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「あと…どれくらい…なんですか」
ノアは、聞きたくないそれを、聞くしかなかった。ノアの質問に、エルサは薄っすらと笑みを浮かべながら答える。
「そうだね…診察通りだと、あと半年から一年、ってところだね」
「っ!!」
「そ、んな…」
その短さに、ノアは言葉を失った。そして、自分の母なのにそれに気付けなかった自分を恥じた。
「今は…何を」
「今? あぁ、薬で何とかしているけれどね。ただ、やっぱり無理は出来なくなってきたね」
戻ってきたときに顔色が悪かったのは、疲れだけではなかったのだ。
「そのことを知っているのは」
「医師とトンクスだけだよ。あぁ、今はノアとヘレンも知っているね」
あっけらかんと返すエルサに、ヘレンは顔を青褪めさせながら問うた。
「どうして、どうして…! そんなに落ち着いていられるんですか…!」
「ヘレン…」
ヘレンは、ノアの聞きたいことを聞いてくれた。
「なんとか、何とかならないんですか…!? ターニャ様も、エメリオ様もまだ、お小さいのに…!」
「そうだね…どうにも、ならないんだよね…。二人にも、寂しい思いを…させてしまうね…」
「っ…ごめんなさい…エルサ様が、一番…お辛いのに」
ヘレンは涙ぐみながらもそう謝罪する。ヘレンも分かっているのだ。エルサを責めることはお門違いなことくらい。
「―――どうして、相談してくれなかったんですか…」
どうして一言、言ってくれなかったのだ。確かに、言われたからといって、何かが出来たとは思えない。それでも、どうして自分の身を削るような真似をしたのだ。
誰よりも辛い思いをしていることを知っている。それでも、責めたくなってしまう。一言、言ってくれたら。何も出来ないとわかっているから余計に、苦しい。
「すまないね、ノア。言ったら、お前は私のことを優先させるだろう? …この先、長い間大変な思いをするとわかっているのに、結婚相手まで気を遣うような人を選んでほしくなかった。…お前は優しいから、私に気を遣って早々に結婚相手を決めようとしただろう?」
「それは、そうかもしれませんけど」
「それに、ノアが成長してくれるのであれば、いいかなと思ったんだよ」
エルサの言いたいことは理解できる。だがそれでも、納得したわけではなかった。そして母にそうさせてしまった自分の不甲斐なさに、ノアは項垂れる。
自分がもっと母に心配をかけるような人間でなければ、母はこのようなことをしなかったのではないかと思ってしまう。
「ノア」
自己嫌悪に陥るノアに、エルサは優しく声をかけた。どうしてそんな優しい声が出せるのか、ノアには理解できなかった。
下げた目線をノアは上げた。そして真正面から見たエルサに、ノアは泣きそうになった。
「ははうえ」
慈愛の籠った、目だった。
言葉にされなくとも、愛されているのが伝わった。
「ノア。私の可愛い息子。お前の優しさは、時に人を、自分を傷つける。それでもお前は、強く、強かにいなければならない。今回、お前は私を疑うことに対して苦悩しただろう。それでも、お前はしっかりと私に問いただしてきた。それでいい。それができなければ、私は安心できなかった」
「―――もし、私が出来ていなければ、どうしたんですか」
ノアの質問に、エルサは綺麗な笑みを浮かべた。
「私は、私とザクセンの子を信じていたよ」
「―――」
もう、堪えきれなかった。
母の期待を裏切らなかったことへの安心感と、絶対的な存在であった人がいなくなるという事実。それは、ノアの心の中を荒らしに荒らした。
ノアは握っていたヘレンの手を、手加減なく握りしめてしまった。しかしヘレンも、その強さに応えるように強く握り返す。その温もりが、酷く安心させ、そして涙を誘う。
「泣かないで、ノア。泣かれると、私も泣きたくなってしまう」
「っ―――」
嗚咽を零さないようにするのだけで、必死だった。
自分がもっとしっかりとしていれば、母はこのようなことをしなくても良かったのだろうかと。そしてそうまでして自分を想ってくれた愛の深さを知り、何も言葉に出来なかった。
「っ…いつ、二人には……」
「そうだねぇ…知らせないわけにも、いかないよねぇ」
「当たり前です…!」
彼女たちも、家族として知る権利がある。それがどんなに辛いものでも、知らされないことの方が辛い。
「怒られてしまうかなぁ」
「そうですね、もっと早くに教えてくれなかったことに、お怒りになるでしょうね」
トンクスは冷静な声音でエルサに言う。しかし長年付き合いのあるノアには、それがトンクスの強がりなのだとわかった。
どうして、母がこんなにも変な行動をとった理由を知り、ノアはやるせない気持ちになった。未来の自分の為に、わざわざこのようなことをさせてしまった。そして自分は、母の状況に気づくことなくその掌の上で踊らされていた。
「ノア。お前なら大丈夫だね。とても…とても安心したよ」
「母上…」
「エルサ様…」
晴れ晴れとすら見えるその笑みに、ノアもヘレンも何も言うことができなかった。どうして教えてくれなかったのだと責めることすらできない。
「……母上がもっと安心できるよう、精進いたします」
「そう。ヘレン、ノアのことを頼むよ。とてもいい子なんだが、溜め込みすぎてしまうからね」
「はいっ…」
隣に座っているヘレンは、泣かないようにしているのか顔を真っ赤にしながら何度も頷く。
そしてノアは、あぁ、ヘレンがいて良かったと本当に思った。これを一人で知るには、あまりにも辛いものがある。
「さて、私はそろそろ休むよ…。疲れた」
「かしこまりました。ノア様、ヘレン様」
「ゆっくり、なさってください」
ノアの就寝の挨拶に、エルサは手をひらひらと振った。ノアとヘレンは邪魔にならないようにすぐ立ち上がり、退出する。扉が閉まる瞬間、エルサが泣いているような気がした。
「正直に言ってもよろしいですか、エルサ様」
「なんだい、トンクス。私は疲れているんだけれど」
「もちろん存じ上げております。ですが、今言わないでいつ言うという内容なので」
「……はぁ…聞くよ」
部屋には、エルサとトンクスの二人だけになった。一仕事を終えた、緩んだ空気がそこにはあった。しかし、トンクスはそれをそのままにはしなかった。
「何を言われるのか、おおよそ見当がついているとは思われますが」
「そうだね…トンクスにはいつまでたっても怒られてばかりだしね」
「私がエルサ様に対して怒っていると?」
「まぁ、怒っているってわけじゃないのは理解しているけどね。それで、何が言いたいんだい?」
トンクスは、今までエルサに対して怒ったことなどない。苦言を申したことは何度もあるが、あくまでもそれはヴィノーチェのためであってエルサ個人のためのものではない。
しかし、トンクスは今日初めてエルサの為に怒りを口にした。
「いいえ、今日はエルサ様に対して怒っていますよ」
トンクスがエルサに怒りを口にするのが初めてだと知っているエルサは、トンクスを見た。何を言うのだろうかと言わんばかりの視線に、トンクスはこの親子は揃いも揃って不器用だ、と思った。
「エルサ様、貴女は、ご自分を大切にしなさすぎる」
「? 大切にしているつもりだよ」
「いいえ。今回、ノア様が気づかれたから、よかった。しかし気づかれなければ、貴女はノア様に爵位を渡して不名誉だけを受け取って田舎に引っ込むおつもりでしたでしょう?」
「あはは…。トンクスには隠し事はできないね」
「笑い事じゃありません。何年ご一緒しているとお思いですか。私は、エルサ様がどのようにご家族を愛し、お思いになられているかを存じ上げているつもりです。そしてそんな貴女だからこそ、私は一生お仕えしようと決めたのです。その貴女が誤解されたままでいることを、私やヴィヴィアンヌが許すと、本気でお思いでしたか?」
流石のエルサも、トンクスの言いたいことに気づいたようで、ようやく申し訳なさそうな表情をする。
「すまない、トンクス…君には、板挟みの辛さを経験させようとしてしまった…」
「違います。私は、貴女が、愛するご家族に誤解されたままなのが非常に嫌なのです」
トンクスは、自分がエルサの秘密を持つことに否やはなかった。しかしそれも一時のものであって、永遠にするつもりなど欠片もなかった。
「今回、エルサ様がどうしてもと仰られたので従いましたが、二度と、あのようなご命令はお止しください」
その時のことを思い出したトンクスは、知らぬうちに涙ぐんでいた。声に湿り気を感じたのか、エルサがトンクスを驚いたように見る。
「もう二度と、ご自分を犠牲にするような、真似は…」
「トンクス…?」
今でも鮮明に思い出すあの日。エルサが体調を崩し、医師を呼んでその診察を聞いた瞬間、トンクスは神を呪いそうになった。若くしてザクセンを亡くし、それでも必死に頑張ったエルサに対してこの仕打ち。神とはなんと惨いのか。
トンクスはすぐにノアたちに知らせようと言った。しかしそれを拒否したのがエルサだ。
「エルサ様のそのお考えは素晴らしいものかもしれません…。ですが、貴女を慕って今まで付いてきた我々には、あまりにも酷いご命令です。ザクセン様がお亡くなりになり、どれほど貴女様が頑張っておいでだったのかを知っている我々に、二度と、あのような…」
子供たちに嫌われるかもしれないと伝えても、ノアがもし気づかなかった可能性を示唆しても、エルサは頑として子供たちに自分の病気を教えることをよしとしなかった。
「それに、あれではノア様方があまりにもお可哀そうです。エルサ様の真意を知らぬまま彼らがこの先も生きていけると、本当にお考えだったのですか」
「…」
「貴女様がもし、亡くられたとして、私達はノア様達に事の真実をお伝えしたことでしょう。そうして、本当に傷つかないと思っていたのですか」
「痛いところを突くね」
「当たり前です…! エルサ様と同じように、彼らのことを大切に思っているのですから。貴族としてそのような行為を取れるエルサ様は、きっと貴族の鑑なのでしょう。ですが、子供たちからすれば、身勝手な母親でしかありませんよ」
「耳が、痛いな…」
結果として、ノアは気づいてくれたというのはあくまでも結果論でしかない。今回エルサが取った方法は、あまりにも綱渡りが過ぎた。
「……これ以上、私は毛根を失いたくありませんよ」
「あはは、善処しようかな」
トンクスは、最後はそう言うほかなかった。




