第8話 魔法
幸いにも、避難中に化物に襲われることはなかった。
ティアはある建物の前で立ち止まった。そこは比較的、損傷が少なかった。
アルスが眠っていたあの建物よりは小さかった。しかし、一般的な家屋より大きい。
出入口の門柱には『総合体育館』と記されていた。
そこは他の建物群からは離れており、よく目立つ。
アルスは、お世辞にも避難先に向いているとは思えなかった。
「もっと別のところのほうがいいんじゃ?」
アルスはティアにそう言ってから、余計なことをしたかもしれないと思った。
ティアはそのことをあまり気にせず、答える。
「問題ありません。それなりの広さがあれば」
ティアは総合体育館の外壁に視線を走らせていた。
アルスは心配を感じつつも、ティアの判断を信じた。
それから、アルスたちは総合体育館に入った。
屋内は暗かった。だからティアは照明のスイッチを入れた。
眩しいくらいの光が総合体育館内を隅々まで照らす。
人々の表情が少しずつ緩んでいく。床にそのまま座り込む人たちが多かった。安心を確かめるように、言葉を交わしていた。
「アルス様、ストラーフさん、先に休んでいてください。あとはわたしがやっておきます」
ティアはそう言ってから、一人で外に出ようとした。アルスは彼女についていこうとした。
しかし、ライの言葉がアルスを止める。
「護衛対象が無闇に出ていくな。⋯⋯心配するな」
アルスは立ち止まり、振り返る。
「近くに敵の気配はない。それに何かあっても、あの子なら大丈夫だ」
「⋯⋯そうかもね。⋯⋯それにしても、あなたならてっきり肩でも掴んで止めそうなものだけど。急にどうしたの?」
アルスは、にやにやと悪戯っぽく笑って返した。
「はぁ?」
ライの顔が歪む。だが、その様子は冷えていなかった。
「⋯⋯全く」
ライはアルスを無視するように、入口近くの壁に背中を預けた。腕を組んでいる。休むようだが、警戒は解いていなかった。
そんなライの横に、アルスは座り込んだ。
「なんだ。ようやく護衛対象としての自覚を持ったのか?」
ライは皮肉げに笑いながら、そう言った。
「あなたはもうちょっと余裕を持ったほうがいいよ。皮肉ばっかりじゃ疲れるだけだし」
アルスは口を尖らせて、そう返した。
「やりにくいな、あんた⋯⋯」
それだけ言って、ライは何も喋らなくなった。アルスとは目線を合わせようとしなかった。
アルスは、ライに嫌われているのだろう。思い当たる節がないわけでもない。だが、ここで黙り込むつもりはない。
アルスは何か話題を考えた。
「ねぇ、私があのとき使ったあの赤い羅針盤みたいなのって、なに?」
ライは一瞬だけアルスの方に目をやった。そしてすぐに彼は答える。
「魔法」
たった一言だけで、口を閉じる。彼は本当に、アルスと会話をしたくないらしい。
が、それがどうした。
「それだけ?」
アルスはあえて空気を読まず、ライに話しかけ続ける。
ライは小さく溜息をついた。返答はない。
「⋯⋯ねぇ?」
アルスはライの顔を覗き込む。彼は眉をひそめる。手で払うような素振りを見せた。アルスは一旦引くが、会話から離れたわけではないと、ライの方を見つめ続ける。
「答えてくれるまで、顔、覗き込み続けるからね」
ライはまた、深く溜息をつく。
「⋯⋯はぁ。言って分かるのか。あんたが?」
ライは挑発気味だが、ようやく答えた。
アルスは表情ひとつ変えず、言う。
「戦えるようになりたいからね」
「⋯⋯⋯⋯」
アルスは足手まといだ。今のままでは何もできない。先程も、ライが助けなければアルスはあの化物に殺されていたはずだ。
だったら、戦えるようになればいい。
「私が、私を認められるように」
それは本心だった。
ライは無言でアルスを見つめる。というより、見定めているようにも思えた。
どうしてか、すこし、アルスは緊張した。
「⋯⋯そうだな。今のあんたは使い物にならん」
また言われた。事実とはいえ、アルスは流石に少しだけ傷ついた。
「だが、魔法をまともに使えるようになれば、少しはマシになるか」
皮肉がなくなることはないが、ようやく、ライはアルスに魔法を教える気になったようだ。
彼は顎に手を当てる。
それから、口を開く。
「魔法ってのは再現性がある奇蹟だ」
再現性のある奇蹟。矛盾のような言葉だったが、アルスには違和感なく飲み込むことができた。
「で、魔法には色がある」
アルスは思い出す。
アルスが使ったあの魔法とやらの色は、赤だった。対してライが使っていたものには黒と赤が混じっていた。
「赤、青、黄、緑、白、黒。この六色だ」
ライは考えながら喋っていた。説明のために、何かを思い出しているようだ。
彼の目から、ほんのすこしだけ、棘が抜けた気がした。
「例えば白魔法は空間操作だ。オーソドックスなのは空間転移だが、物理的な認識阻害もできる。何でも空間を歪ませて──」
ライの口が突然滑り始めた。わずかに彼の口角は上がっていた。
彼らしくないほど饒舌だった。もちろん、良い意味で。
しかし、
「まって。うん、まって。分からないから。難しい。もうすこし分かりやすくできない?」
アルスはライの言葉を遮った。このまま喋らせ続ければ、理解できない言葉で埋め尽くされるような気がしたからだ。
ライの顔から、少しだけあった感情が途切れる。
そして、いつものように嫌味ったらしい表情を浮かべて、両手を広げた。
「はあ。これだから記憶喪失は」
「それ今関係ないでしょ!?」
アルスは声を張る。だがライはまるで聞く耳を持たずに、そっぽを向いた。
「あーはいはい。ですねぇ、居眠りお姫様」
あまりにも腹立たしい態度と声だった。
アルスは苛立ちを通り越して、呆れた。
「あのねぇ⋯⋯」
ライはそんなアルスを尻目に話を戻す。
彼が真面目な顔に戻ったため、アルスはきちんと聞くことにした。
「例えば、あんたが使ったのは赤魔法。攻撃だ」
「赤⋯⋯あの羅針盤の色?」
「魔法陣だ。魔法はその特性によって色が変わる」
アルスはあの赤い魔法陣から、水の弾丸が放たれたことを覚えている。確かにそれは、化物の胸を弾き飛ばした。攻撃とはそういうことなのだろうか。
「なるほど。再現性のある奇蹟⋯⋯」
「技術とも言えるな。何もないところから水を生み出し、射出機もないのに高速で放つ。そこだけ見ればまさに奇蹟のような所業だ」
アルスはライの説明を噛み砕く。
魔法は奇蹟であると同時に、技術であり、再現性があるもの。
何もないところから、特定の現象を起こす。
だが、その結果自体は、水の弾丸を放つだけ。
「⋯⋯もし、水があれば。もし、射出機があれば。魔法と同じ結果を再現できる」
アルスは自分なりに魔法を解釈した。
「なるほど。魔法は道具なんだね」
「あんたにしては察しがいいな。本当に記憶喪失か?」
「さっき自分が言ったこと忘れた?」
つまり、魔法とは何でも起こすことができる力ではない。
起こり得る結果であれば、手順を飛ばすことができる技術だ。
「⋯⋯あ、もしかして、ティアの索敵ってのも魔法?」
アルスたちが路地裏を走っているとき、ティアはまるで化物の位置を知っているかのように動いていた。
ライもそんなことを言っていたはずだ。
「ああ。あれは黄魔法だな。嗅覚か聴覚の強化だろう」
疑問が解けていく。
アルスはある種の安心を感じていた。
ただ、魔法を覚えているわけではない。喪ったものを取り戻しているような感覚だった。
そんなとき、アルスはふとライが気になった。
彼の目から、黒い感情が薄れていた。
思えば、魔法を語る彼は、どこか楽しげだった。
「⋯⋯ライ」
彼は魔法が好きなのだろうか。
「なんだ?」
違う。彼はただ魔法が好きだから語っているわけではないように思えた。
だからアルスは言葉を飲み込んだ。
「いや⋯⋯。⋯⋯もしかして、ここを選んだのも魔法があるから、なのかなって」
「ん? そうだろうな。彼女は優秀な魔法使いだ。黄だけじゃなくて、青も使えるらしい」
ライの言葉には嘘偽りがない。
アルスへの態度とはまるで違った。
アルスはそのことに違和感を覚えるが、深くは考えなかった。
「ティアって凄いんだね。で、青魔法って?」
「結界を張れる」
その瞬間、青い光が総合体育館を覆った。
光はすぐに消えた。避難民たちに、これに気がついている人はいないようだった。
しかし、アルスはこれが魔法だと分かった。何かが、外と内の間にある。
「へぇ。一時凌ぎとはいえ、この規模となると。青魔法も得意なのか」
ライは感心するようにそう言った。
「⋯⋯隔てている?」
アルスはふと、そう感じた。
そんなアルスを見て、ライは目を細め、少しだけ距離を取る。
「⋯⋯気味悪いな」
ライは、皮肉も嫌味も一切なく、そう言った。
「えっ」
「なんでそこが分かる?」
「えぇ⋯⋯。っていうか、察しただけなのにそうなる? ねぇ」
アルスは首を傾げ、不満そうにそう言った。
「⋯⋯ああ、悪い」
歯切れが悪そうに、ライは言った。空気がすこしだけ悪くなった。
「で、どうやって魔法で戦うの?」
アルスは強引に話を戻す。
「あんたって図太い神経してるよな」
「そんなこといいから。戦い方教えて」
ライはもう何度目かも数えられない溜息をつく。
「人による」
「急に突き放さないでよ」
「実際そうだからな」
ライは言葉を続ける。
「ただ、基本的な魔法の発動方式は大きく二つ。無詠唱と詠唱だ」
アルスは思い出す。
あのとき、アルスが魔法を使ったときは、魔法の名前を言葉にした。しかし、ライは何も言葉にせずに魔法を使っていた。
「詠唱行使は安定する。無詠唱行使は速い。その代わり難しいし、出力が落ちる」
ライはそう言ったあと、「いや、例外はいたか」と呟いた。アルスはすこしだけ気になったが、流した。
「まあ、どちらにせよ魔法の名前は覚える必要がある。無詠唱と言っても、魔法の名前を思い浮かべたほうがイメージが安定するからな」
「イメージ⋯⋯」
イメージ。その言葉がアルスの口の中に残る。
何となく、それが体に馴染んだ。
「⋯⋯教えて。魔法の名前と、無詠唱行使のやり方を」
戦うために必要なことがわかれば、あとはそれを習得するだけ。
幸いにも目の前には、魔法をよく知る者がいる。
「⋯⋯はあ。分かった。代理殿が帰ってくるまでな」
ライは魔法の名前をアルスに教え始めた。
その様子はどこか彼らしくないと、アルスは感じた。
けれど、彼の顔つきは、ライらしくないのに自然だった。
アルスの中には、そのことが妙に残った。
【世界情報:魔法】
赤、青、黄、緑、白、黒の六色に分けられている奇蹟を引き起こす技術。
魔力を消耗することによって使うことができる。
詠唱だとか無詠唱だとか、色々と発動方式があるが、どれにせよ、理解してイメージすることが大切。
ただし、この世界における戦闘職である魔法使いは、上位であればあるほど無詠唱がデフォルト。よくある「無詠唱魔法だと!?」という展開はない。というかあったら困る。




