシーも! リュシーも!」
「おいおい、お前たちはいつも一緒にいるだろう? たまにはお父様にもお母様と一緒にいさせてくれ」
あぁ、なんて、幸福な、光景なのだろうか。
ヘレン・ヴィノーチェの名は、貴族録に記載されているだけとなる。彼女は夫ノアに献身的に尽くし、三人の子供をしっかりと育て上げる。
長男ヴィクトール、長女リュシーヌ、次男アレクシオは、両親の元元気に育つ。
ノア・ヴィノーチェは先代エルサのようにものすごく有名な領主とはならなかった。王家からの覚えの良い彼だったが、最後まで領主として尽くすといい、城に上がることはなかった。その姿勢に、王家もあっぱれと言い、彼のその行動が許されたことが、唯一彼の名が人の口に上るときだろう。
だが、ヴィノーチェ家は他の貴族や民からも憧れられる家族となる。
ヘレンは、幼いころに求めていた自分にはなれなかった。
しかし、彼女は別の幸せを手に入れたのだ。
これにてEverlastingを完結とさせていただきます。
今までご愛読いただきました皆様、本当にありがとうございました。




