14
―――五年後―――
「おかあしゃまーー!」
「はいはい、ちょっと待ってね」
「ふゃあああ」
「奥様、私が見ておりますわ」
「ありがとう、マリ」
その日も、ヴィノーチェ家は騒がしくしていた。
「ベン、ノア様はいつお戻りの予定かしら?」
「はい、奥様。旦那様でしたら本日は夕方にお戻りのご予定です」
「ありがとう。イリーヌ、今度のお茶会の為のドレスはどうなっているのかしら?」
「はぁい、奥様。明日には出来るそうですわぁ。念のため、寸法合わせでこちらに来るそうです」
「わかったわ」
エルサが亡くなってから二年後、ノアとの間に子供が出来、ヘレンは出産した。生まれた男児はヴィクトールと名付けられ、日々元気に過ごしている。その二年後、生まれたのは女児で名をリュシーヌという。
ノアはこの数年でヴィノーチェ家当主として頭角を現し、毎日忙しくしている。王家からの覚えもいいらしい。
「おかあしゃま!!」
「今行くわ、ヴィク。イリーヌ、あとはお願いするわね? マリ、そろそろお昼寝の時間だから準備をお願いしてもいい?」
「かしこまりましたわぁ」
「はい、かしこまりました」
「ダン、あの子たちが寝たら執務室に行くわ。準備をお願い」
「かしこまりました、奥様」
バーゲンムートから来たヘレンは、最初の頃カロリアンの貴族からは遠巻きにされていた。しかし、元から勤勉ということもあり、一部の上位貴族の夫人から気に入られると、その垣根は徐々になくなっていった。夫を献身的に支え、尚且つ斬新な意見を言うヘレンを、夫人たちはとても気に入ったらしい。
現在、ヘレンは屋敷にいながら夫の仕事を手伝い、そして夫人たちと新たな流行を作ろうとしている。
エルサが亡くなり、その数か月後にマリはやってきていた。どうしたいか本人に確認してもらえるようサブリナに聞いたところ、本人は即決でヘレンの元に来ることを希望したためだ。
久しぶりに会った二人は、涙ながらに謝罪し合いながら、離れていた時間を埋めるかのように話し続けた。
ヘレンとサブリナは、今でも文通を続けている。一時、生まれたリュシーヌのマナー講師として招きたいと打診したが、年のこともあり、それは断られた。
「はやくぅ、おかあしゃまぁ」
「落ち着いて、ヴィク。今行くからね」
ヴィクトールは、ノアよりも深い青の髪をし、はちみつ色の瞳をしたノアそっくりの子だった。ヘレンは、小さい時のノアを想像しながら毎日楽しくしている。リュシーヌは、赤毛に青緑の瞳をした娘で、どことなくエルサに似ている。
どちらも可愛い子供たちだ。
「どうしたの?」
「みてみてぇ!」
ずい、と出された手にはミミズがうねうねとしていた。こういうところは、ターニャに似ているかもしれない。
「あらあら、捕まえたのね。でもちゃんと放してあげるのよ?」
「かっちゃだめ…?」
「うーん…ヴィヴィアンヌに怒られるわよ? それにミミズにもお父様とお母様がいるかもしれないわ?」
「そっかぁ……ヴィー、おこるとこわい」
エルサ亡きあとも、トンクスとヴィヴィアンヌは屋敷に勤めてくれている。ぱっと見は分からないが、屋敷の使用人の中でも子供たちを溺愛している部類に入るだろう。流石にミミズを飼うことを許してはくれないだろうが。
「奥様」
「トンクス、どうしたの?」
「旦那様からお手紙です」
「ノアから?」
現在、ノアは領地視察へと出かけている。行きたくないと駄々を捏ねたノアを無理矢理行かせたのはヘレンだ。
「……あらあら」
「なんと?」
「出来る限り早く戻る、ですって」
「旦那様は本当にお家が好きですね」
「そうね」
「あーートン!! ねぇねぇだっこして!!」
トンクスに気づいたヴィクトールは、汚れた手を伸ばしながらトンクスに近づく。トンクスを見れば、その表情はでれでれと溶けている。
「坊ちゃま、もちろんですよ」
「あら、駄目よ」
しかし、ヘレンはすぐさまをそれを止めた。止められたトンクスは、絶望した表情でヘレンを見る。
「だって、また腰をやったらどうするの? ヴィク、お母様で我慢して頂戴?」
「え~~~」
「お、奥様、腰は完治しました!! ですから…!」
「駄目よ。前もそう言って私のいないところで抱き上げて動けなくなっていたのを、ベンに助けてもらったんでしょう」
「うっ…」
前科があるトンクスに、ヘレンはぴしゃりと言う。抱き上げたい気持ちは分からなくもないが、せめて椅子に座っている時に抱っこするくらいにしてほしい。動けなくなったトンクスを運ぶ方も大変なのだ。
「ヴィク、手を洗いましょう。そろそろお昼寝の時間よ」
「えーー、まだ、遊びたい」
「お昼寝した後で、遊びましょうね」
「はぁい…」
*****
「今戻った」
「お帰りなさいませ、旦那様」
「あぁ、トンクスにヴィヴィアンヌ。変わりはないか?」
「はい」
夜もだいぶ遅い時間帯にノアはようやく屋敷へと戻ってきていた。
「ノア様、早くお戻りになりたい気持ちは分からなくもないですが…もうちょっと考えてください…」
その後ろにはぐったりとした様子のイクスが外套を脱いでいる。領主ともなれば馬車などで安全に行動するのが普通だが、ノアはどうしても早く回りたいがために馬で行動をしている。
「そうですねぇ、でもイクス殿もだいぶ早くなりましたね」
そしてさらにその後ろからはゼニアが屋敷へと入ってきた。現在、ゼニアは自警団を抜け、ヴィノーチェ家専用の護衛として雇われている。ミーシャと離れることになるのだがいいのか、と問えば領主家族を守ることが出来るのであれば構わないとゼニアは言ったのだ。馬で行動できるのも、ゼニアの存在あってのことだ。
「もう十分ですよ、私は……」
「まぁ、運動することはいいことだろう? とりあえずお疲れ様。明日はゆっくりしてくれ」
「はい」
イクスはふらふらと、ゼニアはしっかりとした足取りで屋敷にある自室へと向かう。
「ヘレンたちは?」
「はい、もうお休みになられていますよ」
「そうか…。軽く汗を流してから休む。お前たちも遅くまで悪いな」
「いいえ」
ノアはそう言い、自室へと向かった。軽く汗を流し、濡れた髪を拭きながらヘレンが休んでいる部屋へと歩く。起こさないようにそっとドアを開くと、寝台へと視線をやった。寝台の隣には、リュシーヌの幼児用の寝台がある。夜泣きもせずに寝てくれているようだった。
出来るだけ振動しないように、そっと乗ると、そこには愛しいヘレンが睡眠を満喫しているようだった。その顔を見て、ノアはようやくほっとする。戻ってきたのだと、感じる。
「ん……」
不意に、ヘレンが微かに目を開く。起こしてしまった、と思いつつも嬉しく感じてしまう。
「のぁ…?」
「あぁ…起こしてすまない」
リュシーヌが起きないように小さな声で返す。するとヘレンは花が綻ぶかのように微笑みを浮かべた。その笑みを見て、ノアは息を止めそうになる。何度見ても、いつ見ても、ノアはヘレンに心を奪われているような気がしてならない。
「おかえり、なさぃ」
「―――ただいま」
するりと隣に滑り込むと、冷気が入ったのかヘレンが小さく震えた。すまない、と思いつつもヘレンを抱き寄せる。暖かい。
ヘレンがすぅ、と息を吸い込んだ。汗が流しきれていなかったのかと焦ると、ヘレンはへにゃりと笑った。
「―――ノアの、におい」
「―――」
うふふ、と嬉しそうに胸元に顔を摺り寄せられる。心臓が止まったかと思った。どうにかしてやりたいと思うも、何も出来ない。優しく、愛しい時間。ずっとこんな時間が続けばいいとも思う。
「明日、は…?」
とろとろとした睡魔に襲われているのだろう。ヘレンは少し舌足らずに聞いてくる。
「休みだ。明日は、皆でゆっくりしようか」
「嬉しい…」
ノアは言葉に出来ない幸福感を感じながら、ヘレンの額に口づけを落とした。くすぐったそうに身を捩るヘレンを、ノアは少しだけ強く抱きしめる。
「もう、寝よう」
「はい……おやす、み…なさ…」
すぅ、とヘレンの呼吸が深くなり、眠りに落ちたことを知る。
ずっとずっと、この生活が続けばいい。それを守るためならば、自分はどんなことでもしよう。ノアはそう思いながら、ゆっくりと眠りへと落ちていった。
「兄上、戻っていたんですね!」
「おはよう、エメリオ。私がいないときに何か問題はあったか?」
「いいえ、そういえば姉上から手紙が来てたよ」
「そうか、なんと?」
「近々こちらに遊びに来ると」
「全く…そんなにしょっちゅうこちらに来ていていいのか…?」
「いいんじゃない? 旦那殿も一緒に来るみたいだし」
ターニャは、初めてのお茶会で気になった人と逢瀬を重ね、一年前に結婚した。優しく誠実そうな旦那は、ターニャの尻に敷かれているように見えなくもないが、順調にしているらしい。
「エメリオ、お前もそろそろいい人の一人くらい…」
「おとうしゃまだーー!!」
話を続けようとすると、子供の声が響いた。そちらを見やれば、満面の笑みで駆け寄ってくるヴィクトールが視界に映る。
「ヴィク! いい子にしていたか?」
「うん!」
抱き上げ、膝に乗せるとヴィクトールは久しぶりに父に会えたのが嬉しいのか、にこにこと笑っている。どことなくヘレンに似ていると思うが、ヘレンは自分に似ているという。
「坊ちゃま、走ってはなりませんと言ったでしょう」
「うっ…ごめんなさい、ヴィー」
するとその後ろからヴィヴィアンヌが厳しい声で窘める。素直に謝るヴィクトールに、いつも厳しい表情をしているヴィヴィアンヌの表情が一瞬崩れたのを、ノアは見逃さなかった。
少ししてから、ヘレンがリュシーヌを抱きながらやってくる。ふやふやと少し泣いていたようだ。
ヴィノーチェ家の朝は、変わらない。
領主一家と、使用人が同じ席に着き食事をとる。人が変わることはあるが、それでも変わらない日課。
こんな日常が続くことが、どれほどの幸せなのか。当たり前が当たり前ではないと、幼い子供たちが気付けるのはいつになるだろうか。
愛する人が傍にいることの幸せ。
思い思われる関係を築くことの難しさ。
そのことを、自分やヘレンはどれだけ伝えていけるだろうか。
「ノア?」
少しだけ泣きそうになっていると、ヘレンが気付いたのか心配そうに声をかけてくる。
「―――何でもない。さぁ、朝食にしようか」
変わらない毎日を。
愛しい日々を。
愛する人と共に生きて、証を残せたことの軌跡を。
ノアは誰に言うでもなく、ただ感謝を胸の内で捧げた。




