↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/44

第42話 みているもの

 リトは突然現れた少女に手を引っ張られていた。

 二人は河川敷の斜面を駆け上がり、道路を横切って、住宅街へと逃げていった。

 少女は適当な路地裏に入り込んだ。そこでようやく、彼女はリトの手を離した。

 その瞬間、リトは地面に手をついて咳き込んだ。


「あ⋯⋯ごめんなさい。必死になって、逃げちゃって⋯⋯」


 少女の声が近くで聞こえた。しゃがみこんでいるらしい。リトの視線は地面に向けられたままだった。


「げほっ⋯⋯っ⋯⋯は、はぁ⋯⋯」


 喉の奥が痛い。込み上げて来る唾液は鉄の味がした。

 何度も何度も息を吸っては吐いた。

 しばらくそうしていると、なんとか、呼吸が落ち着いた。


「⋯⋯あの、ありが、とう、ございます⋯⋯」


 まだ喉が痛む。それでも、リトは少女に感謝を伝えた。


「こっちこそ、ごめんなさい。⋯⋯見ていられなくて。それで、連れ出してしまって」


 言葉はそこで途絶えた。

 リトは少女の言葉を待った。けれど彼女は言葉を続けなかった。

 いや、何か言おうとしているのがわかるくらい、目が泳いでいたけれど。

 リトもつられて目を逸らしてしまった。

 その時、少女は唐突に口を開いた。


「⋯⋯私はハルっていいます! あ、あなたのお名前は⋯⋯!?」


 リトは、少女の言っていることをまとめようとした。

 彼女の名前はハル。そしてリトの名前を訊いている。

 ⋯⋯それだけ?


「あ、はい。リト、です」


「リトさん! もう安心してください! 私がまもります、から⋯⋯!」


 リトの名前を聞いたというより、返事が返ってきたこと自体に反応したかのように、少女──ハルはテンプレートみたいな言葉を言った。


「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯はは」


 リトは頬を緩めた。


「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 ハルの表情が固まっていた。その様子を見て、リトはなんとか笑顔を作った。


「⋯⋯ハルさん、ありかとうございます。でも、僕は大丈夫です。⋯⋯こんなの、慣れてますから」


 リトはようやく立ち上がった。お尻についた汚れを軽くはたき落とした。


「さっきの奴らに見つかったら面倒だと思うので、気をつけてくださいね。あいつら、碌でもない奴らなので。次見つかったらどうなるか⋯⋯。それじゃあ、また──」


 リトはハルを見て、落ち着いた声でそう言った。


「⋯⋯ちょっとまって!」


 立ち去ろうとしたとき、ハルは声を上げた。


「え? まだなにか?」


「うん。⋯⋯その、ひとつだけ聞きたいことがあって」


 ハルはリトに近づいた。


「⋯⋯あなたがいた映画館で、人が死んでいて。なにか知りませんか?」


 リトの瞳が一瞬、揺れた。

 リトはハルから一歩だけ、後ろに下がった。それを見て、彼女も一歩下がっていた。

 リトは口を開こうとした。けれど、その前に一度だけ唾を飲み込んだ。


「⋯⋯ごめん、なにも知りません。途中で、映画がつまらなくて出てったから」


 ハルの表情は少しも変わらなかった。


「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯わかりました。ありがとうございます。じゃあ、これで」


 ハルはリトに背を向けて、数歩進んだ。

 けれど、リトはハルに声を掛けた。

 掛けてしまった。


「⋯⋯疑わないんですか? 殺人が起きたところに、僕がいた。僕が嘘を言っているかも──」


 リトはそこまで言って口を閉ざした。

 それと同時に、ハルは振り返っていた。


「だって、あなたは良い人に視えるから」


 今度こそ、ハルはその場を立ち去った。

 リトの右手が少しだけ動いた。けれどそこまでで止めた。


「⋯⋯⋯⋯」


 リトも、その場を後にした。


 ◆◆◆


 リトは自宅に戻った。

 いつものように、いつもの調子で、いつもの声で「ただいま」と言う。

 

「おかえり、リト」


 そんな母の声がリビングから聞こえた。

 リトは玄関で靴を脱いで、そこへ向かった。

 リビングには見慣れた机と椅子があった。母は椅子に腰を掛けて、コップに入ったお茶を飲んでいた。手元のお茶も、ほとんど減っていなかった。


「⋯⋯どうしたの、母さん?」


 テレビは点いていた。そしていつもなら、母はテレビを見ていた。それか、昼食の準備をしているはずだ。

 でも今日は違った。母は窓の外を見ていた。


「⋯⋯あんた、私に隠していることあるでしょ」


「⋯⋯え? なにいきなり。そんなことないけど」


「⋯⋯⋯⋯」


 母はお茶を一口、飲んだ。


「まあ、言いたくないならいいけど。⋯⋯でもね、リト。母さんはあんたの味方だから」


 母はテレビを見ながら言った。

 リトは視線を落とした。


「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯うん」


 リトの声は小さかった。

 それから、母は椅子から立ち上がり、キッチンに向かった。エプロンをつけて、昼食の用意を──いつものように、するらしい。


「リナは昼食べてくるって。だから簡単なのしか作らないからね。⋯⋯ああ、あと、シャワーでも浴びてきなさい。ちょっと汚れてるわよ」


 油の焼ける音がした。

 リトは母の言うとおり、シャワーを浴びることにした。

 そしてリビングの扉を開いたとき、リトは立ち止まった。


「⋯⋯母さん」


 フライパンで肉を焼く音がする。


「なに?」


「⋯⋯ありがとう」


 そそくさと、リトは浴室へ向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。