第14話 偽
「上位使徒。その危険度の高さから、二級魔法使いは単独での交戦を禁じられている」
ライは淡々と、連盟が定める基準を思い出すかのように言った。
「それは敵わないって意味じゃない。だから君は自信満々なんだね」
実力が拮抗しているからこそ、魔法使いの生還も周囲の安全も保証できない。
ゆえに、禁じられている。
「でも残念。私と君じゃあ、相性最悪だよぉ?」
「移動系の血冠だから、か?」
ライは乾いた声で言った。
女がずっと絶やさなかった薄ら笑みが、初めて途切れた。
女は血を纏い、転移と見紛う速度で移動することがあった。それで何度も、ライは彼女を殺し切れるタイミングを失っていた。
「剣を使う俺に対して、即座に距離を取れるお前の血冠は有利⋯⋯」
それを言い当てるのは戦闘に慣れていれば誰にだってできる。
女の笑みを消したのは、そんなライの見立てではない。
「⋯⋯なに、その態度。ムカつくんだけど」
女の声が重く響いた。
ライは剣を持ったまま、やれやれとでもいうように肩を竦めて両腕を広げていた。そして苦笑いしていた。
苦笑いしていたのだ。この状況下で、だ。
女の顔は歪む。けれどそこに余裕なんてなかった。
「はは。女の子がそんな顔しちゃ、モテないぞ? もっと楽しそうな顔をしなくちゃな」
ライは笑顔を浮かべた──とびっきり、捻くれたものを。
「殺す」
「結構。始めようか」
女は石畳を蹴り砕き、一直線にライに迫った。そして鉤爪を振り下ろす。
金属音が響き、火花が散った。受け止められたときの衝撃はなく、鉤爪越しに、刃の上を滑らされた感触が伝わった。
ライが蹴りを出そうとしていた。女は間合いから身を引いた。
「がっ⋯⋯!?」
しかし、女の脇腹に激痛が走った。
どうして蹴りを食らった? まさか、リーチを見誤ったというのか? まるで急に足が伸びたようだ。
何か違和感を覚えた女は血の移動で距離を取ろうとした。
いつもなら瞬く間に過ぎ去る景色が、やけに長く感じた。
死という恐怖の前に見る、走馬灯のように。
「──ッ!?」
黒い刃が迫りくる。
意識はそれをはっきり捉えることができた。なのに、身体の動きは酷く緩慢だった。全身がこわばっていた。蛇に睨まれた蛙のように。
女は首に凝固血液を回し、魔力で防御する。それだけしかできなかった。
「はっ──」
激痛。内側から棘に刺されるみたいな痛みが喉元を走った。
そこでようやく、血の移動が完了した。
「────」
女の喉から漏れるのは空気が擦れる音だけ。文字通り、声になっていなかった。
喉を再生させようとするが遅い。治癒妨害か。ライがいつ魔法を使ったのか、女には分からなかった。いや、使ったと悟らせないよう、魔力を隠していた。
女は距離を取ったまま、ライを見た。
魔力量、分からない。魔力の起こり、分からない。身体能力、分からない。膂力、分からない。
ああ、何も分からない。けれど、先ほどとはまるで違う。じゃあ、何が?
「⋯⋯なあ、あんたたちはなぜこんなことをするんだ?」
ライは、何気ない質問でもするみたいに女に問いかけた。だが女は、尋問されていると感じた。
「関係ない人たちを殺し、食らう」
ライはゆっくりと女に歩み寄った。
動きに何か特別な技術があるわけではなかった。ただただ、彼は歩いていた。
なのに、女はそれが酷く恐ろしかった。
「お前たちをそこまでさせるのは、一体なんだ? 本能なのか? 人を食らうのは、人を殺すのは、人間がただ食事を摂り、眠るのと一緒なのか?」
ライは女の前で、立ち止まった。
「なあ、答えてくれよ。使徒だろ、お前は」
「⋯⋯は。災害にそんなこと聞くなんて。君は自然崇拝者に見えないけど。人は見かけによらないなぁ?」
ライは黒い剣を振り下ろす。
その一閃はあまりにも静かだったが、女は轟音を幻聴した。
しかし、女は避けた。
ライの剣撃のスピードは特別に速いわけではなかった。上位使徒である女を圧倒するほどではなかった。
ただ、絡繰があった。女が目で測った距離と、実際の距離が噛み合っていなかった。
「なるほど⋯⋯認識阻害と⋯⋯恐怖心⋯⋯」
ライは、女から見て右から斜めに剣を振り下ろそうとしていた。
女は再び血の移動で左へ大きく抜けた。
目測より、余分に大きく間合いを取った。
そして、今度は動作が遅く感じることはなかった。
「弱っちい〈恐怖霊気〉ね!」
仕切り直しだ。恐怖心を薄めれば、勝算は十分にあるはずなのだから。
「⋯⋯へぇ」
ライは黒い剣を逆手に持つ。何をするのかと女が思った瞬間、彼はそれを投げた。
女は剣を避けた。だが、それを追うようにライも迫っていた。
一筋の黒い軌道が走った。ライは即座にもう一本の黒い剣を造り、女へ横薙ぎに振るった。
女は二撃目を避けたことで、体勢を大きく崩した。
追撃から逃れるため、女は血の移動で屋根の上に逃れ、それから反対側へ身を落とした。
「⋯⋯⋯⋯」
ライは、女が建物の両脇から出ることを予測しているはずだ。どちらから出ても対応されるだろう。
上から奇襲を仕掛けるのは、動作が一歩遅れるから考えるまでもない。
ならば選択は一つ。
「──ッ」
建物をブチ抜くのみ。
女は素手で壁を砕き、一直線にライに飛び込んだ。鉤爪を振りかぶった。
ライは黒い剣を振りかぶり、女を迎え撃とうとしていた。
だがそれさえも女のごまかし。
剣は、女から見て右側に引かれていた。
利き手で剣を扱い、もう片方の手で魔法を使うのが、得物を持つ魔法使いのセオリー。たとえ反応できても、魔法の発動速度では女の血の移動を捉えることはできない。
女は左へ抜け、ライの背後を取ることに決めた。
「────」
女が血に包まれた瞬間、ライは左腕を振るった。何も握られていなかった左手に、一瞬だけ黒い剣が生まれた。
血の移動は黒い剣によって途切れた。いや、止められた。女はライの右斜め後ろで姿を現した。
女は胸に走った赤い線を見下ろし、指でなぞった。
こんなことは今までになかった。
「利き手じゃないほうでも剣くらい振れる」
ライは女の前ではずっと、右手だけで剣を握っていた。
「お前の血冠は直線的な動きしかできないんだろ?」
ライは女の血の移動──高速移動を見切ったわけではなかった。
「⋯⋯ああ、それとも速すぎて制御しきれない、とかか?」
ライは移動導線を絞り、その線上に剣を振っただけだ。
「⋯⋯⋯⋯」
傷の再生に、女はさらに体力を削られた。
「まあどうでもいいか。聞きたいことにも答えてくれなかったし⋯⋯」
「⋯⋯人間が。私を舐めるなよ」
女の声は重かった。
「使徒風情が」
対して、ライは軽く答えた。
瞬間、彼の姿が消えた。
──次の攻撃が、来る。




