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いつもご感想、誤字脱字ご連絡をありがとうございます。
3話から投稿しております。
完結まであと少しとなりました! 今しばらくお付き合いいただければ幸いです。
「ノア様、大丈夫、ですか…?」
エルサの部屋から出てきたヘレンは、目をかすかに赤くしているノアにそう問うた。大丈夫なわけがないが、それ以外聞きようがなかったのだ。
「……すまないが、少し、一人にしてくれ…」
ノアもヘレンに気遣う余裕がないのか、ヘレンの顔を見ずにそう言った。ノアのその言葉に、ヘレンは一人にしても本当にいいのだろうかと自問自答した。
ヘレンは、人の死を身近に感じたことはない。家族は皆健在で、唯一祖父だけが亡くなっているが、それはヘレンの記憶がしっかりとしていない幼少期のころだった。そのため、ヘレンは今自分がどうすべきなのかを考えあぐねていた。
「ノア様…とりあえずお部屋に戻りましょう」
「…ああ」
心ここにあらずの様子なノアを、ヘレンは小さく手を引きながら廊下を歩く。そうしてノアの部屋の前に着き、ヘレンはどうしたらいいのか考え込んだ。
そんな時、ノアが小さな声で零した。
「……ヘレン、私は、そんなに、頼りない男だったのか…?」
「ノア様?」
その言葉とは真逆の印象を持っているヘレンは、ノアの口から出たその言葉に戸惑いを見せる。ノアを見上げれば、はちみつ色の瞳はゆらゆらと頼りなげに揺らめいていた。
「だって、そうでなければ、母上は、あんな真似をしなかったんだろう…?」
ノアがヘレンの手を握る。その縋りつくような力に、ヘレンは一人にしてはいけないと本能からそう感じた。
「ノア様、部屋に入れてください」
「ヘレン…?」
未婚の男女が夜に同じ部屋にいることは、はしたないことだ。それはバーゲンムートでも同じだった。だが、ヘレンには今のノアを一人にしたくないとだけ思ったのだ。
中々動こうとしないノアを、ヘレンは無理やり部屋に入れて自分も滑り込む。そして部屋にあったソファーに隣同士で腰かけ、ノアの冷たい両手を取った。
「ノア様、吐き出してください」
「…なに、を」
溜め込ませては駄目だ。ヘレンはそれを身をもって知っていた。一人ですべてを抱え込むことの凄さと、辛さを。
「ノア様、言ってもいいのです。ここでは、ノア様はお兄様でも後継ぎでもありません。ただのノア様として、お話しくださって構わないんです」
「それは…」
「わかります。ずっと、兄として、そして後継ぎとしてしか生きてこられなかったのでしょう? 今更、どうやってそれら抜きで話してよいのか、分からないのでしょう?」
「…それは、かつての君が感じたことなのか?」
「はい」
娘とか家族という前に、ヘレンはノアと同じように後継ぎとしての自分しか出せなくなっていた。だから家族と語り合う、なんて状況になった時に、何を話したらいいのか分からなくなった。今回の件で少しはましになったと願いたいが、たいして変わっていないのだろうとも思っている。
「私は、これからの人生をノア様と共に歩みたいと、お伝えしました」
「そう、だったな…」
「当主としてのノア様の、兄というお立場のノア様の、そして、私のとても大切な人であるノア様の、隣に立ちたいのです」
「?」
ヘレンの言葉ではよく理解できなかったのか、ノアが少しだけ不思議そうに顔を傾ける。そのことにもどかしさを感じ、ヘレンはどうやって言葉にしたらいいのだろうと考え込んだ。
「たとえ話、ですが」
「あぁ」
「もし、ノア様が後継ぎでなくなられたとしても、お傍にいたいと、思っています」
「ヘレン?」
前提からして、あり得ないことくらいヘレンにもわかっていた。だが、それでもそう言う他になかった。
「私は、ノア様だからこそ、お傍にいたいと、そう考えています。例え貴方がこの先どんなことになろうとも、貴方を支えるのは私で在りたいと、そう心に誓っています」
「―――分かりづらいな?」
「っ!!」
本当はもっと適切な言葉があることを、ヘレンは分かっていた。しかし、気恥ずかしさから、言葉にできずにいた。
この時、ヘレンが自分にいっぱいいっぱいでなければ…あるいはノアのことを見ていたら、ノアが酷く嬉しそうに…それでいて意地悪そうにしていたことが分かっただろう。
「……貴方だけを、お慕いしております」
「もっと」
「っ、ノア様が、とても、好きです」
「好き、なだけ? ターニャたちと同じように?」
自分が優位に立っていたと思っていたのに、いつの間にか逆転されていることに、ヘレンは気づけなかった。ヘレンなりに、ノアが傷心し直接的な表現を求めているのだ、と勝手に思っていたのだ。
今のノアに必要なのは、どんな立場であろうとも味方となる人物がいること。そして、ノアという人物が必要とされていることを知ってもらうことだと考えていた。
「―――あい、して、います……あなた、だけを」
「―――あぁ」
ヘレンが決死の思いでそれを口にすれば、ノアの唇から吐息が漏れた。その反応の薄さに、ヘレンが恐る恐るノアを覗き見ようとすると。
「ヘレン」
「!」
ノアはヘレンを抱き寄せた。そして手加減のない抱擁をしてくる。
「の、ノア様っ…」
「ヘレン、ヘレン…」
「ノア様?」
ノアの、ヘレンの名を呼ぶ声に、少しだけ水気があるように感じるのは、ヘレンの気のせいだろうか。
「私が、貴族籍を剥奪されるようなことになっても、傍にいてくれる、と?」
「…その前にそんな状況にならないように頑張りましょう」
「くっ…それもそうだ…。私が年老いても、傍に?」
「ノア様が年老いるのであれば、私も同じように老いているでしょうね」
「…私に、何の価値がなくなっても、いいのか?」
「ノア様の価値は、ノア様であるだけで在ります。ほかの人が何と言おうとも、私にとってはそうです」
「…そう、か」
「えぇ」
ヘレンを抱き寄せるノアの腕が、かすかにふるえているような気がした。それが泣いているからなのか、そうでないのか、ヘレンにはいまいち判断がつかなかった。正直に言えば、隣同士で抱き寄せられているから腰は変に痛いし、そもそも力加減を忘れたらしいノアの抱擁は苦しい。
それでも、ヘレンは何も言わずにノアの背に手をまわした。
抱きしめられているはずなのに、縋りつかれているような感覚さえした。
これからも、こうしてノアを支えていきたいと、ヘレンは心の内で祈った。
******
エルサがノア達に自分の病気のことを話した翌日、ターニャとエメリオはそれを知らされた。初めは理解が及ばなかったようだが、徐々に理解するとともに二人は泣きに泣いた。
医師を呼んで、治してもらえないのかと詰め寄る二人に、エルサはただひたすら謝った。
「トンクスに、怒られたよ」
「当たり前です。発覚した時点で話していればよかったんです」
「トンクス…」
今回の一件で、エルサはトンクスに頭が上がらなくなったようで。情けない表情をするエルサに、ノアは小さく笑みを零した。
「母上、これからのことですが」
「うん、そうだね。ちゃんと話し合っておかないとね」
これから、というのはエルサとノアの当主交代に関してのことだ。通常のカロリアンの貴族であれば、親や当主が存命の時に後継ぎが婚約、そして結婚をする。そして結婚後、一年ほどの期間を置いてから当主が交代するのが主だ。
しかしあくまでも主であるだけで、当主が急逝した場合はそれに当てはまらない。
ヴィノーチェの場合、エルサは存命しているが病が発覚した以上、いつそうなるのかは不明なため、早い段階での交代をする予定なのだ。
特に、エルサはカロリアンでも有名な貴族の一人だ。その息子とあっても、エルサが存命のうちに交代することに不満を持つ貴族はいるだろうとエルサとノアは思っていた。
「書類提出もあるが、ノアにはこれから私の代わりに領地視察や運営、夜会へ出席しなければならない」
「はい。それと、可能な限り早いうちにヘレンとの婚約を公表し、最速で婚姻を交わしたいと考えています」
「その方がいいだろうね。結婚しているとしていないとでは、信頼性も変わってくる」
バーゲンムートでは独身の貴族当主がたくさんいるが、カロリアンでは逆だった。むしろ、結婚しないで当主をしていると、周りから変な目で見られがちになる。
だからといって、全くいないわけではないが。
「ヘレンのお父上にはすでに書類の作成と申請をお願いしています。場合によってはぎりぎりで行うかもしれません」
「まぁ、法に触れないのであればいいよ。変に急いで行って、後からケチをつけられる方が面倒だからね」
エルサとノアは、どんどん話を続けていく。
ちなみにこの場にヘレンはいない。落ち込み、憔悴してしてしまっているターニャとエメリオの面倒を見てもらっている。
「ターニャの婚約の話はどうしますか」
「そうだね…いくつか打診の手紙は来ているから…一度顔合わせを兼ねてお茶会でも開こう」
「わかりました。準備は任せてください。それとエメリオですが、今後私の補佐をしてもらうつもりです。そのための家庭教師の選抜を行う予定ですが、構いませんね?」
「うん。ただ、結婚に関しては」
「はい。政略結婚はターニャもエメリオもさせない、ですね」
「ああ。子供たちに不幸な結婚はしてほしくないからね」
そう話したエルサは、話し終えると咳き込み始める。
「母上っ…!」
「げほっ…すまない」
ノアは慌てて立ち上がるとエルサの背中を摩る。何度も咳き込んだせいで、エルサの声は少し枯れており、息苦しそうだった。
「…母上、やはり薬を…」
「飲んでいるよ、ノア。でも、延命のための治療はいらない」
「っ…どうして、ですか」
エルサは、痛み止めなどは服用しているが治療になりそうな薬はすべて飲まずにいる。そのため、進行は止まるはずもなく、日に日に咳き込む回数が増えていることを、屋敷の誰もが知っていた。
ノアには、エルサの選択した道が理解できなかった。
どうして、そうまでして延命しようとしないのか。長生きをすれば、ヘレンや自分の結婚式だけではなく、ターニャやエメリオのそれも見られるかもしれないというのに。
そんなノアの心境を読んだのか、エルサは淡く微笑みを浮かべた。
「ノア、私はね、私の人生において悔いはないんだよ」
「母上?」
エルサは、満面の笑みを浮かべている。その笑みには、欠片の影も見えなかった。
「ノア、自分の人生もそうなるよう、後悔しないようにしなさい。人生は一度きり。頑張りすぎても諦めすぎても、期待しすぎても、しなさ過ぎてもダメ。人は失敗する生き物だから、後悔しないなんてことはあり得ない。でも、それすらもいつか笑って受け入れられるような人生を送りなさいね」
エルサ・ヴィノーチェのその言葉は、その先のヴィノーチェに長く引き継がれることになる。




