第37話 落陽
化物はゼアンを狙って鉤爪を薙ぎ払った。
ゼアンは身をかがめて避けた。続く爪の振り下ろしは身を捻って躱した。
ゼアンは杖を化物に向けると、その先に赤い魔法陣が展開された。
風の刃が放たれた。だが、刃は化物の表皮を少し傷つけるだけだった。
「これでもっ!?」
化物は鉤爪を薙いだ。しかし鉤爪とゼアンの首との間に、水の塊が割り込んだ。
鉤爪が止まったところへ、ゼアンは魔法の風を吹かせた。化物は大きく吹き上げられてから地面に叩きつけられた。
化物は揺らめきつつも立ち上がった。
「⋯⋯⋯⋯」
アルスは右手を化物にかざした。
「〈暴風雨穿弾〉」
大質量の水の弾丸が高速で放たれた。化物は避けることなく直撃したが、表面の肉が薄く削られ、血が滲んただけだった。
「アルスさんの水魔法でも⋯⋯」
ゼアンは拳を握りながらそう言った。
「ならっ⋯⋯!」
彼女はまた魔法を使おうとしていた。
だが、アルスはそんなゼアンを手で止めた。
「ゼアン、多分魔法はまともに効かないと思うよ」
「え?」
「だからちょっと試す」
アルスは床を蹴った。青い髪が一瞬、その場に置いて行かれた。
そのまま一直線にアルスは化物へと近づき、右拳を化物の胴体上部へと叩き込んだ。
アルスの拳が化物の肉体にめり込んだ。
化物は右腕を振り上げたが、ゼアンの風魔法がその腕を退けた。
アルスの左拳が化物の脇腹を捉えた。
骨を砕く感触。
化物の体勢が大きく崩れた。アルスはそこへ蹴りを叩き込んだ。
化物の胴体上部が深く抉られた。
血潮が舞った。化物はアルスから距離を取るように跳んだ。
そのまま化物はアルスを警戒しつつ、自ら動こうとしていなかった。
ゼアンがアルスに駆け寄ってきた。
「アルスさん、今のって⋯⋯!」
「うん。魔法への耐性が高いだけ。素はそんなに硬くないね。だから殴れば倒せる」
アルスはファイティングポーズを取った。
「殴れば、って⋯⋯魔法使いみんな格闘できるって思わないでよ。レテ先生とかライさんじゃないんだから」
ゼアンは杖を構えた。
「だから、私はできることをするまでよ。魔法無効化ってわけでもないし。化物の攻撃は全部防ぐから、好きに動いていいよ」
「わかった。サポートお願い、ゼアン」
再び、アルスは床を蹴った。
アルスの右足が化物の胴体を突いた。化物は体を引いていて、すぐさまアルスに鉤爪を薙ぎ払った。
だが、鉤爪が捉えたのは空。白い魔法陣が瞬き、アルスと化物の位置が入れ替わっていた。ゼアンの杖の先から魔法陣が消えた。
アルスは右足を振り回して回転をつけ、裏拳を化物の胴体上部に叩き込んだ。続いて膝蹴りを叩き込んだ。
化物は鉤爪を突き刺すも、アルスは身を捻り躱した。
同時、アルスは化物の腕を掴んで引くようにし、斜め上へと投げ飛ばした。そこへゼアンの追い風が吹き、化物は勢い良く天井に叩きつけられた。
化物が床へと落ちた。アルスがそこへ踵を落とした。
化物の胴体が抉れた。アルスはさらに拳を叩き込んだ。何度も、何度も。
アルスの拳から返り血が滴った頃、どこまでも続くようだった空間が崩れ、元の廃屋敷へと戻った。
「⋯⋯死んだ」
それを証明するように、化物はピクリとも動かなくなっていた。
これで空間異常も解けているはずだ。ゼアンはすぐに窓を、内から貼られている木板ごと風の刃で斬った。
真っ赤な光がアルスたちを照らした。
「夕焼け⋯⋯まだ昼頃だと思ってたのだけれど」
ゼアンと同じく、アルスの体感でも、廃屋敷で彷徨っていたのは精々三時間ほどだった。
「そのへんは後で考えよう。エイリフを起こして、補助監督さんに報告しに行こう」
「そうね。朝から夕方まで待たせてるし」
ゼアンはエイリフを叩き起こした。
「いつまで寝てるの、エイリフ」
「う、うう⋯⋯。はっ!? ぜ、ゼアン? ⋯⋯っ、魔獣は⋯⋯!?」
「魔獣⋯⋯あの化物ならとっくにアルスさんと私で倒したわよ。全く、手間かけさせてくれたわね」
「二人で⋯⋯? ⋯⋯ごめん。不甲斐なかった」
「⋯⋯はあ。まあ、いいわ」
ゼアンはエイリフに手を伸ばした。
エイリフがその手を握ると、ゼアンは彼を引き起こした。
「よし、じゃあ行こうか」
アルスたちは廃屋敷の玄関へ向かった。通路の先が陰って、突き当りが見えないなんてことはなかったし、玄関への道程がループしていることもなかった。
普通に歩いて、普通に到着して、普通に玄関から出られた。
「ふー、やっと終わったわ。ねぇ、帰りに甘いもの買って帰らない? 食べたい気分なの。勿論、エイリフの奢りね」
廃屋敷から補助監督──朝、アルスたちをここへ送ってくれたスーツの男──の所まで歩いているとき、ゼアンはそう言った。
「確かにオレは寝てただけだけどさぁ⋯⋯でもオレだって、一人で頑張ってあの魔獣のとこまで行ったんだぜ?」
「負けてちゃ世話ないでしょ」
「魔法がまるで効かなかったんだよ。っていうか、二人こそどうやって魔獣を倒したんだ?」
「アルスさんの拳」「殴って倒したよ」
ゼアンとアルスの回答が重なった。それを聞いたエイリフの表情が一瞬だけ止まった。
「殴り、倒した?」
「そうだよ? ゼアンも言ってたけど、これが普通じゃないの? ライとかレテとかならこれくらいできるだろうし⋯⋯」
アルスは首を傾げていた。そしてゼアンは両手を広げ、乾いた笑みを浮かべながら首を振っていた。
「⋯⋯アルスさん、あの二人を基準にしたら駄目ですからね」
エイリフのため息混じりの言葉で、ようやく、アルスは理解した。
「ん、わかった」
やはり、あの二人は何かおかしいのだ、と。




