第19話 あかいみず
一瞬だけ、テスタの眉が動いた。しかし、すぐにライの背中に鉤爪を突き立てた。
鉤爪は脊髄を貫通した。
そのまま、テスタはライの身体を振り回し、体育館の壁に投げつけた。
ライは壁に叩きつけられ、動かなくなった。
「⋯⋯邪魔が入りましたね」
だが、これで障害はなくなった。
「あの男が身を挺して庇ってくるのは想定外でしたが⋯⋯感謝しますよ。ですから、わたくしはあなたを殺しません」
テスタは、男に背を向けた。
「⋯⋯まあもっとも、わたくしは、ですが」
大量の使徒が総合体育館になだれ込んだ。
この状況下で、あのライという男はどんな手段を取ったのか。
テスタには少しだけ興味があったが、もはやどうでもよかった。
「さて」
テスタの声はわずかに浮かれていた。
テスタはアルスの方に目をやった。
──しかし、そこにアルスの姿はなかった。
「──え?」
刹那、なだれ込んできた使徒たちが、次々と破裂した。
「⋯⋯は?」
肉塊となった使徒たちの周囲へ、あかいみずが飛び散った。
立っている使徒は一体もいなかった。
そして、それをやったのは、
「し、と。すくわ⋯⋯なきゃ」
黒い目隠しをした、淡い青髪の王だった。
「⋯⋯アルス・ヴィルミア様」
「なぁに?」
声色も、言葉遣いも。先ほどとはまるで変わっていた。
「貴女は⋯⋯何を」
「すくうの。ひとを。そして⋯⋯きみを」
──何か大きな衝撃を受けた。
テスタに認識できたのはそれだけだった。
気がつけば、テスタは真っ暗な空を見ていた。
王都の大通りの中央で、仰向けになっていた。
全身の骨が砕けていた。耳鳴りがずっと響いていた。視界が揺らいでいた。
「⋯⋯っう」
それでも使徒の再生力が働いた。
砕けた骨が繋がり、耳鳴りが止んで、視界の揺れが収まった。
アルスは、少し離れた大通りの中央で佇んでいた。
テスタは即座に構えた。
「⋯⋯なんですか、アレは」
あかいろの水玉が、アルスの周りに浮かんでいた。
アルスの魔力の圧が跳ね上がっていた。
「⋯⋯魔法?」
次の瞬間、水玉から光線のように、あかいみずが放たれた。
テスタの眉間が穿かれた。
直後、眉間の穴が塞がるより早く、水の光線が振り上げられた。
テスタは魔力感知を捨てて、勘だけで横に跳んだ。
背後の建物が崩れる音がした。
単純な魔法。単純な軌道。
ただ、恐ろしく速く、魔力の起こりが乱れていた。
発射のタイミングが読めなかった。
「っ!?」
あかいみずの弾丸が撃たれた。
テスタは血を広げ、受け止めようとした。だが、血の防壁ごと胸部が弾けた。
勘で避けるしかない水の光線。
身体ごと防御を吹き飛ばす水の弾丸。
テスタは胸の傷を再生させながら、喉の奥で笑った。
「くくっ⋯⋯」
恐怖はなかった。
いやむしろ、歓喜がこみ上げていた。
「──素晴らしいっ!」
アルスの水の魔法は分かりやすく遠距離型だ。
ならば、と。テスタは一息でアルスの間合いに踏み込んだ。
血を纏わせた鉤爪を振るった。アルスは身をひねり、避けた。しかしアルスの右腕に爪が掠った。
それだけでいい。
彼は追撃を仕掛けた。
アルスは右腕をテスタに伸ばそうとした。掴もうとしていた。
だが、瞬間、アルスの肘から先の右腕が溶け落ちた。
「⋯⋯⋯⋯」
テスタの鉤爪がアルスの首を捉えた。
その寸前、あかいみずの塊がアルスの首元に凝縮した。鉤爪が完全に止められた。
アルスの左手がテスタの腕を掴み、軽々と投げ飛ばした。
テスタは家屋に背中から突っ込んだ。そこへ、あかいみずの弾丸が飛んできた。
テスタは血の移動で空中に逃れ、水の弾丸を躱した。
「そこ」
二発の水の光線が、実体化直後のテスタを穿いた。
テスタの眉間と心臓が破壊された。
刹那、テスタの体の動きが鈍った。
その隙に、いくつものあかいみず玉がテスタを取り囲んだ。
「────」
水玉が破裂した。
テスタの全身が引き裂かれ、いくつもの肉塊となって石畳の上にぐちゃりと落ちた。
だが、肉塊は蠢き、瞬く間に人の形をつくった。
「また?」
アルスの溶け落ちた右腕が生えた。
そしてアルスの周りに、まっかな魔法陣がいくつも展開された。
ああどうやら、あかいみずは魔法らしい。
テスタは乾いた笑みを浮かべ、構えた。
直後、あかい魔法陣から水の弾丸が何発も撃たれた。
テスタは血の移動を連続行使した。水の弾丸の間を縫って、アルスの眼前で実体化した。
鉤爪を振るうより先に、アルスは手を伸ばした。
その指が、テスタの首を握り潰した。
「かはっ──!?」
そのままテスタは地面に叩きつけられた。
その地面に、まっかな魔法陣が展開された。
あかいみずの針が、地面からいくつも突き上げた。
テスタの身体にいくつもの風穴が開き、引き裂かれた。
「ん?」
アルスは後ろに跳んだ。
血の槍が、彼女が居たところに突き刺さった。
テスタは、また、肉体を再生させた。しかし、その再生は遅くなっていた。
「⋯⋯ふふ。なんと、いう⋯⋯」
アルスのあかいみずに再生阻害はない。
テスタは肩で息をしていた。
もう、全身を再生させられる体力はなくなった。
「⋯⋯⋯⋯ぐふ」
テスタは口を手で抑えたが、血反吐が垂れた。
人の形には戻った。
だが、それは見た目だけだった。
内臓はぼろぼろで、再生しきっていなかった。
心臓の鼓動が速くなり、脚が震えていた。
「⋯⋯はあ」
尻尾を巻いて逃げるべき。
テスタの理性はそう訴えていた。
それでも彼は、退けなかった。
「──それが貴女であるというのなら、どうしてわたくしが相対せずにいられましょう」
最上位使徒としての矜持。
何より、敬愛する王を前にして、背を向けることなどできなかった。
逃げられないのではない。
逃げたくなかった。
──血が、疼く。
テスタは手を突き出した。
その先に、血が集まる。血の塊は跳ねて、広がり、そして、槍の形を取った。
テスタは血の槍を掴み、跳び上がり、構えた。
「わたくしの総てを、貴女にぶつけましょう!」
テスタが今ここで出せる全力の攻撃。
テスタは血の槍を投げる──。
「あはは」
テスタの周囲には、すでにあかい魔法陣を展開されていた。
──遅すぎた。
あかいみずの光線が、テスタの手首を切り裂いた。
血の槍が、切断された手首ごと落ちた。
そしてあかい魔法陣がテスタを囲んだ。
水の弾丸が、その全身を木端微塵に弾き飛ばした。
「もう、だいじょうぶだよ」
テスタが着ていた白いシャツが、あかいみずたまりの中に沈んだ。
アルスはそれを見届けた。
「⋯⋯あ。まだ」
別の血の臭いがした。
アルスは振り返った。
「いる」
その足元が、あかく濡れ始めた。




