第22話 もう一度
──頭の中が白に満ちた。
──そして、黒い水底へと落ちた。
「⋯⋯っ」
アルスは勢いよく起き上がった。
周囲を見渡した。薄暗い、華美な部屋。アルスは大きなベッドの上に眠っていた。
「⋯⋯⋯⋯」
アルスの手は勝手に目元へ触れていた。
そこにある布感触を確かめた。心臓の鼓動が治まっていくのを感じた。
それから、アルスはベッドから立ち上がった。
「どこ⋯⋯」
アルスは掃き出し窓のカーテンを開いた。
眼下に、街並みが広がっていた。空は夕焼けに染まっていた。
「王都⋯⋯。いや⋯⋯」
街並みは綺麗だった。
でも、アルスの脳裏には血臭と、死の光景が張り付いていた。
そんなときだ。
部屋の扉の向こうから、足音が聞こえた。
アルスは振り返った。
それから扉が開いた。そこにはティアが立っていた。彼女はトレイを持っていた。水の入ったコップと、湯気の立つスープが載っていた。
「アルス様⋯⋯!」
ティアはベッドの近くにあったテーブルにトレイを置き、アルスのもとに駆け寄った。
「なにか体に異常はありませんか? 痛いところとか⋯⋯」
「な、ないよ⋯⋯。⋯⋯ティア、なにがあったの?」
ティアの耳が力なく倒れた。
アルスは、そのままベッドに戻って腰を掛けた。ティアはアルスの隣に座った。
「⋯⋯順番に話しますね」
ティアはアルスに、事の顛末を話し始めた。
アルスが別人のようになったこと。テスタを殺したこと。ライと、シエラという魔法使いに、アルスは鎮圧されたこと。
王都北部はあのあと、奪還されたこと。
しかし、大勢の死傷者が出てしまったこと。
それから、三日が経過したこと。
アルスはその話を聞いて、何も言えなかった。
人を救えなかった。
そして、自分が暴走したという事実が、アルスにのしかかった。
「⋯⋯私のせいで、死んだ人は⋯⋯」
「いません。嘘じゃありません。本当の事です」
ティアは淀みなく答えた。
その答えを、アルスは疑う余地もなかった。
けれど。
「⋯⋯たまたま、だったかもしれない」
アルスは全部を忘れたわけではなかった。
断片的に残っていた記憶が、ティアの話を聞くことで、少しだけ蘇ってしまった。
「⋯⋯ごめんね」
アルスはそれだけ言った。
これ以上なにかを話すことはなくなった。
アルスは、話題を変えることにした。
そうだ、このスープはなんだろう?
そう尋ねようとしたとき、部屋の中央に白い魔法陣が展開された。
「────!」
アルスは咄嗟にティアの前に出た。
瞬間、白い魔法陣の上に人が現れた。
真っ白な、背丈ほどもある長い髪。
黒い服装に身を包んだ少女。
そして、赤と青の特徴的なオッドアイ。
「⋯⋯⋯⋯」
アルスは白い少女から警戒を緩めなかった。
あのテスタという使徒のものとは異質だが──それを超える魔力を感じ取ったからだ。
「⋯⋯アルスさん」
白い少女は少しだけ目を細めて、一瞬だけ目を閉じた。
「ティア、久しぶり」
白い少女は、ティアにそう話しかけた。
「⋯⋯知り合い?」
「はい。⋯⋯だから、大丈夫です」
アルスはようやく警戒を解いた。
「えっと⋯⋯」
アルスは口ごもった。一気に気まずさを感じ始めた。
「レテ。レテ・アインヴァイス」
白い少女──レテは、おもむろに体を空中に預けた。そこに椅子があるかのように、足を組んで座った。
「⋯⋯本当に忘れているんだね、アルスさん」
「⋯⋯そうみたい」
空気が重い。とりあえずアルスもベッドに腰をかけ直した。
ただ、言葉が続かなかった。何を話してよいのか、わからなかった。
「あの、レテちゃん。アルス様に会いに来ただけなの?」
そんな空気をなんとか断ち切ろうとしたのはティアだった。
「それもあるね。ただ本題は違う。⋯⋯アルスさん、暴れたんだってね」
「⋯⋯レテちゃん、まさか」
ティアの声がわずかに低くなった。
「そう構えないでよ、ティア。そんなつもりないよ」
「⋯⋯まあ、ですね」
レテは空中に手を入れた。アルスには、彼女の腕が突然消えたように見えた。
レテは、そこから一枚の用紙を取り出した。
「アルスさんとシエラ、あと⋯⋯ライっていう二級魔法使いについての戦闘報告書。⋯⋯これによれば、アルスさんはこのとき、幼児のような言葉遣いで、赤色の水を操っていたみたいだね」
レテは報告書を眺めながら、言葉を続けた。
「この前のアルスさんの水魔法は、ただの水だった。既存の水魔法を使っていたのに、突然、赤色の水魔法を使い始めた。それも格段に強力になって。間違いない?」
ティアとアルスは無言で頷いた。
「そう。⋯⋯赤色の水魔法って、ないことはないけど十中八九、独自魔法⋯⋯いや、今は関係ないね」
レテは報告書を空中に戻した。
「まあとにかく、私の予想はこうだ。⋯⋯アルスさんはおそらく、このとき、魔法に呑まれていた」
「魔法に呑まれていた⋯⋯ってのは、魔蝕?」
ティアが答えた。
だがレテは首を横に振った。
「魔蝕まではいかないけどまあ似たようなものだね。見習い魔法使いに稀にあるアレだよ。自分の力と感情を制御しきれずに、魔法の力を暴走させてしまうってやつ。普通なら魔力が消し飛ぶんだけど、アルスさんだからね。続いてしまった」
先ほどから専門用語がいくつか飛び交っていたが、アルスにも自分に起きたことはおおよそわかった。
魔法に自分の精神と肉体を呑まれてしまった、ということだ。
「⋯⋯じゃあ、レテちゃんがここに来たのは」
ティアはレテの顔を見ていた。
「そう。⋯⋯アルスさんがまた暴走なんてしないように、私の下で魔法のお勉強をしてもらおうかなって。記憶喪ってるし、ちょうどいいでしょ? 知らないことが多いだろうし」
レテは笑顔を浮かべながら言った。
「⋯⋯ごめん。ありがとう。⋯⋯レテ、さん?」
「レテでいいよ、アルスさん」
「わかった。レテ。これからよろしくね」
「こちらこそ。もう一度、よろしく」




