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最終章となります。
「ようやく、帰ってこれたな…」
「はい。本当に、たくさんの迷惑をお掛けして…」
「ヘレン、そういうのは不要だ。好きな人を守るのは男として当然だろう?」
「!」
ヘレンとノアは馬車の中で隣同士で座りながら穏やかに話していた。ノアがヘレンの表情をこっそりと窺うと、以前よりも少しだけ晴れやかに見える。
「…ゆっくり話せたのか?」
「はい。全部が全部、昔のようにというわけにはいきませんが…それでも、話せて良かったと思います」
「そうか」
ヘレンとノアは、カロリアンで一年間の婚約期間を設ける。異なる国の貴族同士ということもあって、どうしても書類関係で時間がかかるのだ。
「ヘレンは、後悔しないか?」
「ノア様?」
ノアは、ずっと聞けずにいたことをヘレンに尋ねた。
ヘレンが自分の求婚を受け入れてくれたことは素直に嬉しい。嬉しい以上の感情すらある。だが、ヘレンは本当にそれでいいのだろうか。この先、ヘレンが自分の国に戻ることはそうそうできなくなるだろう。
彼女の家族の葬式くらいしか、下手をすれば帰れない。それも、時と状況によるものもある。
そして、ノアは密かに今回の件で、母に対して何とも言えぬ気持ちを抱いていた。
「…今回の件、母上がクリストファーの存在を知っていたことは聞いているか?」
「…はい」
「そうか…。正直、母上がちゃんと予め私達にも話してくれていたら、このようなことにならなかったのではないかと思っている」
「それはっ」
ヘレンはエルサに対して多大なる恩義を感じている。そのため、そのようなことを思っていても口にはできないだろう。
「トンクスと母上は知っていた。そしてトンクスは屋敷の使用人にクリストファーの存在を匂わせていた。それでアマリーがああしてしまったのはアマリーが悪い…だが、もしそれに対してちゃんと対策を取っていたら、今回のことは起こらなかっただろうと私は見ている」
「ノア様、それは…私もちゃんと家族と話し合わないで逃げたのも悪いと…」
「ヘレン、そういう問題でもない。もし私が知っていれば、ゼニアを自警団から派遣してもらっていた。屋敷の人間全員に、接触してくる人間がいるようであればどんな些細なことでも報告するように言っていた」
ヘレンもノアの言うことが理解できるのか、少しだけ目を伏せながら沈黙した。
「母上が…公爵がどのような気持ちでそれをしたのかはわからない。私達を成長させるためか、それともつり橋効果でも期待したのか…。いずれせよ、一歩間違っていれば誰かが死んでいてもおかしくなかった…」
実際、サーシャとクリストファーは死亡しているが、ノアはあえてそのことを口にしなかった。
「アマリーの件に関しても同じだ。運よく、アマリーは救い出された。だが、もし売られていて、救えなかったら? それは公爵が自分の屋敷の管理すらまともにできていない証拠にもなってしまう」
厳しいことを自身の母に対して言うが、それが貴族というものだ。屋敷に使用人を雇っている以上、主はすべての使用人の生命の保証と生活の保障をしなければならない。
「アマリーとシエルのことだが、彼女たちがしたことを考えれば牢に入れられてもおかしくない。それなのに、公爵は二人を国境付近の孤児院にやるだけにした。…つまり、公爵は自分にも非があることを分かっているのだと私は思っている」
「そんな…!」
ヘレンにとって、エルサは完全無欠の貴族だと思っていたのだろうことが、彼女の一言で分かったような気がした。
正直、ノアにとっても衝撃的だった。自分の母は、早くに夫を亡くしそれでも必死になって領地経営を行っていた。そして今ではカロリアンでも有数の女傑と謳われるまでになった。その人が、このようなことをするなんて。
「……ヘレンにとってはきついかもしれないが、今回の件、私は公爵にちゃんと説明をしてもらおうと考えている」
「ノア様、ノア様のお母様なんです…! 話し合えば、分かり合えるはずで…」
「いや、親子であろうとも、私たちは貴族だ。私達には守るべきものがある。時には、守るべきものの為であれば肉親の情でも捨てなければならない」
それが貴族というものだと、ノアは教えられてきた。今回、たまたま屋敷内の話で済んだ。だが、もしこれが民の人身売買を狙うものであったら?
自分たちが治める領地内で起こりえた出来事であったら?
そう考えてしまえばきりがない。だからこそ、ノアは母に説明を求めなければならないのだ。
「……私は、どうすれば?」
ヘレンも貴族としての在り方というものを勉強していたのだろう。ノアの言葉に覚悟を決めたようで、いつもより少しだけ低い声でノアに問うた。
「私の隣に…、隣に、居てくれ」
「はい」
本音を言ってしまえば、自分の母を問い詰めるような真似などしたくない。ノアはエルサを母としても、貴族としても尊敬しているのだから。だからこそ、今回の件は見過ごせない。
一人であれば、きっと立ち向かえたとしても答えによっては潰れてしまうかもしれない。幼い弟妹には相談できるはずもないのだから。だが、ヘレンがいれば。
「…少し、いいか」
「? どうぞ?」
ノアが小さく言うと、意味が分かっていないもののすぐさま了承するヘレンに、小さく苦笑を零した。そして、ヘレンの細い肩に頭を預ける。
「ノア様…?」
「ん…」
母が、エルサが法を犯すような真似をしているとは思えない。だが、この一件は見過ごすことはできない。
そしてノアには、一つの覚悟があった。
「暫く…こうしてても…?」
いつになく弱弱しい態度のノアに、ヘレンはあえて何も聞くことをしなかった。ヘレンには想像もできない何かを、背負っているのだろうことくらいしか、わからない。だが、何も話してくれなかったとしても、ヘレンはノアを支えようとだけ思った。
「もちろん、です」
ヘレンが少しだけ緊張しながら返すと、それが伝わったのか、ノアが小さく笑う。すると紺色の髪がヘレンの首筋をくすぐった。
強い人なのかと思えば、このように弱弱しい姿も見せる。それが、自分だけであればいいのにとヘレンは思った。
ノアが、戻った先で何をしようとしているのか、言葉にしなくともなんとなく分かっていた。そして一歩間違えれば、彼は家族を失ってしまいかねないことも。
エルサが、犯罪に手を染めているとは思っていない。だが、確かにノアの言う通り、彼女の対応はおかしいものがあった。自分を狙う人間がいると分かっているのであれば、最初から捕縛なり事情聴取なりしていれば、クリストファーがアマリーに近づくこともなかった。
…まるで、皆を試しているような、そんな気すらさせる。
もしヘレンを試したいのであれば、ヘレンだけを試せばよかったはずなのに、エルサはそうしなかった。
「はぁ―――…」
ノアが深いため息を吐く。疲れているのだろう。そしてその一端を、自分が担ってしまっていることを申し訳なく思い、ノアの指通りの良い髪をさらりと撫でた。
ヘレンの指を感じたのか、ノアがぴくりと肩を跳ねさせる。そして何故かゆっくりと頭をあげ、ヘレンを覗き込んだ。彼のはちみつ色の瞳に、自分の顔が映り込んでいるのが見えて、ヘレンは急に恥ずかしくなった。
そんなヘレンに、ノアはくすりと笑みを零すと、触れるだけの口づけを落とす。
「の、ノア様っ…!」
いくら人の目がないとはいえ、馬車の向こうには護衛として数人がいるのだ。バレるはずもないが、酷く恥ずかしい。
「くっ…すまない、あまりに可愛くて、な…」
「か…! だ、駄目ですよ、外に、人がいるんですから…!」
「すまない…ヘレン、膝を借りても?」
「膝、ですか?」
ノアが何をしたいのか分からなかったが、ヘレンは了承する。するとノアはその身体を横たわらせ、ヘレンの膝の上に頭を置いた。
「ノア様!?」
生まれてこの方膝枕なるものをしたことがなかったヘレンは、戸惑いの声を上げる。それに馬車の中といっても、座るのが目的で作られているのだ。ノアはその長身を折り曲げて、窮屈そうに見える。
「…少し、こうして休ませてくれないか」
「ですが、それではお休みになられないのでは…?」
「いいや、十分だ」
ノアがそういうのであればいいが、膝の上の重さにヘレンは気恥ずかしくなる。ただ、枕としての役割しか果たしていないはずの太ももが、熱を持って行くような気がするのは気のせいだろうか。
「ん…」
「!」
ノアがいい場所を探しているのか、もぞりもぞりと動く。そのたびに太ももにかかる重さに、ヘレンは硬直した。そしていい場所を見つけたのか、ノアはその動きを止めて目を瞑った。
これよりももっと恥ずかしい思いをしたはずなのに、何故か酷く恥ずかしく思ったヘレンは、自分が可笑しくなってしまったのかと思った。自分だけがそうなのかとノアを盗み見る。しかし彼は本気で休んでいるのか、リラックスしている。
そんな時、ヘレンは気づいた。ノアが以前よりも少しだけ痩せていることに。元からシャープだったあごのラインが、更にほっそりとしている、ような気がする。思えば、ノアはヘレンが攫われてから馬を飛ばし、その後も心労があったはずだ。そしてそのことに今更ながらに気づいたことに、ヘレンは羞恥を覚えた。
今ヘレンがすべきことは、ノアが少しでもゆっくりと休む環境を作ることだ。
「……」
「んっ…ヘレン…?」
「あ、申し訳ありません…、ご不快でしたか…?」
ヘレンはノアの髪をさらりと撫でてみたのだ。するとノアは驚いたのか、一瞬目を開く。ヘレンが驚いて手を退けると、ノアはその瞳を和らげてまた目を瞑った。
「いいや……頼む」
「はい」
ごとごとと馬車の振動が、少しだけ心地いい。ちゃんとした道をちゃんとした馬車で走っているおかげだろう。もしこれで道が悪ければ、このような時間はとれなかったはずだ。
膝にかかる重さも、だんだんと慣れてきた。まるで、ずっと昔からこうしていたような気すらする。さらりと髪に指を通しながら、ノアの頭を撫でる。大人の男の人にこうするのは初めてだが、何故か子供を慈しんでいるような気持ちになる。
これからも、ずっとこうしていきたいとヘレンは思った。
こうして、ノアと二人で。
いつかは、ノアの子供も含めて。




