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「ヘレン、これなんて如何?」
「素敵です…! とっても繊細なレースですね」
「そうでしょう? 少し流行からは遅れているかもしれないけれど、私がザクセンと結婚したときに使ったんだ」
「素敵です、でも、よろしいのですか? 私が使わせていただいても…」
「もちろん! 型は流行りのものがいいね…。これなんて如何?」
「わぁっ…! これだと鎖骨が綺麗に見えるようにきちんと手入れをしないといけませんね」
「うんうん」
その後、エルサは徐々に体調を崩した。今までの過剰労働のツケが回ってきたのだろう。今では、寝台の上にいることの方が多くなってきていた。
ヘレンとノアの婚約は無事に整い、エルサとノアの当主交代の書類関係も全て何事もなく終えた。あと半年待てば、ノアがヴィノーチェ公爵と呼ばれるようになる。結婚式と就任を同時に行ってしまおうとしたヘレンとノアだったが、それをエルサがストップをかけた。
一生に一度しかない結婚を、当主就任と一緒にするのは良くないと声を大にしたのだ。それに追撃したのが、ターニャとエメリオだった。
「エルサ様、あまり興奮なさらないでくださいまし。それと、それをお選びになられるとノア様が倒れてしまいかねませんわぁ」
「どうしてだい、イリーヌ」
侍女の一人であるイリーヌが、二人が見ていたデザイン画を見て進言した。
「だって、少し露出が過ぎますものぉ」
「…そうか?」
ヘレンとエルサは、見ていたデザイン画をもう一度見る。
デコルテは綺麗に見えるようにスクエアカットされ、胸元が大きく開かれている。背中は肩甲骨の部分まで開かれているが、ヴェールを被ってしまえばほぼ見えないだろう。袖は長く、手首までしまっている。
言われてみれば確かに少し大胆なデザインだ。だが、最近の流行がこうなのだとデザイナーが言っていた。
「えぇ、えぇ。私、ヘレン様のドレスを管理させていただいておりまして、ノア様から一つ、お願いを受けておりますの」
「ノアが?」
「え…そうなんですか?」
イリーヌは紅茶を淹れながら面白そうに笑みを浮かべた。
「”ヘレン様に、肌の露出が多いドレスはなるべく着せないように”ですわぁ」
「そう言われてみれば、ヘレンのドレスはあまり露出がないね」
「そう、ですね?」
ヘレンのドレスは、どれもが首元から手首まで覆われているものが多い。よくて鎖骨ギリギリまで開いているものが一番開いているものかもしれない。
「でも、屋敷にいるときはそうでもないよね?」
「そうですよね…?」
それがヘレンとエルサが気付かなかった要因だった。ヘレンは、外出する際はイリーヌたちの強い要望によって肌をほぼ見せない装いばかりしている。だが、屋敷にいて来客もない場合は比較的にゆったりとした装いをしていたのだ。
「うふふ、それもノア様のご要望ですわぁ。ノア様ってば、他の殿方には見せたくないけれど、ご自分は見たいようですわね」
「むっつりか!」
「ノア様……」
エルサの的確な突っ込みに、ヘレンは羞恥からか頬を赤くした。
ずっと、こんな穏やかに暮らしてい行けたらと願うヘレンに、時は無情だった。
「げほっ…ごほっ…」
「エルサ様…!」
「す、まない、水を…」
ひゅーひゅーとエルサが肩で息をしながら水を片手に取る。一気に飲むことはせずに、少しずつ口に含んでいた。
「はぁー……生き返った」
「エルサ様、念のために薬湯も用意しておきましたので飲んでください」
「それ苦いから嫌いなんだよ…」
「駄目です。ヴィヴィアンヌさんからも必ず飲ませるよう言付かっています」
「ヴィヴィアンヌ…」
時折せき込みながら話すエルサを見て、ヘレンは時が止まらないかと願った。今ではターニャもエメリオも、少しずつエルサの死を感じ取っているのか、以前よりも我儘を言うことが少なくなった。やんちゃをしなくなった二人を、エルサが切なそうに見ているのを、ヘレンは知っていた。
「ノアの時もそうだったけど…私は本当に酷い親だね」
「エルサ様?」
ある時、エルサはヘレンにそう弱音を吐いた。しかしヘレンにはどうしてエルサがそう考えるのか理解できず、否定した。
「エルサ様、ノア様もターニャ様も、エメリオ様だって、エルサ様の元にお生まれになってとても幸せだと仰られているではありませんか」
「そうだね…でも、私はあの子たちを無理やり大人にしてしまったんだよ」
「でも、いずれ人は大人になるのですから…」
ヘレンの精いっぱいの言葉に、エルサは後悔を滲ませた瞳で独白のように続ける。
「でも、ノアの時もそうだったけど、私が不甲斐ないからあの子は知らないうちに大人になってしまった…。私がもっとしっかりしていたら、ノアは幼少期を何も知らない子供でいられたかもしれない。あの子には、苦労ばかりかけた…」
「エルサ様…」
「他人は、私をカロリアンの女傑の一人だというけれど、本当は自分の子を守れない駄目な母親なんだよ」
「そんなこと!」
エルサの自嘲を含んだ言葉に、ヘレンは思わず声を荒げた。ほとんどそういったことをしなかったため、エルサが驚きから目を見開いた。
「今のノア様は、きっとご自分に誇りを持っておいでです…私だって、そうです。確かに、私の両親も私の教育に関して間違っていた、失敗したというかもしれません。後悔も、きっとしていることでしょう…でも、私は今の私に誇りを持っています」
「誇りを…?」
戸惑いながらも縋るようにヘレンを見るエルサに、ヘレンは力強く頷きを見せた。
「はい。今の私でなければ、ノア様の目に留まることも、エルサ様とこうしてお話することも、なかったのかもしれない。何も知らない小娘であれば、きっと世界が広いことも知らずにバーゲンムートの貴族社会のみを世界に生きていたのかもしれない…。でも、私は世界が広いことを知って、一度も後悔していません」
苦しいことはあった。悲しいこともあった。それでも、そのすべてが今のヘレンを形作っているものだとすれば、受け入れざるを得ないのだろう。まだ、痛む部分はある。それでも、いつか受け入れられるようになれたら、自分はもっと変化することができるかもしれない。
「エルサ様、どうか、ノア様達とお話をしてください。きっと、皆様はエルサ様の元に生まれてよかったというはずです」
「ヘレン…そうだと、いいな…」
いつになく弱弱しい態度のエルサに、ヘレンはこの人もただの人なのだと痛感する。いくら女傑と呼ばれようとも、夫を亡くし、我武者羅に頑張ってきた女性の一人なのだと。
今までは強がって何とかなっていたのだろう。だが、病というもの、そして残された命と残していく命のことを思えば、どうしたって恐怖や悲しみが生まれる。それをどうして自分に見せてくれたのかはヘレンにはわからないが、義母となるその人の力にできうる限りなろうと心に誓った。
「エルサ様の知るお子様たちは、そのようなことを仰られるのですか?」
「―――いいや」
ふ、とエルサが笑みを零す。
「あの子たちは、私の自慢の子供たちだ」
「でしょう? なら、酷い親だなんて仰らないでください。言われた方も、言った側も、きっと傷つきます」
「…そうだね、らしくないことを言ってしまったね…。ごめん、ヘレン」
「いいえ、らしくないなんてことはありません。弱音は吐くものです。ですが、エルサ様が行ってきたことをご自身で否定するのはおやめください…。例え誰が何と言おうとも、ご自分の頑張りを否定することは、ノア様達を否定することと一緒です」
「そうだった…そうだったね…」
以前よりも少し頬のこけたエルサは、うっすらと笑みを浮かべた。
「エルサ様、ターニャ様が面会したいと仰られておりますが」
「あぁ、ヴィヴィアンヌ、通して」
「ママっ!」
ヴィヴィアンヌがターニャの面会の希望を告げ、エルサが許可するとすぐさま扉が開かれてターニャが入室してきた。
「あ、お義姉様! こちらにいらしたの?」
「はい。エメリオ様は一緒ではないのですか?」
「もうっ! ヘレンお義姉様は家族になるんだから様付けはやめてってば!」
「つい…それで、エメリオはどうしているんですか?」
「お勉強中よ。昨日出された宿題を見直すんだって言っていたわ」
「ターニャはしなくていいのかい?」
「私はもう十分したもの。それに、エメリオはお兄様を支えるんだって意気込んでいるの。だから先生方もエメリオへは少し難しい宿題を出していたみたい」
「そうか…」
いつも二人一緒にいるところばかりを見てきたせいだろうか、ターニャが一人で行動しているのを見ると違和感を覚える。
「それよりもママ、これ!」
「花? どうしたんだい、これ」
「ルータスと一緒に摘んできたの。綺麗でしょう?」
「そうだね」
ターニャが持ち込んできた花束は、赤やオレンジ色といった華々しいものだった。
「それにしても、私の婚約者はいつ決まるのかしら?」
ターニャは椅子に座り、紅茶を頼むと不意にそれを零した。内容が内容なだけに、ヘレンは口を閉ざす。
「ノアが探してくれているだろう?」
「でも、時間がかかりすぎじゃなくて? てっきりすぐ決まると思っていたのに……」
「妹に不幸な結婚をしてほしくないんだよ。それに、近々お茶会を開くと聞いているよ?」
「うん…あ、お義姉様! お兄様と一緒に参加してくれるのよね?」
「はい、その予定です」
ターニャの言うお茶会とは、実質婚約者探しのためのパーティーのことだ。ヴィノーチェ主催で行われ、似た年頃の令息令嬢を一堂に会させるのだ。基本的には令息令嬢が主役の場で、大人はいない。しかし、全くいないわけにもいかず、代表として主催者であるヴィノーチェ公爵が出席するのだ。
本来であれば娘ということもありエルサが出席すべきものだが、エルサには到底出席できるはずもなく、代わりに当主となったノアが出席することになっている。そして、ヘレンはその婚約者として出ることになっているのだ。
「なら心強いわ! …もし、私が何かしでかしそうだったら止めてね…?」
「あはは! ターニャ、そんな予め言わなくとも!」
「だってだって、エメリオからもお兄様からも大人しくしていなさいっていわれているのよ!? 酷くないママ!?」
「くくっ…ターニャはすこしやんちゃなところがあるからだろうね…でもターニャ、大丈夫だよ。私の自慢の娘なんだから、胸を張って楽しんできなさい」
「…うん!」
ヴィノーチェ家の日々は、穏やかに過ぎていく。
刻一刻と、別れの、その日まで。




