第5話 優先順位
「⋯⋯なに?」
『助けなきゃ』というアルスの言葉に、ライはそう言った。
呟くような声量。なのに、やけに圧があった。
どうして?
あんな殺され方をしているのに。
これから、より多くの人が、殺されてしまうかもしれないのに。
「助け──」
「──助けない」
アルスが何か言う前にライは答えていた。だから彼女は言葉を続けられなかった。
無慈悲なだけ? 冷たいだけ? いいや、違う。
氷でできた蝋燭みたいだ。
でも、冷たいだけ、ではない。
「優先順位を決めろ」
彼は言う。
その言葉は、何度も繰り返してきたもののように聞こえた。
まるで、自分に言い聞かせるために。
その意味を、アルスは理解できる。しかし、
「命に優先順位なんてない!」
到底、納得できる言い分じゃなかった。
食い下がるアルスに、ライは舌打ちする。それを聞いた彼女は、言葉に詰まる。
それでも、言い返さないと。
アルスは言葉を考える。
「私の力が必要だって言ったでしょ!? だったら助けるために使う! 絶対っ! 見捨てなんかしない!」
こんなもので説得できるのなら、ライの心はとっくに氷解している。
「そうしないと私は私じゃなくなる!」
ライは目を見開く。
一瞬、彼の目がアルスを素通りした、気がした。
彼の中から何かが剥がれ、崩れる音だけがした。
そして、今のライが消える。
──。
──────。
───────────────。
「──あ?」
──アルスの心臓に剣が突き刺さった。その剣を握っているのは、ライだ。
アルスは真っ黒な世界に呑み込まれる。
死ぬと、身体が知った。
それは一瞬で収まった。
しかし痛みの余韻は残っている。アルスは胸から流れる血を幻視したままだ。
「⋯⋯⋯⋯」
場の緊張が次第に解けていく。辺りが色を取り戻す。
耳鳴りが止んでも、あの感覚だけは残っている。
「⋯⋯いいか。今、この状況、あんただけでも生かさなきゃならん」
ライは自分にそう言い聞かせるように言った。
妙な説得力があったが、アルスには関係がない。
──この言葉だけは否定しなくちゃならない。
けれど、何を言っても納得はしてくれないだろう。
だからアルスは、何も言わなかった。
ライの目は、冷たくなっていた。
その目は、護衛の目ではなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
ライは無言のまま、先に進んだ。
彼はすぐ近くの路地裏に入っていく。アルスはそれについていった。
しばらく走り続け、ライは路地裏のわずかに開けた場所で立ち止まる。
幸いにもここは血の臭いが薄かった。
少し休憩でもするのかと、アルスは思い、気を緩めようとした。
その時、突然、一人の少女が現れた。
金色の髪の上に、特徴的な猫のような耳。
そこには誰もいなかったはずだ。
「眠りの姫様は無事だ、代理殿?」
しかしライは、当然のように少女に話しかけた。
「⋯⋯はい。ありがとうございます、ストラーフさん」
少女はアルスの方を向き、近寄った。
そして、視線を落として、胸に手を当て、膝を折る。
「お久しぶりです、アルス様」
それから、少女は静かにそう言った。
「え⋯⋯」
あまりに唐突で、アルスは状況が理解できなかった。
一瞬というには少し長い間が流れた。
そこで、アルスはようやく、目の前の少女が自分に向かって跪いているということに気がついた。
「待って。ええと、あの、その⋯⋯」
いくら記憶がなくとも、アルスは目の前の少女とのただならぬ関係を察することはできた。
だからこそ、気まずい。
「⋯⋯すごく、言いづらいのだけど⋯⋯」
少女の耳がピクリと動いた。
彼女は顔を上げる。ほんのわずか、瞳孔が開いていた。
「⋯⋯私、記憶が⋯⋯」
アルスの声は、しりすぼみに消えていく。その言葉を、言い切ることはできなかった。
目の前の少女の猫耳が倒れたからだ。
一瞬、表情が決壊しそうになったからだ。
彼女は、冷静さを保とうとしていた。
「は、い⋯⋯そう、なの⋯⋯ですね⋯⋯」
しかし、声が僅かに震えている。
少女は目を少しの間だけ閉じて、深呼吸する。
「⋯⋯わたしは、ティア、⋯⋯と、申します」
少女、ティアは、訥々と、名前をアルスに伝えた。
「⋯⋯うん。⋯⋯よろしくね、ティア」
なぜだかアルスは、胸が締め付けられるような感覚がした。
アルスは、ライから視線を感じた。気になったが、ティアが注目を引くように口を開く。
「わたしたちはこれから、北部区域から脱出します」
ティアは続ける。
「現在、ここ王都北部区域は、使徒と思しき敵対存在の襲撃を受けています。敵数は不明。配置も把握しきれていません。そのため交戦は可能な限り回避し、東門方面を目指します」
王都北部区域、東門方面。
アルスにはほとんど分からなかったが、ただ、王都の北側を指しているわけではなさそうだ。
「それだと接敵は免れないぞ。西門方面に迂回すべきじゃないか?」
「分かっています。ですが、時間をかけたくありません」
「アルスは戦えない。それでも?」
「だからこそ、です。これ以上、状況が読めなくなる前に動くべきでは? それに、ストラーフさんの実力はこの目で見ています。あなたとわたしならば、十分可能かと」
「随分と信頼してくれるんだな、代理殿?」
「ええ」
ライは少し考え込んだ後、口を開く。
「⋯⋯わかった。たしかに、最悪の場合、逃走経路が封鎖されかねないしな」
「そうです。⋯⋯それを避けるには、ストラーフさんにかなりの負担をかけることになります。⋯⋯よろしいですか」
ティアは言葉では可否を訊いているが、その声には既に答えが決まっているような響きがあった。
ライは僅かに笑みを浮かべ、ティアに言葉を返す。
「君にそこまで言われては、断ることはできないな」
「すみません。ありがとうございます」
どうやら、話はまとまったらしい。
アルスは半分も内容を理解できなかったが、とりあえず分かったことはある。
ここから、何としてでも逃げること、だ。
「それは、人を助けないということなの?」という言葉が喉の奥まで出かかった。でも、それより先にティアが言う。
「行きましょう、アルス様、ストラーフさん」
三人は走り始めた。
アルスはティアについていく。
彼女の動きは素早く、アルスは、ついていくだけでも厳しかった。
対して、ライは周りを警戒しつつ平然とペースについていっていた。
「すみません! アルス様、大丈夫ですか?」
ティアはアルスが苦しそうにしていることに気づき、ペースを一気に落とした。
「だい、じょうぶ⋯⋯だよ⋯⋯! 急ごう!」
アルスの言葉を聞いて、ティアは再び走り出す。ほんの僅かに、ペースは落ちていた。
しばらく、三人は王都の路地裏を駆け抜ける。
遠くで悲鳴が聞こえた。瓦礫の雪崩音がする。焦げた脂で唇がベタつく。
本能はアルスに危険を報せているが、アルスはティアについていくことだけを考えるようにした。
ティアは突然進行方向を変え、屋根に飛び上がったかと思えば、狭い路地に降りる。
何かを避けているような動きだ。
それはライが化物と呼び、ティアが使徒と言っていた存在なのだろう。
「索敵、得意なのか?」
突然、ライはティアに訊いた。
「ええ、まあ。少しは」
索敵、という言葉の意味がアルスには分からなかった。
化物の居場所を特定しているのだろうが、どうやって?
アルスがそのことについて、ティアに訊こうとしたときだ。
「う、うわぁぁぁぁっ!」「来るな化物!」「死にたくない! 殺さないで!」
悲鳴が、聞こえた。
そして虐殺を見た。人が玩具みたいに振り回され、砕かれ、潰されるのを。
捕食者が被捕食者を食べるための狩りとは違う。
それを行っているのは五人。
しかし、ひと目であれらが化物だと理解できる。
「⋯⋯ありゃ全滅だな」
ライは他人事のようにそう言う。
ティアも目を逸らし、瞼を伏せた。
二人は、抱えた感情の重さに違いはあれど、選択は同じだった。
だが、アルスだけは違った。
心の奥底から湧き上がる、激情。それは決して純粋な気持ちではなかった。
アルスは自分の感情に違和感を覚えるより先に、
──気がつけば、勝手に手と足が動いていた。
「アルス様!?」「なっ⋯⋯!」
救わなくちゃ。
いや⋯⋯
──あれだけは殺さなくちゃ、いけない。
【人物情報:ティア】
かわいい。以上。
金髪の猫系の獣人。目は碧い。頭部には猫耳、尾てい骨付近から猫の尻尾が生えている。どちらも金色の毛で覆われている。
ノースリーブの白いシャツの上から、協会指定の白い制服を着崩している。スカートは青色。
代理、と呼ばれているように、今の彼女は誰かの代わりに職務を全うしているらしい。
ちなみに十六歳。あと色々と小さい。何がとは言わないが。




