第7話 どういたしまして
脅威は去った。
しかし、人々は未だ騒然としていた。
叩き割られた石畳や折られた街灯。場に残る血の臭い。断頭、消炭、両断された生々しい化物だったモノ。
そして張り付いたままの、死。
涙を流す者や座り込む者、子をあやす者がいた。
「皆さん、安心してください」
そんな彼らに、ライは声をかけた。
暖かく、優しい音だった。アルスへの態度とはまるで違う。だが、それは作られていた。
ライに続くように、ティアが前に出る。
「私たちは大陸魔法連盟のモノ協会です。皆さんの安全は私たちが保証します」
声には一切の震えもなく、ティアは慣れたようにそう言った。
「協会長代理殿だ」
誰かの、安堵の混じった声が漏れた。
それをきっかけに、人々の様子が変わり始めた。
泣き止む者がいた。立ち上がる者がいた。
それでも恐怖が消えたわけではない。空気が緩むことはなかった。だが、足が竦んでいる者はいない。
ああ、こんなに人を安心させることができるものなのか。それとも、この二人だから、なのだろうか?
「⋯⋯⋯⋯」
今のアルスには、真似できなかった。
ライのように戦いで人を助けることも。ティアのように言葉で人を安心させることも。
そんなことを思っていたアルスに、ライは跫音を立てて迫ってきた。
「お前、分かっているのか?」
開口一番、ライは鋭い声でアルスに言った。
その圧が周囲に漏れることはなく、アルスだけが一身に浴びていた。
全身に氷柱が突き立てられたような感覚。肩を掴む彼の手はやけに強かった。
「でも」
しかし、アルスは顎を引き、ライと目線を合わせる。
目隠しがあってもその視線は伝わったのか、ライの口角は下がる。
「優先順位だ。二度も言わせるな」
「あの化物は殺し尽くさないと。だから──」
アルスは言い終える前にようやく気がついた。自分の声が強くなっている、と。
「⋯⋯は?」
二人の間から、音が消える。
それから、ライは眉間に皺を寄せる。
「お前、は⋯⋯」
一瞬だけ、ライは目を逸らした気がした。
苛立ちでも、冷たさでも、黒く濁ったものでもないライの感情を、初めてアルスは垣間見た気がする。
ライは口を開く。
「⋯⋯もう、いい」
ライはそう言い捨てて、人々の避難誘導に戻った。
アルスは、ただそれを眺めていることしかできなかった。
そんな時だ。
「お、お姉さん!」
一人の少年が、アルスの元に駆け寄ってきた。そして彼の両親が遅れて来た。
「さっきはありがとう、ございました!」
少年の声は震えている。目は潤んだままだ。
「えっ、と⋯⋯」
お礼を言われるようなことはしていない、と、アルスは言おうとした。だがそう言うより先に、少年の父親が口を開く。
「あなた様にあのとき助けて頂けなければ、私たちはあそこで死んでいました⋯⋯! 感謝いたします⋯⋯!」
母親が言葉を続ける。
「あなた様は息子の、私たちの命の恩人です⋯⋯。本当に、ありがとうございました⋯⋯っ!」
少年とその両親は、頭を深く下げた。
アルスはどうしたらよいのか分からなかった。思わず、一歩後ろに下がってしまった。
「私は⋯⋯」
人を助けることなんて、当たり前のこと。こうも感謝されるほどのことではない。
だから、わざわざお礼なんてしなくてよい。
⋯⋯と、いう言葉が喉の奥まで湧き上がった。
けれど、アルスはその言葉を飲み込んだ。
少年とその両親、三人の顔を見て、口元だけで笑顔を作る。
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯うん。⋯⋯どう、いたしまして」
アルスは音を選ぶ。ぎこちないのが自分でも分かる。
「ありがとうございました⋯⋯!」
少年とその両親はもう一度、感謝を口にした。深く頭を下げた。そしてその場を離れ、避難に戻った。
アルスは、心の奥底が暖かくなったような気がした。
自分でも、その気持ちに驚く。
分からない。ただ、不愉快なものではない。
知りたい、と、アルスは思う。
だからその気持ちを咀嚼しようとした時、
「アルス様、行きましょう」
ティアは、アルスの手を取る。
「⋯⋯うん。わかった」
アルスたちは避難を開始する。
アルスとティアが先行し、人々がそれについていく。ライはしんがりで、周囲を警戒している。
今の人々の顔は、きちんと前を向いている。足取りに震えはあっても、迷いはない。アルスたちを信じているのだろう。
だが、それは薄氷の上にある安心でしかない。簡単に崩れてしまう。
「⋯⋯ティア。周りにあの化物はいない?」
それだけは、避けないといけない。
「え、あ、はい。大丈夫です。いません」
その後、ティアはアルスをじっと見ていた。
「⋯⋯どうしたの?」
ティアの頬が緩んでいたから、アルスは気になった。
「⋯⋯いえ。アルス様は、アルス様なんだな、って」
ティアは手を口元まで持っていき、朗らかに笑う。
ようやくアルスは、それまでティアの表情がずっと強張っていたことに気がついた。
気のせいか、声色も柔らかくなった。
ティアの言っていることは、アルスにはよく分からなかった。けれど、
「私は、私だよ」
当たり前のことを、アルスは何でもないように言った。
「──はい!」
ティアは、はっきりとアルスの言葉を肯定した。
彼女の耳は、ピンと立っていた。




