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サーシャ・ウェードルには、確かに幾多の問題があった。現王の異母妹であり毒を盛られ、子を産めなくなったこと。そして王の采配により、国内の貴族に嫁ぐも夫が早くに亡くなり、そして未亡人となって数えきれない男性と浮名を流していたこと。
しかし、それでも彼女は貴族女性には優しかった。
お茶会で悩める女性たちに助言をし、親身になっていた。カレンが参加したお茶会で彼女たちが話したことは、サーシャが彼女たちに助言したものがほとんどだったのだ。
だからこそ、今回のサーシャの訃報に、貴婦人たちは涙を零した。
その奔放な生活にいつか、と茶会の席で冗談のように言っていたそれが、本当になるなんて、と。そして、ことの発端のアレックス・ファフニールに誰もが憤りを覚えた。彼さえ、サーシャに近づかなければ、と。詳細は分からずとも、アレックスがサーシャに頼み事をしたせいで、ということは噂で既に流れていたのだ。
もちろん、犯人には怒りを覚えている。だが、それ以上にアレックスという存在を彼女たちは許せなかった。そして、彼女たちは決めた。
亡きサーシャの報復として、アレックスを貴族社会から淘汰することを。
「そ、れに関しては、私は関係がないと…!」
「それで?」
「は?」
「貴方が実際に関与したかどうかの問題ではないのよ? 貴方がサーシャ様と関係を持つことは別に何も言わないわ。でもね、貴方がきっかけでサーシャ様が亡くなったという結果しか、わたくしたちには見えないの」
「ですから、それはあの使用人の男が悪いわけであって、私は何もしていません」
「そうなの? では、貴方がサーシャ様に頼み事をしたというのも、関係ないのかしら?」
「えぇ、えぇ…! 全く関係ありません!」
「……貴方、もう帰ったら如何?」
「―――は?」
夫人は、呆れたようにため息をつきながら口元を扇子で隠しながらちらりと扉に視線をやった。
「もうね、手遅れなのよ。わたくしたちは、貴方がサーシャ様に頼みごとをしたことも、支援を求めていたことも、知っているの。そして、あの時期サーシャ様と親しい関係を持っていたのは貴方だけだったわ? 使用人はもちろんだけれど、わたくしたち、貴方のその性根が腹立たしいのよ」
「―――」
「自分には関係ない、それしか貴方は口にしないわ。サーシャ様からの恩義も、何一つ感じさせない。あの方が亡くなったというのに、悲しみの色一つ見せない。ただただ自分のことを守ろうとするばかり…。サーシャ様からすれば貴方は可愛いペットだったのかもしれないけれど…ねぇ?」
くすくすと周りから洩れる笑い声に、アレックスは愕然とした。
「それに、貴方、夫人を慰めるのが自分の役目だと豪語しているようじゃない…? 一つ、言わせてもらうけれど、慰めにすらなっていないのよ? 貴方」
「そんな、はず…!」
「うふふ、ただの、遊びってことくらい、分からないのね?」
そんなはずはないと、アレックスは思った。だって、誰もかれも、自分という存在に溺れるようにしていったのだから。それが、全て、違う?
「女はね、演技がとても上手なの…知らないの? 貴方と関係をもった方々にすこーしだけお話を聞いたんだけれどね…貴方、下手なんですってね?」
「―――!?!?」
それは、アレックスの自尊心を酷く傷つけるものだった。
「自分よがりで、相手のことを考えないなんて…本当、貴方の人生を表しているのかしら?」
「っ…ぶ、侮辱だ!! 私を誰だと思っているんだ!?」
「ファフニール伯爵でしょう? あら、言っていなかったわね…わたくしはリーゲル公爵夫人よ」
「っ!!」
アレックスはその名に息を呑む。リーゲル公爵と言えば、バーゲンムートでも有名な貴族の一人だ。王の信頼も厚いと聞く。そんな人物の妻に、アレックスが太刀打ちできるはずもない。もし侮辱されたと声を上げたとしても、公爵夫人のほうが正しいと誰もがとる。あるいは、公爵本人に握りつぶされるか、だ。
「っ―――いつかそのお言葉、後悔する日が来るでしょう…!」
アレックスは負け犬のようにそう言うことしかできなかった。そしてその場を足早に後にする。そんな彼の背に、またも忍び笑いの声が降り注いだ。それすらも、羞恥心からか顔が熱くなる。
「そうねぇ…そうなると、いいわね?」
そうして最後にかけられた声が、同情に満ちていることにも、アレックスは怒りを覚えた。
しかし、どうあってもアレックスの噂が消えることはなかった。それどころか、アレックスが躍起になって夜会に参加し、援助を求めようとするたびに噂は悪化した。
「どうして、どうしてこんなことに……!!」
ファフニール伯爵家は、裕福な貴族ではなかった。しかし、貴族としては問題なくやっていける程度だった。それを先代たちがその人の好さで金を貸してしまい、貧乏となった。つい最近まで、アレックスが金を湯水のように使っていたのは、全て女性からの支援があってのものだ。
しかし、それがなくなればどうなるのか。
今までの生活の水準を変えたくなかったアレックスは、今までと同じような生活をしていた。すれば、自ずとわかるだろう。
「くそ、くそっ…!!」
まず、今までのように新作を買えなくなった。そして、使用人への給金の支払いが滞り、次々に辞めていった。屋敷は少しずつ汚れが目立つようになり、そしてそれはアレックス自身もそうだった。
「―――仕方ない、カレンに会いに行くか…」
こうなってしまった以上、妻の実家に頼らざるを得ない。自分の両親は田舎で平民さながらの生活をしているのだから、援助を頼めるはずもない。
そして。
「おやおや、アレックス殿…随分とお久しぶりですね?」
「やぁ、ロドリゲス。カレンはいるかい?」
「はい。ですが、アレックス殿がいらっしゃった際にはまず応接室にお通しするように旦那様から言われております」
「そうか」
マイヤー家とも時間を置いた。以前の怒りは少しは和らいでいるだろうと思っていた。そして、祖母さえいなければなんとでも遣り込めるとアレックスは過信していた。
「―――アレックス、久しいな」
「お久しぶりです、義父上。なかなか顔を出せずに申し訳ありません…何かと忙しくて…」
「座りたまえ」
「はい」
そして久しぶりにあった義理父の雰囲気が、以前のものと少し変わったようにアレックスには感じられた。以前はもっと優しく穏やかで、騙しやすそうな印象があったが、今の彼からは以前には感じられなかった威厳…?というものがあるような気がする。まあ、気のせいだろうが。
「忙しかった、らしいが…何をしていたんだ?」
「え、えぇ、まぁ、資金繰りを…」
「ほう…? 数々の夜会に出ていたらしいな?」
「…人の繋がりを作るのも、一つなので……」
以前であれば聞かないようなことを聞いてくる義理父に、アレックスは違和感を覚える。そういえば、いつもであれば自分が来ればすぐにやってくるはずのアンドレアスの姿も見えない。
「義父上、アンドレの姿が見えないようですが…」
「あぁ、あの子なら、今勉強をしているよ」
「アンドレが…?」
少し前まで、勉強なんて嫌だと言っていた、あの少年が? 一体どういう心境の変化だろうか。しかしそれは少しだけ困ると、アレックスは思った。
アンドレアスが知識を得るようになってしまったら、カレンを通じてマイヤー家を操ろうとした自分の予定が崩れてしまう。
「義父上、アンドレはまだ遊びたい盛りです。勉強ばかりさせていては、よろしくないのでは?」
「ははは、今まで十分に我が儘を言わせた。あの子もそろそろ伯爵家の長男…ひいては後継ぎとしての自覚を持ってもらわなくてはならんからな」
自分が来ない間に、いったい何があったのだろうか。いくらヘレンが戻ってきたからといって、こうまで人がいきなり変わるものだろうか。
「そう、ですか…あの、カレンはどうしていますか?」
「カレンは元気にしている。経過も良好でな」
「それは良かった!」
その瞬間、ドナルドの空気が変わったのがアレックスにもわかった。
「良かった―――? 夜会で女性に声をかけ続け、そして全てにすげなくされた後にようやくそれか?」
「―――」
ドナルドがそれを知っていたことに、アレックスは驚いた。自分の家族のことしか興味がないと侮っていた。
「…義父上、私は、女性を慰めるのも貴族男性の役目だと思っておりますれば…」
「それをカレンにも言ったらしいな?」
「それは、他の貴族女性もしていることですから」
「私の妻に対しても、同じようなことを言うのか?」
「っ」
これは誰だと、アレックスは思った。人の良さそうな印象はなく、アレックスを責めるような視線をしている。
「アレックス…私は非常に後悔していることがある」
「……」
「カレンがそなたを好きだと言ったから、結婚を許可した…。しかしもっとちゃんと調べてからにすればよかったとな」
「それは、私とカレンの結婚は失敗だったと仰いたいのですか」
「そうかも、しれないな」
アレックスは酷く苛立ちを覚えた。どうして今更そのようなことを言うのか。カレンは既に子を授かっているというのに。
「アレックス…そなたは、誰も愛せないのだろうな」
「なにを」
「だから、カレンのことも大切にできない。自分の子にも興味を持てない…。私には理解できん」
義父が、何を言っているのか、アレックスにはすぐには理解できなかった。そしてそれを理解したときに、夜会で公爵夫人に辱められた以上の怒りと恥辱がアレックスを襲った。
「―――っ!!」
「カレンに、会うといい」
話は以上だと言わんばかりに、ドナルドは手元にある書類に視線を落とす。言われっぱなしで腹の立ったアレックスは、何か言ってやろうとするも、ロドリゲスに立つように促される。ここで激高しても意味はないのだと必死に自分に言い聞かせ、アレックスは無表情に立ち上がった。
「……」
「……」
ロドリゲスとアレックスは、無言のまま歩いた。
「こちらに、カレンお嬢様がいらっしゃいます」
「…あぁ」
案内された部屋は、カレンの部屋だった。ロドリゲスは自分の役目は終わったと言わんばかりにその場を離れる。そしてアレックスはノックもせずに扉を開いた。
「――――」
「~♪~~♬」
カレンは、窓辺の椅子に座りながら、穏やかな表情をしていた。子守唄、なのだろうか。歌を口ずさみながら、何かを縫う…編んでいるのだろうか。
柔らかな日の光が、カレンの横顔を暖かく彩る。時折自身の腹を撫でている。あぁ、いつの間に、あんなに大きくなったのだろうか。
その光景を見たアレックスは、言葉を失った。そしてわけもなく、泣きたくなった。




