第9話 標的
総合体育館の片隅で、アルスは、ライからいくつかの魔法を教えてもらっていた。
「──超高圧の水に、爆弾みたいなイメージを載せれば!」
アルスが持つ言葉の中で、最適のイメージを考える。あの水の弾丸は圧縮されていて、それが破裂すればどうなるか。
「イメージを重ねるな」
ライは呆れたように言う。
「えー、どうして?」
「イメージは解釈のうちの一つだ。魔法はあくまで理論なんだよ」
ライの言っていることに、アルスは首を傾げる。それを見て、彼は頭を抱えた。
「いいか。確かに魔法のイメージは重要だ。だが、それだけだと魔法は不安定になる。想像と現実の⋯⋯摺り合わせ、だったか」
ライは何かを思い出すように言葉を紡いだ。
摺り合わせ。アルスにはやはり難しく思えた。しかし、魔法は道具である、ということを思い出す。
「⋯⋯んー。じゃあ、水を魔力で押し固めて、放つ。で、それが相手に命中したら魔力の箱が破裂するようにすれば⋯⋯」
「⋯⋯かなり難しい操作だな」
「そう?」
アルスの手の平の上に赤い魔法陣が展開された。同時に水玉を生成する。
「これを⋯⋯」
水玉の体積が増える。手の平サイズから人間の頭くらいまで膨れ上がった。そして直後にサイズが戻った。
「⋯⋯ほう」
だが、それはただサイズが小さくなっただけではない。外見こそほとんど変わりないが、質量、魔力の密度が上がっていた。
「で、こう」
アルスはもう片方の手で水玉に、できるだけ軽く触れる。すると、水玉は勢い良く破裂した。
その衝撃は近くにいたライには届かないようになっていた。
そして、アルスの衣服にも一切、水は飛んでいなかった。
「こんな感じ?」
「⋯⋯ああ。よく、できてる」
「でしょ!」
アルスは魔法の操作感覚を実感した。言語化はできない。体の方で調整してくれているようだった。
そんな時だった。
ティアが外から戻ってくる。
満面の笑みを浮かべるアルス。対して、微妙な顔つきをしているライ。
そんな二人の様子を見て、何とも言えない表情をしている人たちが多かった。が、和やかな雰囲気にはなっていた。
注目の的になっている、妙に盛り上がっていた二人に、ティアは話しかけた。
「何かあったんですか、アルス様?」
「あ、ティア!」
アルスはティアの方を向き、両手を腰に当てて、胸を張る。
「私、もう守られるだけの人じゃなくなったから⋯⋯!」
キリッ、という擬音がアルスの周りに浮かびそうだった。
「代理殿、俺じゃ手に負えん」
「あはは⋯⋯」
ティアは目尻を下げ、困ったように笑った。
そして、その笑顔のままティアは話題を逸した。
「あ、これからどうします?」
それはアルスも考えていた。彼女は胸を張ったまま、けれど少しだけ声を落として、口を開く。
「この事件を起こした相手を見つけて、討伐しよう。それが最優先だよ」
──ティアの笑顔が凍りつく。
ほんの少しの間、彼女は何も言わなかった。
ライは、目を細めていた。
「討伐⋯⋯」
ティアはその言葉を確かめるように呟いた
「⋯⋯アルス様⋯⋯それ、は⋯⋯」
たどたどしく、言った。
が、それにライの言葉が続く。
「駄目だ」
ライははっきりとアルスの言葉を否定した。
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯なんで?」
アルスはすぐには言い返さなかった。
「あんたの命が最優先だからだ。まずはあんたを王都から安全な場所まで逃がす」
決定事項だとでも言うようだった。
ティアの目線は少し下がっていた。
アルスは感情を飲み込む。代わりに、口を開く。できるだけ静かに。
「それなら、ここの人たちは? 置いていくの?」
「置いていかない。ここには護衛としてティアを残す」
ライはティアに目をやる。そのことにティアは驚いたような表情を見せた。
「⋯⋯危険だよ」
「彼女の実力を信じられないのか?」
アルスとライは無言になる。互いにこれ以上、言葉を重ねるつもりはなかった。
ティアは二人の顔を交互に何度も見ていた。
張り詰めた時間がしばらく過ぎた。
最初に口を開いたのは、ティアだった。
「⋯⋯状況を、まとめます」
ティアはアルスとライだけでなく、自分自身も説得するように話し始めた。
「まず⋯⋯現在、王都北部区域は、使徒の襲撃を受けています」
使徒。あの化物のことだ。今もどこかで、人が使徒に襲われているかもしれない。
「わたしたちは現在、ここ、総合体育館に避難しています。わたしが張った結界は隠密に特化しているので、通常の上位使徒なら欺くことができるかと」
上位使徒、という言葉がアルスは気になった。しかし、ひとまず流すことにした。
「そして⋯⋯伝えるのが遅れましたが、この辺りを囲うように、大規模な空間結界魔法が展開されています」
ライはその言葉に反応した。
「封鎖か? 情報遮断は?」
主語のない言葉だ。だが、ティアは当たり前のように答える。
「両方です。しかし、連盟との連絡はできました。一、二時間もあれば救助部隊が来るかと」
「連絡ができた?」
「通信妨害は簡単に突破できました。しかし、封鎖効果の方は無理でした。少なくとも、遠隔では解析もできませんでしたね」
「そうか。連盟なら一級以上は寄越してくるはずだが⋯⋯楽観はできないな」
「ですね。それまで耐えられるかどうか」
色々とアルスには分からないことが多かったが、分からないなりに話を咀嚼する。
重要な点は三つだろう。
一つ、この総合体育館は化物──使徒には発見されづらい。
二つ、アルスたちがいる場所を囲うように、出入りと通信を妨害する結界が張られている。
三つ、救助部隊はあと一、二時間で王都北部区域に到着する。
「なるほどな。それだと、救助を待つことも視野に入るな」
ティアの説明を聞き、ライはすぐに結論を導いた。
「はい。⋯⋯ですが」
ティアは目を細めた。声が小さくなっていた。
「わたしの⋯⋯感知魔法なので。⋯⋯その、気のせいかもしれなくて」
「君の魔法の腕は俺が保証する。言ってみるといい」
「⋯⋯はい。最上位使徒と思しき魔力反応がありました」
ティアは端的に言った。最上位使徒。アルスはもちろん、知らない名称だ。けれど、ティアの声色が、その存在を雄弁に語っていた。
「そうか。どこに居る? あと、上位使徒の数も分かるか?」
「位置まではわかりませんでした。しかし、数は最上位使徒が一体。上位使徒はおそらく四体です」
「⋯⋯逃げるのも苦労しそうだな」
事態は深刻なのかもしれない、と、アルスは思った。
上位使徒だの、最上位使徒だの、専門用語は分からない。
けれど、ライがその位置と数を訊いている。あの使徒たちを歯牙にもかけなかった彼が、だ。
「そうです。アルス様を連れ出さず、ここで救助を待つことが賢明かと」
「間違っちゃいない。だが、危険でもある。最上位使徒は元より、索敵に特化した上位使徒が来たら、ここはそいつの目を誤魔化せるのか?」
「⋯⋯それは」
ティアは言葉に詰まる。この避難場所が見つかる可能性を、否定しきれなかったのだ。
「⋯⋯無理です」
「ああ。君の魔法は優秀だが相手が悪すぎる」
ライとティアは思考を巡らせる。
逡巡の後、まずティアが口を開く。
「もし発見されれば」
「上位使徒が三体来た時点で袋の鼠だ」
「脱出のリスクは」
「君が一緒ならともかく、俺一人だとキツイ」
「討伐は」
「ハイリスク、ハイリターン。正直、現実的じゃない。せめて居場所だけでも分からないと」
ライとティアは、手段とそのリスクを洗い出している。そのうえで最善を探っている。
しかし、アルスは、また別のことを考えてしまっていた。
もし、アルスが人々を助けなければ。
もし、アルスが最初からライとティアの言うことを聞いて、三人で脱出を目指していたら。
いやそもそも、なんでこんなことに?
アルスは、呟くように言った。
「⋯⋯なんで、使徒は王都を襲ったの」
それはこの話し合いには関係のないことだった。
けれど、アルスは聞かざるを得なかった。
あのとき、アルスが助けなかったら、人々は死んでいた。最初から逃げていても、そうだ。
どの選択をしていても、人の死は免れなかった。
アルスの声には僅かに震えがあった。彼女は俯いていた。
わかって、いるのだ。
「違います」
ティアはそんなアルスを見て、声を大きく張る。
「アルス様の、せいじゃ⋯⋯ありません。なので、なので⋯⋯」
ティアは声を抑えることも忘れてしまった。彼女の声は段々と大きくなる。
彼女は言葉を続けようとした。しかし、続かなかった。
再び、アルスたちは人々の注目を集める。だが、今度は和やかな雰囲気にはならない。
そして、ライは静かに言う。周囲には届かない低さで、それでも、圧があった。
「──ああ、そうだ。使徒共は、あんたを殺すためにここを襲っている」
アルスの呼吸が、一瞬、止まった。




