第11話 当たり前
王都北部区域の中央。二本の大通りが交わる十字路。その真ん中に、アルスは立っていた。
「⋯⋯ふう」
至るところで火が立ち上っていた。建物がいくつも崩れていた。
耳を澄ませば悲鳴が聞こえる。感覚を研ぎ澄ませれば、今も誰かが足掻いているのが分かる。
戦う人々がいるのだろう。逃げ惑う人のほうが多いだろうか。
なんにせよ。
今も、人は死んでいる。
これからも、人が死んでゆく。
アルスがここにいるから。
だからこそ。
アルスはここにいなくちゃ、ならない。
「魔法、か」
人の死体への恐怖。化物への恐怖。そして⋯⋯自分が喪われることへの恐怖。
あれだけ抱いていた恐怖が、今や夢のように霧散していた。
今からやることにも、恐怖はなかった。
ティアには止められた。止められないなら、自分もついていくとまで言われた。
けれど、避難場所の結界を維持しながら人々を守ることができるのはティアだけだ。だから、彼女には残ってもらった。
──死なないでください、アルス様。
──死んだら意味ないからね。そんなつもりないよ。
ティアの耳が、少しだけ立っていたことをアルスは思い出した。
「なんでだろうね。こうして戦うのが当たり前だったみたい⋯⋯」
アルスは近くの建物の陰にいるライの気配を確かめた。
それからアルスは落ち着いた声で詠んだ。ライから教えてもらった魔法の名を。
「──〈恐怖霊気〉」
何も変化はなかった。
いや、そう見えただけだ。
冷たくない冷気が、アルスを中心に王都へ広がった。
細い血管が枝分かれするように、人々の間を縫いながら。
王都を覆う死臭も、纏わり付くような熱も、消えてはいなかった。
傍目には、何も変わっていないだろう。
けれど、もう同じ空気ではなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
魔法で圧を新たに生み出すわけではなかった。
アルスが元から放つことのできる圧を、ただ広げただけ。ただ触れやすいようにしただけ。
ただし、逃げ惑う人々に触れないように、圧の広がり方を調節した。
足音がした。数が多い。よほど、お気に召したらしい。
それは合図でもあった。
ここに、居ると。
決して無視できない挑発だった。
「⋯⋯⋯⋯」
間もなく、アルスを囲むように、七体の使徒たちが誘き寄せられた。
使徒たちはアルスを遠巻きに窺い、自ら仕掛けることはなかった。
戦略的に距離を取っているようには見えなかった。本能なのか。
しかも、散らばっている。
まとめたほうが楽そうだ。
「なら」
アルスは、あえて右手を上げた。魔法陣を展開した。
その動作を確認した使徒の一体が、血で作られた手を伸ばした。それはアルスの腕にまとわりつき、そして体も締め付けた。
魔法を封じた。拘束もできた。なら、アルスは大した魔法使いじゃない──そう思わせた。
だから、七体は一斉に間合いを詰めた。互いにひしめき、波のようにアルスへ押し寄せた。
そして、次の瞬間には、七つの生首が宙を舞っていた。
黒い軌跡が一瞬、アルスの視界に残った。
使徒たちの首が石畳の上を転がった。
アルスの目の前には、気づけばライが立っていた。
それから彼は黒い剣に付着した血を振り落とした。
「私ごと斬るかと思った」
「護衛対象ごと敵を断頭する奴がどこにいる」
アルスには、使徒たちの首を落とした黒い剣筋が一閃にしか見えなかった。けれど、実際は一振りではなかったのだろう。
異様なくらい速く、巧い。ただ、その速さを生んだのは魔法ではなさそうだった。黒い剣以外からは、魔力がまるで感じられなかったから。
「で、どうするんだ? まさかあんたの作戦がこれだけなわけないだろ?」
「その前に、聞きたいことあるんだけど、いい?」
ライは無言で続きを促すように頷いた。
「使徒たちは、私の命を狙っているんでしょ? なら、どうしてこんなのしか来ないの?」
アルスは使徒の死体を少しだけ見た。
弱い。何より統率が取れていない。いくら隙を見せたとはいえ、それだけで全員が何も考えず群がってくるとは思わなかった。
初めて遭遇したあの使徒に並ぶものはいなかった。
「さあな。だが使徒は化物でしかない。ほとんどは、まだ快楽殺人鬼の方がマシだ。目的と理性があるからな」
ほとんど失敗みたいなものだ。
使徒を集めることはできた。
しかし、〈恐怖霊気〉で動きを鈍らせることができるのは最初だけだった。
何より問題なのは、集まった使徒が弱かったことだ。
「⋯⋯わかった。やり方を変えよう」
アルスは歩き出した。ライは彼女についていきつつ、その方法を訊いた。
「何をするつもりだ?」
「殺して回る。そっちのほうが効率的」
誘い出すことはやめない。
ここで待つことをやめるだけだ。
歩いて、使徒を誘き出し、片っ端から殺して回る。
そしてその前に、アルスは一つだけ確かめたいことがあった。
「ライ、〈恐怖霊気〉には私の魔力が載っているんだよね」
「ああ。俺なら判別できる」
「でも、襲ってきた使徒たちは、私を私だと認識して、来ていたのかな?」
「⋯⋯なるほど」
あの使徒たちは、アルスを狙う部隊として動いていたようには見えなかった。
恐怖にあてられ、アルスを脅威と見なして、排除するために集まった。そう考えたほうが、あの無秩序な動きに納得がいく。
「見たところ、魔力を判別する道具もなかったしな」
ライは使徒の死骸を一瞥した。
「計画的に動こうとしている奴の準備じゃない。⋯⋯さすがにそこまで馬鹿だとは思っていなかったが」
少なくとも、あの七体はアルスを魔力で識別して襲ってきたようには見えなかった。
上位使徒とやらも、アルスの魔力を識別できないかもしれない。仮に識別できても、アルスの威圧を無視する可能性だってある。
このまま待っているだけでは、この事件の主犯格か、それに近い使徒を誘き出せる保証はない。
「だが、だからと言ってこっちが動けば──」
「私とあなたなら問題ない」
ライが言い切る前に、アルスは言葉を重ねた。
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯おいおい、本気かよ」
ライは半笑いになった。しかし、目だけは笑っていなかった。
アルスは足を止めず、振り返ることもせず、口を開いた。
「あなたにこれ以上の説明がいるとは思わない」
アルスの言葉を聞いたライは、一瞬だけ瞠目した。
「⋯⋯ああ、そうだな。⋯⋯そう、らしい」
──本当に、不思議な感覚だった。
怖くない。恐ろしくもない。気持ち悪いこともなければ、おかしいとも思わない。
ただただ、頭が冷えている。
それだけだった。
「⋯⋯⋯⋯」
アルスは先ほどから、ライとは別の気配をもう一つ感じていた。
近くにいる。けれど、正確な位置まではわからない。
「⋯⋯じゃ、行くよ」
アルスはあえて少し声を低くした。
「⋯⋯ん。⋯⋯ああ」
最初の一音で、合図は通じたと分かった。
二人は、その気配に背を向けて歩き続けた。
そのとき、背後で石畳を蹴る音がした。
物陰から、一体の使徒が飛び出した。その顔は酷いほど恐怖に歪んでいた。
その一歩で、ぼやけていた気配の輪郭が定まった。
もう振り返る必要はなかった。使徒の姿が視えていたからだ。
使徒は鉤爪を振るおうとしていた。
「────」
水を生み、圧縮し、着弾の瞬間に破裂させる。
赤い魔法陣が使徒の周りに三つ展開され、水の弾丸が放たれた。
ほとんど同時に、ライも剣を振るった。
使徒の胴体が爆ぜて、首が断たれた。
肉塊と生首が石畳の上にぐちゃりと落ちた。
「⋯⋯アルス、やっぱり気づいていたんだな」
「うん」
アルスは使徒の死骸を確認することもなく、歩き続けた。
けれど、ライはすぐにはついてこなかった。
「どうしたの?」
アルスはライの方に振り返った。
「⋯⋯何でもない」
ライは黒い剣を、僅かに握り締めていた。




