第3話 ゴブリン退治
しばらく森を進むと視界が開け、いかにもダンジョンの入り口といった佇まいの洞窟を発見した。
身を隠した茂みの隙間から様子を窺うと、入り口には粗末な槍を手にした二匹の小鬼――ゴブリンが立っている。
腐った果実のような緑の肌に、脂ぎったギョロ目。油断なく周囲を警戒しているその様子から、根城の門番であることは明白。間違いない、ここが目的の巣窟だ。
「迅速に片付けてしまいましょうか?」
隣に潜むジズが、涼しい顔で提案してくる。
英国紳士を思わせる落ち着き払ったその声音は、これから始まる一方的な蹂躙を、まるで単なる害獣駆除でも勧めるかのような酷薄さを帯びていた。
「ああ、そうだな」
俺は微塵の動揺も見せず、主君としての威厳を纏った低い声で短く応じた。
だがその直後、俺は自身の視界に決定的な『欠落』が存在することに気づく。
(……ちょっと待て。コマンドウィンドウが、ない)
戦闘において常に視界を補佐していたステータス画面や、スキルを選択する画面が、一切空間に浮かび上がってこないのだ。
この世界がゲームなどではなく、血肉の通った残酷な現実であるという事実が、ここでも容赦なく突きつけられる。
ならば、魔法やスキルをどう発動させるのか。
ボタンを押すだけの法則が通じない以上、どうやって未知の力を編み上げればいい? 具体的な発動のトリガーが、俺の中では全くの白紙だった。
迂闊に動けば、即座に致命的な隙を晒すことになる。
「……ユリウス様? どうかされましたか?」
茂みの中で急にあたふたし始めた俺を見て、ジズが不思議そうに覗き込んでくる。
(ヤバい、戦い方がまったく分からん。だが、ここで『魔法の撃ち方が分からない』なんて言えば、主君の威厳が崩壊するぞ……)
俺は必死に焦りを隠し、重厚な腕組みをしてジズゥを見下ろした。
「……ジズ。念のための確認だが、魔法はどうやって発現させる?」
「――はい?」
ジズゥが今日一番の、素っ頓狂な声を出した。
「ま、魔法は、ただ呪文を唱えれば発動しますが……」
まるで幼児に言い聞かせるような、基本中の基本だった。
コントローラーで動かすゲームの癖が、抜けていなかったようだ。行動するのは俺自身、難しく考える必要など、どこにもなかった。
異空間収納から愛剣【デュランダル】を引き抜くと、長い眠りから覚めたように、その重みが掌に馴染んだ。
「もう大丈夫だ。ジズ、行くぞ!」
「では、参りましょうか」
洞窟に向かって歩き出すと、入り口付近にいた門番のゴブリンが俺たちに気付いた。
武器を構えた俺たちを明確な敵と認識したのだろう。ゴブリンの一匹が、鼓膜をつんざくような奇声を上げながら洞窟の奥へと駆け込んでいく。
――数秒後。暗がりから、醜悪な小鬼たちが波のように湧き出してきた。
視認できる範囲だけでも数十匹はいる。
(面倒だ、魔法で一網打尽にするか?)
一瞬そう考えたが、すぐに思い直す。
異世界に転移してから、俺はまだ一度も魔法を使用していない。果たしてゲームの時と同じ感覚できちんと発動するのかも分からない。それに、威力の加減も未知数だ。
そもそもこの『ミソロジーワールド』には、絶対的な掟がある。一人につき一属性――複数の属性魔法を使うことは、いかなる者にも許されない。
だが、俺が所持しているのは【召喚魔法】と【宇宙魔法】の二つ。
なぜそんな矛盾が許されるのか?
――それは、プレイ時間が『1万5千時間』に達したときのやり込み特典として、特別に宇宙魔法を贈呈されていたからだ。
もっとも、今は召喚魔法の力がジズたちの『人化』という形で固定されているため、俺自身が直接振るえるのは、実質的に全属性を内包する宇宙魔法のみだと思われる。
宇宙(天体)の力を具現化するその魔法は、ゲーム内では圧倒的な破壊力を誇っていた。
もしその威力がこの『現実』でも健在だとしたら、下手に放てばこの洞窟ごと吹き飛ばしかねない。世界の常識すら把握していない現状で、無用な騒ぎを起こして厄介事を招くのは愚の骨頂だ。今は極力、自重するべきだろう。
(……となれば、やはり剣か)
俺は手のひらで剣の感触を確かめる。
ゴブリンの強さがゲーム通りなら、今の俺の身体能力と剣技だけで十分圧倒できるはずだ。それに、隣にはジズもいる。
「ジズ、行くぞ」
「お任せください。一匹残らず、片付けて差し上げましょう」
ジズが不敵な笑みを浮かべ、槍を鋭く回転させる。
俺は愛剣の切っ先を群がるゴブリンへと向け、爆発的な踏み込みとともに地を蹴った。
俺が愛剣を振り上げ、ゴブリンの群れに斬り込もうとした――そのとき。群れの奥から、しわがれた声が響き渡った。
「ま、待ってくだされっ!」
醜悪な外見からは想像もつかない、湿り気を帯びた老人の声。
その声が『言葉』として脳に届いた瞬間、俺の全身に鳥肌が立った。
「――ジズッ! 止まれッ!」
「ハッ!」
――ゴブリンが、喋った。
現に今、はっきりと人間の言葉を発している。つまり、ただの雑魚モンスターではない。知性体だ。少なくとも、そう見做さなければならない。
俺たちが構えを解くと、群れが左右に割れ、杖をついた年老いたゴブリンが進み出てきた。
「攻撃を止めたということは……対話に応じてくれると判断してよろしいのですかな?」
「ああ。あんたがこの群れの代表者か?」
「はい。この群れの長、アトと申します。……それで、あなた方は何者で、なぜワシたちを襲うのですかな?」
(アトだと!? ただの群れじゃない、名前まであるのか!)
言葉を話し、名を持ち、集団で長を立てて社会を形成している。間違いない、こいつらは単なる魔獣ではなく、確かな意思と高度な知能を有している。
「俺たちは、この森の近くにあるポポル村の村長から『ゴブリン退治』を依頼されて来た者だ」
「依頼された……? ワシらがその村に何かしたんじゃろうか?」
「いや、まだ何もされていないと聞いている」
「――まだ?」
「そう、まだだ。要は、村がゴブリンに襲われる『かもしれない』から、先手を打って退治しておきたいってことだ。……まぁ、害獣駆除みたいなもんか」
俺は正直に、一切包み隠さず答えた。
「……害獣駆除……ですか……」
アトは悲しそうに、深く目を伏せた。
その表情は、ゲームの中のモンスターが見せるものじゃなかった。俺たちは武器を納め、アトの話に耳を傾けることにした。
アトの話は長かった。
結論から言うと、俺はゴブリン退治を中止した。
理由は単純だ。アトたちがポポル村を襲う意思など微塵もないと判断したからだ。
彼らは元々いた住処を追われ、命からがらこの洞窟へ逃げ込んできたらしい。理由は単純――見た目が醜悪で、人間から魔獣扱いされたからだ。
「ワシらはただ、平和に暮らして生きたいだけなのです……」
悲痛な面持ちでそう語るアト。
(……いや、アト『さん』だ)
相手がゴブリンだろうと関係ない。群れを背負い、この理不尽な環境(世界)を必死に生き抜こうとする中間管理職のようなその背中には、現代日本の哀愁すら漂っている。俺は勝手に、心の中で彼を『さん』付けで呼ぶことにした。
「……なるほど。お前たちの窮状は理解した」
俺はあくまで傲岸不遜な態度を崩さず、顎を引いて鷹揚に頷いてみせた。
もちろん、殺されないためのその場しのぎの嘘である可能性もゼロではない。
――が、どうも俺は人を疑うのが苦手らしい。この老ゴブリンの言葉を、気づけば何の疑いもなく信じていた。
どうやら、この世界のゴブリンはゲームの知識とは違う。単なる討伐対象ではないらしい。
これからは彼らに対する認識を改める必要がある。……いや、ゴブリンだけではない。この世界で『魔獣』と呼ばれる者たちすべてが、そうだとしたら。
俺はこの世界そのものへの向き合い方を考え直す必要がありそうだ。




