第12話 まだ
アルスは大通りを歩いていた。コツコツという足音の間隔は短かった。
ライは建物の陰を伝っていた。
アルスは魔力反応で彼の位置が分かるが、その姿は一切見えなかった。
ライが反応を見せているのも、アルスに対してだけだった。
「⋯⋯⋯⋯」
アルスは背後から殺気を感じ取った。
使徒だ。鉤爪を振るおうとしていた。
だからアルスは体を少しだけひねり、鉤爪を避けた。
鉤爪を空振りして体勢を崩した使徒の目前に、赤い魔法陣が展開されていた。
激流が迸って、使徒は空中へと打ち上げられた。その四肢はもう、砕かれていた。
でも、死んじゃいない。
アルスは使徒に手を翳した。手の平に同じ赤い魔法陣を展開し、水の弾丸を放った。
水の弾丸は使徒の頭を穿ち、微塵にした。使徒の首から下は、糸が切れたマリオネットみたいに石畳の上に落ちた。
この一連の中で、ライの魔力反応は、少しも動かなかった。
「⋯⋯次」
アルスは、また歩き始めた。
〈恐怖霊気〉の広げ方を変えた。範囲、出力はそのまま。性質を、触れるものから突き刺すものへ変えた。
枝分かれした圧をさらに細く、尖らせるのだ。
触れたものへ、より鋭く圧を伝えるために。
そのとき、ライの魔力反応が一瞬、揺らいだ気がした。
ああ、どうやら方向性は間違っていないらしい。でも、謝らないと。
「来た」
いや、ライへの謝罪文を考えるのは後回しだ。
大量の死の気配がした。それも、一段と濃いものが混じっている。
アルスは息を吐いた。
大通りの両脇から、複数の使徒たちが飛び出してきた。
アルスの白いワンピースの裾が、一瞬だけ揺らいだ。
そして、赤い魔法陣がアルスの足元に展開された。
水を薄い刃状に圧縮する。そうすれば、もっと速くできるはずだ。
周囲に人の気配はない。
水の斬撃が四方八方にいくつも飛ぶ。
直後、大通りに赤色の雨が降った。バラバラの肉塊がいくつも転がっていた。
そんな赤色の雨の中にいるものだから、アルスの白い服と頬は赤く汚れた。
アルスはそれに気がついた。けれど、どうも思わなかった。
「⋯⋯黒い目隠しに、淡い水色の長髪──」
殺し損ねた奴が一体いる。化物の亡骸を微塵も気にせず、そいつはアルスだけを見ていた。
アルスはその使徒の頭上にいくつかの魔法陣を展開した。
轟音が響く。水が石畳を抉り、泥混じりの水が飛散した。
次の瞬間、アルスの目の前まで、体がずたずたに引き裂かれたままの使徒が迫っていた。人間ならとっくに死んでいる傷だった。だが、動きは速かった。
それでも、アルスは使徒の動きが視えていた。頭の中で魔法を組み立て、放とうとしていた。
だがその前に、使徒の体が勢いよく真横に飛び、建物に叩きつけられた。
ライが使徒を蹴りつけたのだ。やはり、彼の動きは速かった。
「────」
使徒の全身の傷から血が溢れた。それはすぐさま針のような形状を作り、アルスとライを突き刺すべく伸びた。
ライの姿が消えた。いや、アルスは見えなかったのだ。それでも行く先は分かったから、アルスは使徒の方に目線をやった。
アルスは、眼前でようやく止まった血の針に少しも怯えなかった。
「お前、目的はなんだ? なぜアイツが分かった?」
ライは使徒の首に黒い剣を当て、少しだけ斬りつけていた。
「それで脅しているつもりか?」
「断頭すれば鈍るだろ」
使徒は口を閉ざした。
アルスは魔法陣を展開し、いつでも使徒を殺せるようにした。
使徒たちの目的なんて分かりきっている。確かめる必要はないが、ライはそんな無駄なことをする男には思えなかった。
だから、アルスは邪魔だけはしなかった。
「⋯⋯だとしても、答えると思ってるのか?」
「中途半端な生命力で苦痛を味わいたいのならそうしろ」
使徒は片方の口角を、歪に持ち上げた。
「⋯⋯そこの女を見つけろと言われた」
「⋯⋯見つけろ、か。じゃあなんで、最初は殺しに掛かった?」
「大雑把な外見しか伝えられていなかったからだ。それに、俺たちには、とにかく人を殺せ、としか言われていなかった。そこの女を見つけるのは、ついででいい、と」
「⋯⋯はぁ。そういうことか。もういい」
ライが黒い剣を振り上げた。
「あ、待て」
「ああ? 何だよ」
ライは呆れたような表情を浮かべていた。
「俺たちに命じた奴はイカれてる。死にたくないのならとっとと逃げるべきだぜ?」
使徒は嗤いながら答えた。
「忠告どーも。もう知ってるから関係ない」
「はは、そうか。⋯⋯じゃあ、あのイカレ野郎を殺してくれ。最期くらい、祈ってもいいだろ?」
「穢れた化物が何を言うんだか」
黒い剣が使徒の首を落とした。その体は動くことなく、力を失って、倒れた。首の切断面が再生しようと蠢くことはなかった。
アルスは魔法陣を解く。
「⋯⋯ねえ、ライ。なんですぐに殺さなかったの?」
「確認したかっただけだ。⋯⋯敵は杜撰だという認識は改めないとな。ロクデナシだ」
とにかく、使徒たちがアルスを狙っていることに変わりない。アルスにとっては、認識を改めるほどのことではなかった。
こんなことに時間を使っている余裕はない。
まだ、救えていない。まだ、殺さなくちゃいけない。
まだ、どこかで人が死んでいるのだから。
「⋯⋯っ」
頭が痛くなった。アルスは頭を抱える。
魔法の負荷だ。でも、気にしていられない。
アルスはまた、魔法を使おうとした。
「アルス、休め」
「⋯⋯ライ。ごめん、それはできない」
まだ、やらなくちゃ。まだ、引き寄せなくちゃ。まだ、まだ。まだまだまだまだまだまだ⋯⋯。
「〈恐怖──」
「──そこまでよ」
アルスを止める声がした。ライの声ではなかった。
近くの建物。その屋根の上。一つの人影が立っていた。
それは躊躇なく屋根から飛び降り、アルスの前に着地した。階段でも降りるように軽々と。
「はあ。聞いていた話と違うわ。眠ってたんじゃあないの? 君」
黒い長髪。赤と黒の薄着の女。整った容姿をしているが、こちらを嘲笑うかのような薄ら笑みを浮かべている。
気配が重かった。視線が外せなかった。一瞬でも気を緩めれば、死ぬ。そうだと確信できた。
──上位使徒。
アルスの脳裏にその言葉が浮かんだ。
「それがどうして、あんなに私の使徒を殺せたのかしらね。そっちの男? まあ、いいけど」
目の前の女を除き、近くに使徒の気配はなかった。
それとも、彼女のせいで気配が読めなくなっているのかもしれない。それだけ重く、大きい威圧を放っていた。
少なくとも、姿を見せている使徒は目の前の女一体だけだった。
それに、一つ分かっていることがあった。
多くの人を助けられる。
──この使徒を殺せば。




