第30話 お手本
エイリフは購買で焼きそばパンを買っていた。
彼の好物であり、いつもならすぐに平らげてしまう。
けれど、今日は違った。
「⋯⋯ライ・ストラーフ」
焼きそばパンを片手に持ったまま、エイリフはそう呟いた。
「どうしたの? エイリフくん」
そんな彼に、ハルは後ろから話しかけた。
「え? いや。なんでもない」
エイリフはハルの方を振り返った。それから笑って、焼きそばパンを口に入れた。
「ほんとう? ちょっと、動揺しているみたいだけれど」
そのとき、エイリフは咳き込んだ。ペットボトルの水を一気に飲んだ。
「ふう⋯⋯。⋯⋯はは。やっぱハルにはお見通しか」
「うん。エイリフくんの魔力⋯⋯乱れてる」
ハルはエイリフの顔を──いや、また別の何かを見ていた。
「⋯⋯いや、本当になんでもないんだけどな。⋯⋯ただ、ちょっと⋯⋯」
エイリフは目を細めた。拳を握って、それを少しだけ眺めた。
「あのライ・ストラーフって人が、気になったんだ。あの人、絶対ただ者じゃない、って」
「どういうこと? たしかにあの人、魔力の流れがやけに見えづらかったけど⋯⋯」
「それもある。けどそれ以上に、ただ歩く、座るみたいな動きだけでも、身のこなしに無駄がない。正直、一級魔法使いでも上澄みだ。オルトさんと一緒の感じがする」
「オルトさんって、エイリフの上司の人? 一級魔法使い最強とか言われてる」
「そう。その人」
エイリフは水を一口飲む。
「それほどの魔法使いなら、多少は名が広まるはずだけど聞いたことがない。それに、アルス様の護衛を、実力はともかく無名の魔法使いに任せる? 普通」
エイリフは顎に手を当て考え込んだ。
「うーん、でもレテ先生とか、アールレ学長が何も言ってないんだし、そこまで心配しなくてもいいんじゃないかな」
「まー、それもそうか⋯⋯」
それ以上ライの話は出ず、あとは他愛もない雑談を続いた。
◆◆◆
チャイムが鳴ったと同時に、レテが教室の扉を開いた。
彼女は教壇に立ち、口を開いた。
「はい。午後の授業はね、近接戦闘だよ」
レテはなんてことないように、そう言った。
しかし生徒たちは顔を歪ませていた。
「え、どうしたのみんな」
アルスは首を傾げて、ゼアンらを見た。
「レテ先生が唯一、教えるの下手な授業なの」
ゼアンは眉をひそめながらそう言った。他の生徒たちも、頷いていた。
「ちゃんと手本見せてるじゃん。動き方とか」
「魔力強化のレベルが違いすぎて、参考にならないの。あと先生、なに言ってるかわからないときあるし」
「えー、アドバイスちゃんとしてるつもりなんだけどなぁ⋯⋯」
レテは口を窄めつつ答えた。
しかしすぐ気を取り直したようで、彼女の表情が戻った。
「ま、でも今日は違うよ。そこにいるからね、生徒兼臨時講師が」
レテはライの方に視線を向けた。
「⋯⋯だと思った。とは言っても、教えるのはそこまで得意じゃないぞ。俺も感覚派だったし」
「いーの。それじゃあ外行こうか」
アルスたちはそのまま、運動場に向かった。
『第二運動場』。今朝、アルスとライがテストを受けた場所とはまた違う場所だった。
他の生徒たちから離れたところにアルスたちは立っていた。
レテとライは、さらにそこから十分に距離を取っていた。
「さぁて、おさらいといこうか。エイリフ、魔法使いにとって近接戦はどうでもいいものだったっけ?」
「無詠唱でも魔法の発動には時間がかかるため、近接能力は魔法使いにとって重要、です」
「そうそう、その通り。魔法使い、特に三級以上なら、近接戦は最低限できないと死ぬからね」
レテは白黒の細剣を取り出した。
「で、一番手っ取り早いのは剣術。格闘術や他の武器術でもいいんだけど、扱いやすさとかを考えるとこれがオーソドックス。私もそうだし」
レテは剣を左手で握ったまま、ライの方に振り返った。
「はいじゃあ、実践といこうか。言葉で説明するより、まずは見たほうが早い。⋯⋯上位の魔法使い同士の、近接戦ってやつをね」
アルスは思わず息を呑んだ。
レテの魔力は、ライのそれより遥かに大きく感じられた。
だが、今のレテから感じられる威圧感は、王都襲撃事件時のライよりも弱かった。
それでも、冷や汗が流れた。
「⋯⋯なるほどな」
ライは僅かに笑みを浮かべながら、黒い剣を右手に創り出した。
「魔法は?」
「アリにしたいけど、そしたらここら一帯消し飛ぶからね。魔力強化だけ」
「了解。⋯⋯手加減はしないぞ?」
「無論」
──瞬間、ライが動いた。
地面の砂が巻き上がった。アルスがそれを認識したときには、すでに火花が散っていた。
白黒の細剣と、黒い剣が鍔迫り合っていた。
「はっ! 思ってた以上だね!」
レテが左足を前へ蹴りだした。ライは身を捻って躱し、そのまま剣を薙ぎ払った。
しかし黒い剣が捉えたのは空。レテは身を低くし、ライの懐から剣を突き上げた。
ライは身を引き、躱した。
レテは後ろに跳んで距離を取った。
「あはは、死ぬかと思った」
「ちょっと首斬られたくらいで死なないだろ、互いに」
「それもそうだね。あ、そうだ。敗北条件とか決めとく?」
「授業だろこれ。そこまでやるのか? ⋯⋯まあ、一太刀でも当たるか、寸止めでも負けで」
「ん」
会話が終わると同時に、ライが地面を踏み込んだ。
黒い剣閃が立て続けにレテに迫った。彼女はそれら全てを後退しつつもいなしていた。
「凶暴な剣筋だねぇ!」
ライの刺突を、レテが剣身で外へ流した。勢いを逸らされ、ライの身体が前へ倒れそうになった。
レテはすかさず身体を回転させ、膝蹴りを叩き込もうとした。
しかし、ライはむしろレテの脇を抜けるように前へ跳び、蹴りの軌道から外れた。
「なあもしかしてだけど、一太刀には殴打とかも含まれるのか」
「私の蹴りが剣より弱いとお思い?」
「はは。まさか。脇腹えぐれるかと思ったな!」
今度はレテから仕掛けた。
刺突の連撃。空を斬る音がした。ライは剣で逸しつつ、避けた。
ラッシュを凌ぎ、ライは剣を薙ぎ払った。だがレテが視界から消えた。
背後。ライは身を大きく捻り、刺突を躱した。
強烈な音が鳴り、軽い風圧が生じた。
「────」
ライは捻った身体をそのまま回転させ、その勢いで左の裏拳を放った。
レテは右腕でそれを受け止めたものの、体勢が崩れた。
「っ⋯⋯」
ライは黒い剣を振り下ろした。
その剣身は、レテの眼前で止まった。
「⋯⋯チェックメイト、だな?」
「⋯⋯はは。そうだね」
ライは剣を消滅させ、レテは剣を空間に戻した。
「レテ先生が負けた⋯⋯?」
ゼアンは目を見開きながら言った。
周りを見れば、他の生徒たちが集まっていた。
思っていたより、注目を集めていたらしい。
「はー、負ける気なかったんだけどね」
レテは肩を落としていた。そのわりには、声のトーンは少し高くなっていた。
「得意で負けていたら俺の立つ瀬がないな」
ライは少し笑みを浮かべながら言った。
レテも微笑んだ。そしてすぐに生徒たちの方へ向いた。
「⋯⋯今のが上位の魔法使いに大切な近接戦闘だよ。さて、実際にやってみよっか」
レテは、あの白黒の剣とは違う、普通の鉄剣を魔法で創り出した。
だが、生徒たちはみな、表情を歪ませていた。
「──できないわよ!?」
そんな彼らを代弁するように、ゼアンはそう叫んだ。




